窓際は失恋の場所

8 【勉強会】


 放課後、まんまと永露は現れた。窓際の定位置につくのを見て、おれは「何にも知らずに来やがった」と、内心笑う。

 表に出そうなゆるみ顔をどうにか引きしめつつ、こっそり近寄る。ばっちり隣に立っても反応を示さないのが永露だ。

 相変わらず、永露は末久だけを見ている。それはそれで良かった。おれがこれから告げる話は、永露のメンタルをぶっ壊す気がしていたから。

「永露、あのな……」

「今、末久が走ってるんだ。邪魔しないで……」

「その末久が、な」

 さすがに末久のこととなれば、永露はおれを意識せざるを得ない。目線がおれの方に向いた。

「末久が、なに?」

「お前に勉強を教えてもらいたいってさ!」

 嬉しいだろう。奇声を上げるか、何かリアクションを取ると思っていたのに、当の永露は真顔だった。末久関連の話だというのに、表情はまったく変わらない。というか、瞬きしてないような。

 永露の顔の前で手のひらをかざして、うざったいほど振ってみる。反応がないところをみると、固まっているらしい。

「おーい、永露くん。永露誠くーん」

 視覚にうったえてもダメだったから、今度は聴覚にうったえかける。永露の耳元で声を上げたら、肩がぴくっと動いた。

「うるさい」

 時間差で突っこみが返ってきた。何とかこちら側に帰ってこれたみたいだ。永露は左胸に手を当てたりして、息をすーはーしている。

「何だよ、嬉しくないのか? お前の愛しの末久との勉強会」

「嬉しいけど、心臓に悪い。それに、何で末久と、そんな話になってるの?」

「ああ、末久がさ。永露に教えてもらいたいって言うから。いっておくけど、おれもいるからな。ふたりきりじゃないから」

「そ、そっか」

 嬉しいより、安心したのか、永露はほっと息を吐き出す。少しは残念な気持ちもありそうだけど、やっと笑った。

「にやけてんな」

 指摘してやれば、「にやけてなんか」と、口元を手で隠す。残念ながら、口元を隠したとしても、耳は真っ赤だ。照れているのがめちゃくちゃ顔に出ていた。

「というわけなんで、よろしくな」

「わかったよ」

 改めて頼んでみれば、あっさりおっけーだった。さすが末久の存在は、永露のなかでとてつもなく大きいらしい。

 テスト期間に入り、今日の放課後から図書室での勉強会がはじまる。図書室中央にある広いテーブルの席で、末久とおれは永露を待つべく座っていた。男ふたり向かい合ったところで、特におもしろいこともなく。

「永露、遅いな」

 確かに、末久のいうように永露は遅れていた。

「あいつにも色々あるんじゃねえの」

 おれはあくびを噛み殺す。数学の教科書をパラ見していると、ようやく永露が現れた。

「ふたりとも早いな」

 明らかに緊張しているようで顔が強ばっている。視線も伏せがちで、できるだけ末久の方を見ないようにしているのが健気というか、恋というか。

「おー」
「お疲れ」

 緊張感のないおれと末久が声をかける。

「久しぶりだな、永露。あ、でも部活中によく手は振り合ってたか」

 末久が無自覚に永露の行動を振り返る。それだけは触れてやるなと思うけど、末久は永露の気持ちを知らない。この言葉が簡単に永露の心を揺さぶることも気づいていないんだ。

「そ、そうだな」

 永露は笑おうとするけど、うまく行かずに口の端がぴくぴくと動いている。

 おそらく、末久に気持ちがバレているのかとハラハラしているだろうが、たぶんそんなことはない。何たって、末久だ。鈍感、無自覚を持ち味にしている男だ。

「今日はよろしくな」

 ニカっと歯を見せて笑う。永露は一瞬固まりかけたけど、すぐに顔をうつむかせて「お、おう」と応えた。

 会話にもならない会話が途切れた。永露は、おれと末久のどちらにも近い横の椅子に腰かけた。バッグを降ろし、教科書とルーズリーフを取り出す。

「あ、もうさっそく?」

 おれはもうちょっと会話を楽しみたかったけど、永露が冷たい視線をおれに注いだ。

「そのための勉強会だろう」

「そうだけど。もうちょっと、親交を深めたりさ」

「あのな……」

「俺も久しぶりに永露と会ったから、しゃべりたいけどな」

 思わぬところから助け船が出されて、永露は言葉を詰まらせた。「しゃべりたいって」と小さく復唱しているのが聞こえた。

 ――「末久にしゃべりたいって言われた!」とか、内心は奇声を上げて喜んでいたりするかもしれない。それでも、うまく表情には出ていないから、その辺はすごいと思う。

「だってさ、永露」

「わ、わかったよ。少しだけな。時間も限られているし」

 そんなこんなで、お互いの近況だったりを適当に話した。大体はおれと末久が話して、たまにぽつぽつと永露が言葉を返した。

 話すことも大方なくなり、あまり盛り上がらないなかで、いつものメンバーが現れる。

「こんにちは!」

「ちはー。重岡ちゃんに濱村さん」

 重岡ちゃんは本を片手にバッグを肩にかけていた。そういや、その本の返却日が迫っていたはずだ。濱村さんは重岡ちゃんの1歩後ろで、小さくお辞儀した。

 あの日以降、濱村さんは永露のせいで大分引っこみじあんになっている。

「見原せんぱい、今、大丈夫ですか?」

「うん、大丈夫。ふたりは先に勉強会をやってろよ」

「えっ?」

 永露がすがるようにこちらを見てくる。こちらとしても心苦しいけど、図書委員の仕事があるから、ふたりきりにしなければならない。

「おっけー。永露、はじめよう」

 永露の恋心なんて知らない末久は、無自覚に進行をうながす。知らないというのは、どれだけ残酷なんだろう。

 それを知りながらも、ふたりきりにするおれもある意味、残酷なのかもしれないけど。

「う、うん」

 逃げ道を失った永露は、うなずいて返した。
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