7 その後
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「ありがとうございます!」
思わず頭を下げた。
初めてボールを拾ってくれた時から気になっていた。
優しくて、よく笑って、その笑顔が素敵で。
だから告白してもらえたことが嬉しくて、お礼を言った。
なのに菅原先輩はなぜか気まずそうに笑う。
「あの、菅原先輩?」
「うん。大丈夫。なんかごめんね?」
「何がですか?」
話が噛み合わない。
なんで謝られているんだろう。
そのまま帰るような雰囲気になったので、慌てて先輩の手を掴んだ。
先輩は不思議そうな顔をする。
「あの……告白されたの初めてで。私も好きで、お礼を言ったんですけど……」
言いながら少し不安になる。
「私、振られましたか?」
「なんで!?」
先輩が勢いよく声を上げた。
「いやいやいや! OKだったの?」
「はい……?」
すると先輩は一瞬固まり、それから「マジか……」と呟いた。
次の瞬間には堪えきれなくなったように笑い始める。
「ちょっと! 笑わないでくださいよ!」
抗議すると、先輩は目尻に涙を浮かべながら「ごめんごめん」と笑った。
「あー、落ち込んだと思ったら急展開だった。告白してこんなに笑うことになると思わなかったわ」
そう言っていた先輩と目が合う。さっきまであんなに笑っていたのに、今度は少し照れたような顔をしていた。
急に静かになって、なんだか落ち着かない。
「じゃあ、彼氏になったってことで」
「えっ?」
思わず変な声が出た。
「だからまた俺を不安にさせないでよ」
呆れたように笑う先輩。
「好きだけど付き合わないとかある?」
「いえ……なんか付き合うって、私の中では異次元というか、現実感なくで」
自分でも変なことを言っている気がする。
すると先輩はまた吹き出した。
「もう、本当に笑わせないでよ」
さっきまでの気まずさが少しだけ和らぐ。嬉しいのに恥ずかしい。好きなのに、どう接したらいいのか分からない。
「まず俺のこと先輩呼び禁止ね」
「え?」
「彼氏になったんだから」
急には難しい。
「はい。菅原さん」
言ってみると、先輩は微妙そうな顔をした。
「なんか他人行儀っぽいなぁ。俺の名前知ってる?」
連絡先を交換しているのだから当然知っている。
「孝支さん」
そう答えると、先輩は満足そうに頷いた。
「はい正解。でもまだちょっと硬いなぁ。まぁその辺はおいおいでいっか」
笑う先輩はやっぱり格好良かった。
「せっかくだから家の近くまで送るよ」
そう言われて、そのまま家まで送ってもらうことになった。
家の前に着くと、先輩は「じゃあまた連絡するし、連絡してね」と言った。
そして最後に、「じゃあまたね、○○ちゃん」と名前を呼ぶ。
その瞬間、心臓が大きく跳ねた。
慌てて家に入り、手を洗ってから部屋へ駆け込む。そのままベッドへ飛び込み、枕に顔を埋めた。
嬉しい。
恥ずかしい。
どうしよう。
彼氏?
菅原先輩が?
私の?
