「……言葉ってさ、なんかさ、意味が固定されてるみたいで、案外そうでもないと思わない？」

ショーケースを磨きながら、
俺はぽつりとそう言った。

○○ちゃんは一瞬きょとんとして、
次の瞬間、笑って首を傾げる。

「……唐突すぎて意味がわからないよ」

うん、そうだよね～。
でも、これは唐突じゃない。
ずっと、彼女に植え付けたかったことの"入り口"。

"恋人"ってなんだろう。
"特別"ってなんだろう。
"好意"って、どこからがそうなんだろう。

彼女はたぶん、今そこに立っている。
わからないものを、なんとなく輪郭で認識して、
でも確信が持てないから、距離を取ろうとする。

だから俺は、
彼女の「定義」そのものを、書き換える。

「たとえばさ、"恋人"って、どこまでのことをする関係？
　手を繋ぐ？　名前を呼び合う？　会う頻度？　
それとも"好き"って言葉？」

そんな風に、答えを求めるんじゃなくて、
"問いを増やしていく"。

それはまるで、
チョコレートにゆっくり別の風味を加えていく作業みたいなもので。

彼女の輪郭はもうそこにある。
あとは、その内側をじわじわと、
俺色で染めていくだけ。

「……恋人っていうより、
　○○ちゃんは俺にとって、
　もっと…言葉にしにくい存在かも」

それは甘い言葉じゃない。
だけど、彼女の心に"意味の空白"を残す言い回し。

言葉をくれないことに、
戸惑っていたはずの彼女の視線が少し揺れた。

「ねえ、これ見て。チョコの説明文さ、○○ちゃんの言葉で書いてくれたとこ。
『口に含んだあと、何が残るかで思い出になる』……って、これ、俺好きなんだよね」

彼女の書いた言葉を読み上げる。
彼女の存在を、商品という形で"社会に出した"証。

でも、それ以上に──
俺だけが覚えている彼女の温度が、その言葉の裏に隠れてる。

「○○ちゃんがくれる言葉って、すごくまっすぐなんだよ。でもさ、そういうのって、触れてみないとわかんないよね」

触れる。

言葉にも、心にも。
そして、肌にも。

目の前に座る彼女の手元に視線を落とす。
ペンを握った指。
爪の短さ。装飾のない素のままの手。

「俺、けっこう好きだよ、○○ちゃんの手。
　飾ってないけど、ちゃんと真面目で、ちゃんと何かを作ろうとする手だって感じ」

言葉を受け取った彼女は、
一瞬黙って、自分の手を見て、それからそっと握り込んだ。

赤くなる耳。
下を向いたまま、何も言えずにいる姿。

（……ああ、意識したね）

でも、"異性として見られている"という実感は、
男から与えるよりも、"彼女の中から生まれてくるように"仕掛けたほうがいい。

強く押さない。
でも引きすぎもしない。

触れたい、って思ってもらうように。
もっと近づきたいって、彼女から距離を詰めてくるように。

それが、俺の一番得意な形。

「恋人って、案外曖昧な関係だよ〜？
　でも、俺にとっての"○○ちゃん"って、
　恋人って言葉よりも、もっと…大事な枠に入っちゃってるから」

言葉遊びじゃない。
だけど、言葉で縛らないことこそが"囲い"になる。

恋人になろう、の先には、
もうすでに"繋がり"が出来上がってる。

そこに名前なんていらない。
だって、彼女の中ではもう、
俺の名前が浮かぶ頻度が、日常の中で増えてきてるんだから。

彼女の定義を、
俺が少しずつ塗り替えていく。

"恋人"って言葉を、
彼女が自分の意思で「求める側」になるように。

「触れてほしい」「言ってほしい」「繋がりたい」って、
彼女の中で言語化されて初めて、俺は一歩進める。

そのタイミングが来るまでは、
優しいふりをして、
彼女の"日常"を、そっと侵食し続けるだけ。

──だって、もう手は届いてる。

彼女はまだ気づいてないけど。
俺の"特別"になったってことは、
"恋人"なんかより、もっと深い領域にいるってことなんだよ。