窓際は失恋の場所
9 【末久のこと】
カウンターで作業していると、重岡ちゃんはいつものように本の感想を語ってくれた。脇役に対して感情移入するという重岡ちゃんは、おれが軽く流したシーンもよく覚えていた。
確か、実写映画化された時もいさぎよく割愛されていたけど、その脇役が一番輝く場面だった。
人の感想を聞くことは、いろんな視点があっておもしろい。自分じゃあまり感じない主人公の矛盾点とか、脇役の隠れた良さとか。聴いて、なるほどなと思う。
シリーズの次の巻を貸し出して、重岡ちゃんとの会話を終わりにした。そろそろ永露と末久がどうなったのか、確かめたかったからだ。
濱村さんは離れたテーブルで本を読んでいる。しかし、ページはめくられていないから、意識は永露の会話に集中しているのだろう。
「空美ちゃん、帰ろ」
「う、うん」
本当はここにいたかっただろうけど、重岡ちゃんに言われて濱村さんは立ち上がった。勉強中のおれたちに気を使ってくれたのかもしれない。申し訳ない気持ちになったけど、永露のことを考えればありがたかった。
重岡ちゃんが「それでは」なんて、お行儀よく頭を下げてくる。
「じゃあね、重岡ちゃん、濱村さん」
濱村さんは、ちらちら永露を気にしながらも慌てて重岡ちゃんの後についていく。ふたりが図書室を後にすると、たちまち男3人のむさい空間に変わった。
その奥のテーブルにいる永露は、末久と会話をしていた。まったく表情を変えずにいられる永露がすごい。末久がいくら鈍感だといっても、これは気づかないだろう。
ふたりの間を心配する必要はなかったかもしれない。
「何を話してんだ?」
気軽に声をかけたら、永露のやつが勢いよくこちらに振り返った。外面は装っていたものの、やっぱり、内面はテンパっていたのだろう。「ふたりきりにしやがって、この野郎」的な目で、めちゃくちゃにらまれた。
「見原。早く席につけ」
お前は先生か。まあ、これから先生をしてもらうんだけど。
「お帰り」
末久は笑顔。温度差を感じる出迎えに「おー」と適当に返して席に着いた。
前評判通り、永露は教えるのもうまかった。暇を与えないくらい厳しかったけど、ひとりで勉強するよりも効率が良かった。
わからなかったら、永露に聞けば、教えてもらえるし、時短に最適だった。末久のわからないところに耳を傾ければ、おれも勉強になった。
下校の時刻が迫り、1日目の勉強会はお開きとなった。
何となく3人で駅まで歩いて、足を止めた。電車通学のおれと末久は残されることになるけど、バス通学の永露の視線が突き刺さった。
この冷たい視線は、嫉妬の表れだろう。末久に関わるすべてのものに嫉妬してくるのは、やめてもらいたい。
永露は末久だけに優しい目を向けて「また明日」と言う。それに反した強ばった顔と、抑揚のない声は感情を出したくない意思表示だ。
「おう、またな」と、おれ。
「じゃあな、永露」
そう末久に言われたときの永露の瞳はうるんでいた。きっと、心のなかで感動しているんだろう。それを見せないようにさっさと背中を向ける。
ゆっくりと去っていく永露の後ろ姿を見送っていたら、「なあ」と横から話しかけられた。
「聞きそびれたけど、お前、いつの間に年下の女子たちと知り合いになってんだよ?」
末久がじゃれるように首に腕を回してくる。
「完全になりゆき」
「なりゆき?」
「そう。あの濱村さんが永露を好きみたいでさ。濱村さんのつきそいで重岡ちゃんが図書室に来るようになった。重岡ちゃんは本が好きなんだ。それで話すようになっただけ」
「へえ、永露はさすがにモテるな。あーあ、俺も永露みたいにモテたらなぁ」
「末久。お前、好きな人がいるんだろ?」
「まあな」
「だったら、誰彼かまわずモテなくてもいいだろ」
永露の隣で見ているからかもしれないけど、確実にそう思う。末久には永露のためにも一途でいてほしい。軽いつき合いを繰り返して、人を傷つけるのはよくない。心の浮気はよくない。
末久は真顔でいたけど、すぐに顔をふやけさせた。
「あんま、本気にすんなよ。冗談だっての」
「冗談かよ」
「当たり前だろ。俺、そんなに軽くねえし。一途よ」
そうか。軽くないのか。誰かの入りこむ余地もないくらいってことか。
少し残念に思ったのは、永露のせいだろうか。当事者がいうように、やっぱり恋愛成就の望みは薄いのかもしれない。
だけど、しっくりこないのは、おれが永露に肩入れしすぎなのかもしれなかった。
そんなこんなで、テスト前日。お馴染みとなった面々で、今日も勉強会を開催した。
「これで成績が上がったら、永露にお礼しなくちゃな」
末久がそんなことを言うから、永露の肩がぴくっと動いた。これは期待しているな。期待に応えるべく、おれは頭をめぐらせた。
「そうだな。映画とか、遊園地とか、おごってやろうか?」
「えっ?」
「それいいな。俺と見原で金を出し合ってどこか行こう」
驚いた様子の永露を残して、末久とおれは盛り上がる。
相づちを打ちながら、こういうのは、おれが当日行けなくなるんだろうなと想像した。ふたりで回ることになって、距離が近づく。まさにラブコメ展開だと思った。
「成績が上がったら、だけどな」
おれは断っておいたけど、実際、成績は上がる気配がしていた。
永露の教え方のおかげで基礎的な計算はできる。応用にはまだ、解くのに時間はかかるけど、底辺からかなり成長した。末久も解くスピードが上がっている。
ふたりとも成果は出ている。だから、大方、出かけられるだろう。
永露の表情を盗み見すると、本当に少しだけ顔が崩れた。眉間に力を入れて耐えたけど、ふにゃと笑ったところを見てしまった。
「なに?」
永露に指摘されるまで、じっと眺めていたらしい。険しい目でにらみつけられて、こちらから視線を外した。
「別に」
永露の笑顔に見とれていた。そんなことがあるわけがなかった。きっと、あんまり崩れない永露の顔に、おれの好奇心が刺激されただけだろう。たぶん。