好きだと言われた。付き合うことになった。明日からどうしよう。
転んで骨折したりしないかな。それとも車に轢かれたりする? こんな幸せなこと、本当にあっていいんだろうか。
嬉しいのに、まだ現実感がない。
夕飯の時には母に「顔赤いけど風邪?」と心配された。違うし。顔まだ赤いか。
食事を終えて部屋へ戻ると、携帯の画面が光っていた。メールが一件届いている。
送り主は菅原先輩だった。
『これからよろしくね』
その文字を見て、私はようやく理解した。
──現実だったらしい。
卒業した先輩たちが部活に顔を出すたび、よく言っていた言葉がある。
「高校生活はあっという間だよ。楽しかったってのもあるけど、時間には限りがあるからね」
その頃はあまり実感がなかった。
けれど学年が上がるにつれて、その言葉が少しずつ現実味を帯びてくる。
毎日部活だけして、楽しいことだけしていればいいわけじゃない。
そう思うようになった。
……とはいえ。
三年生になって受験生になっても、私は十分楽しかった。
「今日も勉強あるからなー」
帰り支度をしながらそう呟くと、友達が冷たい視線を向けてきた。
「勉強って言いながらデートでしょ?」
「え?」
「顔がニヤけてるもん。『勉強あるからぁ〜』じゃなくて『彼氏と会うからぁ⤴』でしょ」
「ニヤけてた?」
思わず自分の頬を触る。
すると友達は机に突っ伏した。
「爆ぜろ、リア充」
「ひどい」
「年上彼氏とか羨ましい!」
「えへへ」
否定できない。
だって嬉しいし。
そうして放課後に向かうのはデート──ではなく勉強会だった。
二年生の頃は遊びに行くことも多かったけれど、三年生になり受験が近づいてからは勉強が中心になった。
それでも嫌ではない。
孝支くんは教えるのが本当に上手だった。
苦手だった問題も分かりやすく説明してくれるし、成績も少しずつ伸びている。
模試の結果を見ながら、孝支くんは満足そうに笑った。
「やっぱ俺の教え方上手いべ」
「自画自賛ですね」
「だって結果出てるし」
そう言って笑う顔がずるい。
優しくて格好良くて。
見惚れてしまう。
でも、そういう時に限ってすぐからかってくるから悔しい。
なんだか付き合ってからドキドキしているのは私だけな気がする。
告白されたのに。
好きだと言われたのに。
孝支くんは相変わらず余裕そうで、私ばかり振り回されている。
これが大人の余裕なんだろうか。
早く大人になりたい。
少し妖艶で、余裕のある彼女とか格好いいと思う。
……無理そうだけど。
そんなある日。
先生に進路の話をされた。
成績が上がったことで、今までより上の大学も目指せると言われたのだ。
「将来の選択肢が広がるぞ」
そう言われても、正直まだよく分からない。
やりたいことも、なりたい職業も曖昧だった。
ただ一つ思ったのは。
できるなら孝支くんと同じ大学へ行きたいということ。
学部が違ってもいい。
同じ大学なら嬉しい。
そう思って、そのまま孝支くんへ話した。
すると予想外に怒られた。
「それだけで決めるな」
真剣な顔だった。
『一緒にいたいから。』
その理由だけじゃ駄目なんだろうか。
私はただ、一緒にいたかっただけなのに。
なんだか否定された気がして悲しくなった。
一緒にいたくないってこと?
そんな考えまで浮かんできて、気付けば泣いていた。
それが初めての喧嘩だった。
自分の将来を考えるのは、勉強よりずっと難しかった。
何になりたいのか。
何をしたいのか。
今まであまり真剣に考えたことがなかった。
楽しいことを優先して生きてきたから。
でも。
だからこそ考えた。
たくさん悩んで、自分なりに調べて、将来やりたいこととも向き合った。
その結果、私は公立大学を目指すことに決めた。
偶然ではなく。
誰かに合わせるためでもなく。
自分で考えて選んだ進路として。
その大学には孝支くんもいる。
でも今度はそれだけが理由じゃない。
模試の判定はまだ少し足りない。
けれど頑張ろうと思う。
頑張れると思う。
自分のやりたいことのために。
そして、自分で選んだ未来へ進むために。
