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夢小説設定
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「これ、鍵つけようか迷ってるんだよね〜」
○○ちゃんが座った、
店の奥の小さなテーブル。
ショーケースの向こう、客足の減る午後三時過ぎ。
落ち着いたクラシック音楽と、少し肌寒い空気。
その一角を指さして、俺は言った。
「夜になると静かでちょっと寂しいから、
小さなギャラリーみたいにして貸したりしてもいいかなって思っててさ」
本当は鍵をつける予定なんてない。
貸し出し用にする気もない。
でも、話の入口としてはちょうどいい。
あくまで、"店の話"。
でもその実は、"彼女がその場所にいるイメージ"を刷り込ませる導線。
「貸すって…誰に?」
「ん〜、仲いい人とか? 展示会したいって子とか? でも、そういう人、俺あんまいないからさ」
彼女は黙って、壁に目をやる。
一度、軽く咳払いをしたあと──
「……静かな場所、好きです。わたし」と言った。
よかった。食いついた。
彼女は、すごくわかりやすい。
嘘はすぐ表情に出る。
無理して笑うときの眉の寄り方も、
素直に反応したときの声のトーンも。
そういうのを"愛しい"って思うなんて、
俺にだって想定外だった。
でも今は、それをコントロールしたくて仕方がない。
「俺もさ、あんまりガヤガヤしたとこ得意じゃなくて」
「……意外です」
「ふふ、言われる〜。"飲み会好きそう"とか、"人たらし"って。ほんとは静かにしてるほうが楽なんだけどね」
彼女の目が、少しだけ変わる。
"天童覚"っていう看板を剥がしたその奥を、
覗いたような表情。
その顔を見たかった。
その顔のまま、俺の名前を呼んでほしかった。
「○○ちゃんは? うるさい場所、苦手そうだけど…それ、昔から?」
「……あんまり、人混みとか……好きじゃなくて。
でも、それを変えようと思ってた時期も、あったかな」
俺は頷くだけで、何も言わない。
ただ聞いてるふりをして、沈黙を促す。
沈黙に耐えられない人は、つい話してしまう。
そして、それが"普段は言わないこと"であるほど、
その沈黙の重さに価値がある。
彼女の指が、カップの縁をそっとなぞる。
「大学の頃、友達がいないわけじゃなかったけど……
人と一緒にいても、うまく言葉が出てこなくて。
"話しかけられたくない人"みたいな感じにされちゃって……。
それで、急に一人になるの、ちょっと寂しくて」
「……そうだったんだ」
「だから、せめて、自分からは嫌な思いさせないようにしようって思って。
でも、それって、結局すごく疲れることで……」
言葉が途切れて、視線が下を向く。
ああ──
やっと出てきた、"他の誰にも言っていない話"。
「……○○」
名を呼ぶ。
柔らかく、低く、ためらいのないトーンで。
彼女がびくっと肩を揺らす。
視線が、一瞬だけ俺を見るけど、すぐに伏せられる。
でも、言葉は返ってこない。
やっぱり──まだ、俺の名前を呼ぶことはできないんだ。
わかってる。
わかってるよ。
でもそれでいい。
そうやって、"呼べない自分"に気づいてしまえば、
あとは時間の問題だから。
俺は、グラスの水を一口飲んでから、
いつもよりも少しだけ真剣な声で、こう言った。
「……君は、人と話すのが下手なんじゃないと思うけどな。
むしろ、ちゃんと話す人なんだと思う。
だから"軽く"見られるのが、イヤなんでしょ?」
彼女は目を丸くした。
図星だったんだ。
言葉ではなく、タイミングで反応した顔だった。
「……そう、かもしれません」
頷いたあと、彼女は微笑んだ。
だけどその笑顔の奥には、
確かに「言ってしまったこと」への戸惑いが浮かんでいた。
(大丈夫。君が、俺の名前を呼べないうちは)
君はまだ、自分を守ろうとしてる。
でも、俺の名前を口にしたとき──
もう、それは守るためじゃなくて、
"つながるため"に変わるから。
そして、呼んだ瞬間に、君はもう
"俺から逃げられない"。
