窓際は失恋の場所
7 【ふたりの後輩女子】
うかつだった。重岡さんに気をとられて、こっちの女子を野放しにしてしまった。
おれはすぐに窓際を確認した。永露に立ちはだかる女子という構図になっている。
「
重岡さんが心配そうに女子の名前を呼ぶ。彼女が重岡さんのいう“空美ちゃん”なんだろう。
空美ちゃんに呼ばれた永露は、「何?」と何の感情もなく、冷たい目を向ける。うわ、末久に向ける表情とはまるで違っていた。無だった。
そんな“無”状態に空美ちゃんは後ろに一歩下がった。ひるみそうなところを肩幅まで広げた両足で、どうにか踏ん張っているように見える。
彼女は深呼吸をひとつする。息を吐き出すように口を開けて「い、いい天気ですね!」と声を張り上げた。
声は静かな図書室の四隅に響いて、残りも消えた。空美ちゃんにとっては、かなり勇気が必要だったのだと思う。
永露は目を丸くさせていたけど、窓の外に視線を向けて「そうだね」と答えた。
ひとことだけでも、「空美ちゃん」は白い顔を一気に真っ赤にさせた。両手で口元を覆う仕草を眺めて、この子もそうなんだと、気づく。恋してんだなぁと。
「お騒がせしてしまってすみません」
重岡さんの謝罪で、おれはようやく「空美ちゃん」から目を離した。そういや貸し出しの作業も途中だった。おれは「いや」とぼかしながら再開した。
作業を完了して、重岡さんに本を手渡すと、ぎゅっと大事そうに胸に抱えた。おれにもその気持ちがわかるから微笑ましい。
用は済んだものの、重岡さんはそこから動かなかった。
「空美ちゃん。永露せんぱいに話しかけたくて、ずっとうずうずしていたんです」
「何となく気づいてた」
だから、監視していたんだけど。
「そうですか。……あの、せんぱいのお名前をうかがってもいいですか?」
名前を聞かれることなんて無くて、どう答えたらいいか、戸惑った。照れ臭さもあるし。
「ダメですか?」
重岡さんのうつむきかげんの顔を眺めて、無視するのは良くないと気を取り直す。
「ダメじゃないよ。えっと、2年の見原聡です。図書委員です」
完全に図書委員は余計だったけど、重岡さんは満足したように笑った。
「見原せんぱいですね。わたしは1年の重岡茉那です。あの子は
重岡さんの名前はさっき知ったけど、濱村さんの名前まで教えてもらった。ご丁寧に頭を下げてもらって、おれも遅れて「よろしく」と礼を返す。
重岡さんが「空美ちゃん、帰ろ」と呼びかけたおかげで、濱村さんは我に返ったようだ。ふたりの女子はおれに頭を下げながら、図書室を後にしていく。
いつもの静けさが降りてくると、おれもだんだん実感がわいてきた。
恋とは程遠いと思っていたおれが、まさか、今日この段階でふたりの女子の名前を知ることになるとは。
恋ができるかもしれない。これは末久に自慢できるかもしれない。ニヤニヤしながら、何気なく永露に視線を移す。
結果、見るんじゃなかった。
珍しく永露はおれを見てた。目線がばっちり合うと、つまらなそうにため息をひとつする。「お前なんかが浮かれてんなよ」とでも言っているみたいに。
しかも、にやけた顔をこいつに見られたと思うと、テンションが底に落ちる。
「何か言いたいことがあるなら、言えよ」
詰め寄ったものの、遠ざけるような永露の冷ややかな目がこちらを見てきた。顔が整っているから、ますます怖い。瞼を伏せて、ゆっくりと息を吐き出す。
「何か、あの子たちが面倒だなって。俺はこうやって末久を見ているだけでいいのに」
おれの浮かれた気持ちを悟って呆れていたわけではなかったらしい。空美ちゃんが声をかけてきた理由に気づいていたようだ。
「お前って、自分に向けられる好意ってすぐにわかるんだな」
「何となく、ね」
「嬉しいじゃなく、面倒なのか」
「面倒だろう。こっちは応える気なんてまったく無いのに、向こうは『わたしに気づいて』と近寄ってくるんだから」
モテる男にしかわからない感覚で、おれは「そんなもんか」と想像で相づちを打つ。
「でも、そういう真っ直ぐなところがうらやましい時もある」
「永露は見ているだけだもんな」
「うるさい」
図星だろう。おれは笑いこらえながらも、重岡さんの言葉を伝えることにした。
「また来るって。がんばれよ」
「向こうが勝手に来るだけで、こっちにはがんばりようがないだろ」
「まあな」
その後も濱村さんと重岡さんは本当に図書室に現れた。おれと重岡さん(重岡ちゃん)は本を話題にして、敬語が取れたりして仲良くなった。
だけど、濱村さんと永露は、今のところ、天気の話しかしていない。濱村さんが明らかに肩を落とす場面をよく見た。
おれと重岡ちゃんはそんなふたりの様子を眺めながら、顔を見合わせては苦笑していた。
6月末になった。そろそろ期末テストがやってくる時期だ。
おれはあんまり頭がよろしくない。中でも数学やら化学やらの成績がよろしくない。ちょうど、末久とそんな話になった。
「永露に頼んで教えてもらったらいいだろ」
末久がいい提案だという感じで言ってくる。
「え? あいつ、頭いいのか?」
「ああ、いつも順位も上位らしいし」
「へえ」
そんなに頭がいいなら教えてもらってもいいかと思ったけど、すぐに考え直す。あの永露が教えてくれるとは思えない。
しかも、テストの1週間前から陸上部は休みになるというし。その期間、永露が図書室に現れないはずだ。
末久がアホ面で「何だよ」と首を傾げている。そうだ。こいつがいた。利用しない手はない。おれは末久の肩に腕を回し、悪魔のようにささやく。
「末久、お前も数学苦手だろ。一緒に永露に教わればいい。な、そうしろ」
末久を巻きこめば、永露は断れないだろう。
「俺はいいけど」
おれの気迫に負けたのか、末久はそう答えた。きっと、これでいける。
末久と永露とおれ。まあ完全におれが邪魔者ではあるけど、テストのためだ。
知らせたとき、永露がどんなリアクションするのか、そこも少し楽しみだった。