高校一年の文化祭で、自分の発案した企画が採用された時の嬉しさは今でも覚えている。
何かを考えて、それが形になって、多くの人が楽しんでくれる。その過程が好きだった。
だから私は大学を卒業後、イベント会社に就職した。
配属されたのは営業部。
想像していた以上に大変だった。
取引先との打ち合わせやスケジュール調整、企画書作成。体力も気力も使う。
それでも楽しい。新しいことに挑戦して、やり遂げる。その達成感はやっぱり好きだった。
仕事を終えて家に帰ると、キッチンからいい匂いがした。
覗くとエプロン姿の孝支が夕飯を作っている。
相変わらず何をしていても様になる。
エプロン姿なのに妙に格好いい。
『王子様クッキング』とかTVにでてもいいのに。
……でも人気出すぎてファンが殺到するからやっぱり辞めて欲しい。
自分の妄想に自分でツッコむ。
「今日もお疲れ。夕飯できてるよ」
「ありがとう! 今日は残業なかったの?」
「今日は少なめ」
そう言って笑う。
孝支は小学校の先生だ。
授業だけでは終わらない。教材作りや書類、行事の準備。家に持ち帰る仕事も多くて、私より帰りが遅い日も珍しくなかった。
大学を卒業して社会人になった今も付き合いは続いている。気付けば半同棲のような生活になっていた。
それでも正式に同棲しないのは、孝支の仕事が理由だった。
先生という仕事は想像以上に大変だ。それに保護者から求められるものも多い。結婚もしていないのに同棲していると知られたら、彼に迷惑をかけるかもしれない。
そんなことを考えてしまう。
「眉間に皺寄ってるよ」
夕飯を食べながら彼が言った。
「どうした? 仕事大変?」
「なんでもなーい。それより美味しそう! 早く食べよ」
笑って誤魔化したけれど、きっと気付かれている。
最近は仕事で評価されることも増えてきた。嬉しい。でも将来への不安もある。このままでいいのかな、と考えることも増えた。
食後、やっぱり何かあったのかと聞かれたけれど、うまく言葉にできなかった。
自分の問題な気がしたし、心配をかけたくもなかったからだ。
すると孝支が立ち上がった。
「そういえば、ちょっと待ってて」
そう言って部屋へ向かう。
何だろうと思いながら待っていると、数分後、得意げな顔で戻ってきた。
「この前、押し入れ整理してたら出てきた」
そう言って背中を向ける。
そこにあったのは猫尻尾だった。
数秒固まったあと、思い出す。
「それって高校の文化祭で私が付けてたやつ?」
「そう!」
孝支は嬉しそうに振り返った。
「俺も似合うべ?」
お尻を振りながら得意げにポーズを取る。
その姿がおかしくて思わず吹き出した。
「似合う! すごい似合う!」
「だべ?」
満足そうに笑ったあと、ふっと優しい顔になる。
「あー、良かった。やっぱ○○は笑ってる方が好きだわ」
不意打ちだった。
照れて何も言えなくなる。
すると孝支は懐かしそうに猫尻尾を見た。
「可愛いなって思ってた子が、これ付けてた時の破壊力わかる?」
「え?」
「あー。 ……やっぱ気付いてなかったか」
楽しそうに笑う。
「あの文化祭の頃にはもう意識してたんだよね」
「ちょっと待って!」
初耳だった。
問い詰めようとすると、そのまま抱き寄せられる。
何年付き合っても慣れない。
心臓がうるさい。
「ねぇ」
頭上から声が降ってくる。
「そろそろ将来のこと考えない?」
「将来?」
「うん」
少しだけ緊張した声だった。
「恋人の先に進みたい」
その言葉に息を呑む。
「結婚、考えてほしい」
頭が真っ白になった。
嬉しい。
嬉しいはずなのに。
肩が震え始める。
「何震えてるの?」
「だって……」
笑いが込み上げてきた。
「ふふっ……だめ……」
止まらない。
「あははっ!」
「ちょっと! 一応プロポーズなんだけど!」
「もちろん!」
笑いながら答える。
「お願いします!」
そう言ったあと、また吹き出してしまった。
「でも……猫尻尾付けてプロポーズって!」
「あっ」
孝支が固まる。
「あー……やらかした」
頭を抱える姿にまた笑いそうになる。
