浮気され同士

end【浮気した同士】R15


 昼時前に買い物を終わらせて、帰ってきた。同居人が用事があると抜かしたからだ。用事の前にシャワーを浴びたいらしい。また別の女と会うに違いなかった。途切れない性欲に、呆れるしかない。

 マンションの入口の前に男が立っていた。男がこちらを向いたとき、頬が痩せているのがわかった。四角い眼鏡には手垢なんてついていなかった。綺麗なレンズを通して、奥の目が見えた。

 この男の正体がわかっていたとしても、声にならなかった。息しか漏れなかった。

「あれ、坂根、何してんだ? こいつに用?」

 膠着状態のとき、同居人の場違いな明るさが光った。俺と坂根の間には無いものだ。だから、連絡を取らないまま、限界まで我慢する。本当は我慢なんてできないくせに。会いたくて仕方なかったのに、ためらった。

「無視すんなよ。お前ら、浮気したんだろ。浮気なんかしないような真面目な顔してたって、するときはする……」
「その話はやめろ」

 坂根が誰かの話をさえぎるのを初めて見た。歯を食いしばっているのも、目が血走っているように見えるのもだ。

「俺はお前みたいなやつが嫌いだ。こいつを傷つけても平気でいられる気持ちが、まったくわからない。俺はずっと、こいつの話を聞きながら、自分だったらもっと大事にできると思っていた。浮気もしないし、ふざけた遊びはしない。俺と付き合えばいいのに。そう考えていたことを、ようやく自覚した。あんなことになるまで、気づかなかったんだ」

 俺も同じ気持ちだと言えたらいいのに、声が出なかった。代わりに嗚咽が漏れた。感情が顔のあらゆる部分を刺激した。たまねぎ、からしが一気に来た。覆う涙で前が見えない。一ヶ月も会えなかった反動が表れた。

「まだ、ふたりが付き合っているのはわかってる。俺は邪魔者だって。でも、どうやっても俺はあの夜を忘れないし、諦めきれない」

 涙が邪魔しなければ、もっと早く返事ができたはずなのに、できない。

「言っておくけど、俺たち別れたから。もうふたりは付き合ってもいいんじゃない?」

 狭間が言う。お前が言うなと突っ込みを入れたかったが、できなかった。坂根が俺の腕を掴んでいたからだ。

「そうなのか? 別れたのか?」
「うん、別れたけど、坂根のほうは?」

 坂根の恋人の存在がずっと気になっていた。

「あの後、すぐに別れたよ。手切れ金を要求されたけど、断った。これまでの借金を一覧表にして、返してほしいって言ったら、大人しく別れてくれたよ」

 坂根の笑い声がくすぐったく感じた。額を合わせて、ふたりだけの狭い空間を作った。笑っているのが楽しい。同居人の目の前だとしても気にならない。何ならタコのように吸い合っても構わない。坂根となら、何をやってもいい。

「そこ、退いてもらっていい? この部屋はこいつのでもあるけど、俺のでもある。今から用事があるんで」

 狭間はせっかくの喜びに水を差してくる。坂根は俺の肩を引き寄せて、入り口から退いた。

 同居人は透明のドアを押し開けて、エントランスに入っていく。ドアが閉まる間際に、「末永くお幸せに」なんて、思ってもないようなことを言う。坂根が「あいつ、いちいちムカつくな」と言ってくれたので、俺は満足した。代わりに言ってくれるのは心強い。

「俺んちに行こう」

 それはもう、友人としての誘いではないことは明白だった。



 坂根の部屋に入った。余韻もなく、ベッドの上で抱き合う。まだ昼間の明るいうちからこんなことをするのは初めてだった。

 服を一枚一枚、脱がされていくのが何とも恥ずかしかった。坂根の眼鏡も外した。覆うものが無くなると、むき出しになった肌を擦り付けるのが気持ちいい。坂根の肩や胸に額をくっつけていたら、笑われた。

「何?」

 たずねたのは気に触ったのではなくて、坂根の声を聞きたかっただけだ。

「別に」
「じゃあ、何で笑ってんの?」
「いや、そんなに気持ちいいのかって」
「気持ちいいよ」

 恋人に甘えたことがなかった。狭間はすぐにやりたがったし、服を着たままというのが多かった。肌をすり合わせて、ゆっくりとことを進めるのは初めてだった。

「ずっと、こうしていたい」

 素直に伝えると、坂根はまた笑った。

「俺も同じ気持ち」

 ローションで溶かされた中を坂根は腰を使って、押し進めてきた。その行為は二度目のはずなのに、もはや一度目と変わらなかった。圧迫感、異物感、熱、ごちゃまぜになったものが自分の体の中を伝わっていく。坂根の汗の匂い。坂根の耳のかたち。坂根の肩のラインをなぞって、首筋にキスする。

「坂根」

 口をつけると、あの日の夜の坂根が浮かんだ。部屋の明かりを極力しぼった中で、坂根の唇を見た。何も話せなかった。獣の息づかいで、お互いを貪っていただけだった。

 でも今は、ちゃんと誰に抱かれ、抱いているのか、わかる。気持ちいいところも、痛いところも、全部わかる。熱くて仕方ないところも。

 眉間にシワを寄せて、坂根が声を漏らした。喉元にとどまっている。

 俺はもっと馬鹿みたいに鳴いていた。坂根のくれるすべての快感に、体が反応するからだ。

 動きが速くなってきた。

 舌先を絡める。顎から液が伝っていく。ベッドが一段と軋む。腰が浮いた。足の指先に力が入る。

「ああっ!」
「くっ」

 俺の中に吐き出した後、坂根が覆い被さってきた。汗で濡れた背中に腕を回すと、改めて坂根の体のたくましさがわかった。耳元の吐息は、荒かった。目と目が合ったから、口をつけた。

「好きだ」

 口が離れていく合間に言われる告白に、こちらの方が熱くなった。誰かに聞かれているわけでもないが、ふたりだけでもくすぐったいのは変わらない。慣れていないのもある。

「俺も好き」

 坂根は俺の首に甘えるようにすがりつく。横目で坂根の耳後ろを見ると、赤く染まっていた。もう一度、耳に向かって「好き」と浴びせてやる。今度は「もう言うな」と照れたようなくぐもった声が聞こえた。

〈おわり〉
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