「やり直しってきく?」
私は頷いた。
「何回だってプロポーズされたい」
「それはそれで緊張するな」
「もし次やるなら夜景の見えるレストラン希望」
すると孝支は遠い目をした。
「本当はその予定だった」
「え?」
「誕生日の日に予約してた」
「それ言っちゃったらサプライズじゃないじゃん」
「あっ」
今度は二人で笑った。
「好き」
そう言うと孝支も笑う。
「俺も」
甘い空気になりかけたところで、ふと思い出した。
「ルナちゃん達に泣かれそうだなぁ」
「クラスの子?」
「孝支先生大好きな女の子達」
近所で会うたびに視線が痛い。
小学生でも立派な恋敵だ。
「みんな笑顔なのに……女の子こぇー」
その無自覚な爽やかスマイルが原因なんだけど。
きっと結婚しても苦労しそうだ。
でも負けない。
そう思って気合いを入れている。
「なんで筋トレ始めそうな顔してるの?」と笑われた。
彼といると自然に笑ってしまう。
少し意地悪なところも、子供相手に本気で張り合うところも好きだ。
でも一番好きなのは、
私と一緒にいる時の笑顔かもしれない。
これから先も、きっとたくさん笑うんだろう。
そう思いながら、私は孝支の手を握った。
〈終〉
思わず頭を下げた。
初めてボールを拾ってくれた時から気になっていた。
優しくて、よく笑って、その笑顔が素敵で。
だから告白してもらえたことが嬉しくて、お礼を言った。
なのに菅原先輩はなぜか気まずそうに笑う。
「あの、菅原先輩?」
「うん。大丈夫。なんかごめんね?」
「何がですか?」
話が噛み合わない。
なんで謝られているんだろう。
そのまま帰るような雰囲気になったので、慌てて先輩の手を掴んだ。
先輩は不思議そうな顔をする。
「あの……告白されたの初めてで。私も好きで、お礼を言ったんですけど……」
言いながら少し不安になる。
「私、振られましたか?」
「なんで!?」
先輩が勢いよく声を上げた。
「いやいやいや! OKだったの?」
「はい……?」
すると先輩は一瞬固まり、それから「マジか……」と呟いた。
次の瞬間には堪えきれなくなったように笑い始める。
「ちょっと! 笑わないでくださいよ!」
抗議すると、先輩は目尻に涙を浮かべながら「ごめんごめん」と笑った。
「あー、落ち込んだと思ったら急展開だった。告白してこんなに笑うことになると思わなかったわ」
そう言っていた先輩と目が合う。さっきまであんなに笑っていたのに、今度は少し照れたような顔をしていた。
急に静かになって、なんだか落ち着かない。
「じゃあ、彼氏になったってことで」
「えっ?」
思わず変な声が出た。
「だからまた俺を不安にさせないでよ」
呆れたように笑う先輩。
「好きだけど付き合わないとかある?」
「いえ……なんか付き合うって、私の中では異次元というか、現実感なくで」
自分でも変なことを言っている気がする。
すると先輩はまた吹き出した。
「もう、本当に笑わせないでよ」
さっきまでの気まずさが少しだけ和らぐ。嬉しいのに恥ずかしい。好きなのに、どう接したらいいのか分からない。
「まず俺のこと先輩呼び禁止ね」
「え?」
「彼氏になったんだから」
急には難しい。
「はい。菅原さん」
言ってみると、先輩は微妙そうな顔をした。
「なんか他人行儀っぽいなぁ。俺の名前知ってる?」
連絡先を交換しているのだから当然知っている。
「孝支さん」
そう答えると、先輩は満足そうに頷いた。
「はい正解。でもまだちょっと硬いなぁ。まぁその辺はおいおいでいっか」
笑う先輩はやっぱり格好良かった。
「せっかくだから家の近くまで送るよ」
そう言われて、そのまま家まで送ってもらうことになった。
家の前に着くと、先輩は「じゃあまた連絡するし、連絡してね」と言った。
そして最後に、「じゃあまたね、○○ちゃん」と名前を呼ぶ。
その瞬間、心臓が大きく跳ねた。
慌てて家に入り、手を洗ってから部屋へ駆け込む。そのままベッドへ飛び込み、枕に顔を埋めた。
嬉しい。
恥ずかしい。
どうしよう。
彼氏?
菅原先輩が?
私の?
好きだと言われた。付き合うことになった。明日からどうしよう。
転んで骨折したりしないかな。それとも車に轢かれたりする? こんな幸せなこと、本当にあっていいんだろうか。
嬉しいのに、まだ現実感がない。
夕飯の時には母に「顔赤いけど風邪?」と心配された。違うし。顔まだ赤いか。
食事を終えて部屋へ戻ると、携帯の画面が光っていた。メールが一件届いている。
送り主は菅原先輩だった。
『これからよろしくね』
その文字を見て、私はようやく理解した。
──現実だったらしい。
卒業した先輩たちが部活に顔を出すたび、よく言っていた言葉がある。
「高校生活はあっという間だよ。楽しかったってのもあるけど、時間には限りがあるからね」
その頃はあまり実感がなかった。
けれど学年が上がるにつれて、その言葉が少しずつ現実味を帯びてくる。
毎日部活だけして、楽しいことだけしていればいいわけじゃない。
そう思うようになった。
……とはいえ。
三年生になって受験生になっても、私は十分楽しかった。
「今日も勉強あるからなー」
帰り支度をしながらそう呟くと、友達が冷たい視線を向けてきた。
「勉強って言いながらデートでしょ?」
「え?」
「顔がニヤけてるもん。『勉強あるからぁ〜』じゃなくて『彼氏と会うからぁ⤴』でしょ」
「ニヤけてた?」
思わず自分の頬を触る。
すると友達は机に突っ伏した。
「爆ぜろ、リア充」
「ひどい」
「年上彼氏とか羨ましい!」
「えへへ」
否定できない。
だって嬉しいし。
そうして放課後に向かうのはデート──ではなく勉強会だった。
二年生の頃は遊びに行くことも多かったけれど、三年生になり受験が近づいてからは勉強が中心になった。
それでも嫌ではない。
孝支くんは教えるのが本当に上手だった。
苦手だった問題も分かりやすく説明してくれるし、成績も少しずつ伸びている。
模試の結果を見ながら、孝支くんは満足そうに笑った。
「やっぱ俺の教え方上手いべ」
「自画自賛ですね」
「だって結果出てるし」
そう言って笑う顔がずるい。
優しくて格好良くて。
見惚れてしまう。
でも、そういう時に限ってすぐからかってくるから悔しい。
なんだか付き合ってからドキドキしているのは私だけな気がする。
告白されたのに。
好きだと言われたのに。
孝支くんは相変わらず余裕そうで、私ばかり振り回されている。
これが大人の余裕なんだろうか。
早く大人になりたい。
少し妖艶で、余裕のある彼女とか格好いいと思う。
……無理そうだけど。
そんなある日。
先生に進路の話をされた。
成績が上がったことで、今までより上の大学も目指せると言われたのだ。
「将来の選択肢が広がるぞ」
そう言われても、正直まだよく分からない。
やりたいことも、なりたい職業も曖昧だった。
ただ一つ思ったのは。
できるなら孝支くんと同じ大学へ行きたいということ。
学部が違ってもいい。
同じ大学なら嬉しい。
そう思って、そのまま孝支くんへ話した。
すると予想外に怒られた。
「それだけで決めるな」
真剣な顔だった。
『一緒にいたいから。』
その理由だけじゃ駄目なんだろうか。
私はただ、一緒にいたかっただけなのに。
なんだか否定された気がして悲しくなった。
一緒にいたくないってこと?
そんな考えまで浮かんできて、気付けば泣いていた。
それが初めての喧嘩だった。
自分の将来を考えるのは、勉強よりずっと難しかった。
何になりたいのか。
何をしたいのか。
今まであまり真剣に考えたことがなかった。
楽しいことを優先して生きてきたから。
でも。
だからこそ考えた。
たくさん悩んで、自分なりに調べて、将来やりたいこととも向き合った。
その結果、私は公立大学を目指すことに決めた。
偶然ではなく。
誰かに合わせるためでもなく。
自分で考えて選んだ進路として。
その大学には孝支くんもいる。
でも今度はそれだけが理由じゃない。
模試の判定はまだ少し足りない。
けれど頑張ろうと思う。
頑張れると思う。
自分のやりたいことのために。
そして、自分で選んだ未来へ進むために。
高校一年の文化祭で、自分の発案した企画が採用された時の嬉しさは今でも覚えている。
何かを考えて、それが形になって、多くの人が楽しんでくれる。その過程が好きだった。
だから私は大学を卒業後、イベント会社に就職した。
配属されたのは営業部。
想像していた以上に大変だった。
取引先との打ち合わせやスケジュール調整、企画書作成。体力も気力も使う。
それでも楽しい。新しいことに挑戦して、やり遂げる。その達成感はやっぱり好きだった。
仕事を終えて家に帰ると、キッチンからいい匂いがした。
覗くとエプロン姿の孝支が夕飯を作っている。
相変わらず何をしていても様になる。
エプロン姿なのに妙に格好いい。
『王子様クッキング』とかTVにでてもいいのに。
……でも人気出すぎてファンが殺到するからやっぱり辞めて欲しい。
自分の妄想に自分でツッコむ。
「今日もお疲れ。夕飯できてるよ」
「ありがとう! 今日は残業なかったの?」
「今日は少なめ」
そう言って笑う。
孝支は小学校の先生だ。
授業だけでは終わらない。教材作りや書類、行事の準備。家に持ち帰る仕事も多くて、私より帰りが遅い日も珍しくなかった。
大学を卒業して社会人になった今も付き合いは続いている。気付けば半同棲のような生活になっていた。
それでも正式に同棲しないのは、孝支の仕事が理由だった。
先生という仕事は想像以上に大変だ。それに保護者から求められるものも多い。結婚もしていないのに同棲していると知られたら、彼に迷惑をかけるかもしれない。
そんなことを考えてしまう。
「眉間に皺寄ってるよ」
夕飯を食べながら彼が言った。
「どうした? 仕事大変?」
「なんでもなーい。それより美味しそう! 早く食べよ」
笑って誤魔化したけれど、きっと気付かれている。
最近は仕事で評価されることも増えてきた。嬉しい。でも将来への不安もある。このままでいいのかな、と考えることも増えた。
食後、やっぱり何かあったのかと聞かれたけれど、うまく言葉にできなかった。
自分の問題な気がしたし、心配をかけたくもなかったからだ。
すると孝支が立ち上がった。
「そういえば、ちょっと待ってて」
そう言って部屋へ向かう。
何だろうと思いながら待っていると、数分後、得意げな顔で戻ってきた。
「この前、押し入れ整理してたら出てきた」
そう言って背中を向ける。
そこにあったのは猫尻尾だった。
数秒固まったあと、思い出す。
「それって高校の文化祭で私が付けてたやつ?」
「そう!」
孝支は嬉しそうに振り返った。
「俺も似合うべ?」
お尻を振りながら得意げにポーズを取る。
その姿がおかしくて思わず吹き出した。
「似合う! すごい似合う!」
「だべ?」
満足そうに笑ったあと、ふっと優しい顔になる。
「あー、良かった。やっぱ○○は笑ってる方が好きだわ」
不意打ちだった。
照れて何も言えなくなる。
すると孝支は懐かしそうに猫尻尾を見た。
「可愛いなって思ってた子が、これ付けてた時の破壊力わかる?」
「え?」
「あー。 ……やっぱ気付いてなかったか」
楽しそうに笑う。
「あの文化祭の頃にはもう意識してたんだよね」
「ちょっと待って!」
初耳だった。
問い詰めようとすると、そのまま抱き寄せられる。
何年付き合っても慣れない。
心臓がうるさい。
「ねぇ」
頭上から声が降ってくる。
「そろそろ将来のこと考えない?」
「将来?」
「うん」
少しだけ緊張した声だった。
「恋人の先に進みたい」
その言葉に息を呑む。
「結婚、考えてほしい」
頭が真っ白になった。
嬉しい。
嬉しいはずなのに。
肩が震え始める。
「何震えてるの?」
「だって……」
笑いが込み上げてきた。
「ふふっ……だめ……」
止まらない。
「あははっ!」
「ちょっと! 一応プロポーズなんだけど!」
「もちろん!」
笑いながら答える。
「お願いします!」
そう言ったあと、また吹き出してしまった。
「でも……猫尻尾付けてプロポーズって!」
「あっ」
孝支が固まる。
「あー……やらかした」
頭を抱える姿にまた笑いそうになる。
「やり直しってきく?」
私は頷いた。
「何回だってプロポーズされたい」
「それはそれで緊張するな」
「もし次やるなら夜景の見えるレストラン希望」
すると孝支は遠い目をした。
「本当はその予定だった」
「え?」
「誕生日の日に予約してた」
「それ言っちゃったらサプライズじゃないじゃん」
「あっ」
今度は二人で笑った。
「好き」
そう言うと孝支も笑う。
「俺も」
甘い空気になりかけたところで、ふと思い出した。
「ルナちゃん達に泣かれそうだなぁ」
「クラスの子?」
「孝支先生大好きな女の子達」
近所で会うたびに視線が痛い。
小学生でも立派な恋敵だ。
「みんな笑顔なのに……女の子こぇー」
その無自覚な爽やかスマイルが原因なんだけど。
きっと結婚しても苦労しそうだ。
でも負けない。
そう思って気合いを入れている。
「なんで筋トレ始めそうな顔してるの?」と笑われた。
彼といると自然に笑ってしまう。
少し意地悪なところも、子供相手に本気で張り合うところも好きだ。
でも一番好きなのは、
私と一緒にいる時の笑顔かもしれない。
これから先も、きっとたくさん笑うんだろう。
そう思いながら、私は孝支の手を握った。
〈終〉
