きみの家と、その周辺の話

6 【卒業しても】


 渓太と俺はそれぞれ別々の高校に行くことが決まっていた。どちらも実家から通える距離の学校に行く。

 そのことをお互いに告げたのは、2月の半ば、渓太の部屋でだった。

 ベッドに寄りかかりながら、スマホゲームをしつつ、お互いの学校の説明をした。

 話していても、目を合わせることはない。それでも気配だけで相手を感じて、話しかける。

「陸上を続けたかったから」
「俺は特に、行ければどこでも良かったかな」

 別の学校に進むのは必然だった。少しずつ学校でも顔を合わせて話すようになっていたから、寂しい気持ちはある。あるにはあるが、実際に離れていないから想像でしかない。

「寛人」
「ん?」

 呼ばれても顔は向けない。次のゲームをはじめようとしたからだ。

「学校変わっても、寂しかったら家に来いよ」

 社交辞令なんて間違っても言えない渓太が、そんなことを言う。俺はくすぐったくなりながら、笑った。

 どんな顔で言ったのだろう。渓太の表情を確かめてみたくて、ゲームを中断した。

 渓太はベッドの上に横たわり、壁の方を見ていた。目を明らかに逸らすのは、照れている証拠だ。

 ベッドに片膝をついて、体重をかけた。肩を叩きながら呼べば、渓太は「何だよ」と不満そうに顔を向けた。見下ろすかたちで、笑いかける。

「これで終わりじゃないんだ」
「友達に終わりなんて無いだろ」

 「友達に終わりはない」なんて簡単に言ってのける渓太が羨ましい。天邪鬼な俺にも、それがちゃんと心に響く。

「俺たちって友達だったんだ」
「お互いの家に行き来してんのに?」
「行き来って、つい最近、家に来たばかりなのに?」

 いつも夕飯をご馳走されているから、お詫びもかねて呼びなさいと、母親に言われたからだった。

 それに一度は、俺のだらしない部屋を渓太にも見せたかった。見た渓太は、「同じ部屋にクローゼットがあるのに、入れないんだな」と語っていた。その口ぶりが呆れていたので、「ソファにかけておくよりかはいいよ」と反論した。

 そこで喧嘩にならずに笑えたのは、「俺たち、どっちもどっちだな」と興奮を冷ます渓太の言葉だった。渓太はいつも興奮しがちな心を落ち着かせてくれる。今この瞬間も。

「俺は寛人を友達だと思ってる」
「そうだね。俺も渓太を友達だと思ってる」

 この関係に名称をつけるなら、「友達」が正しかった。

「だから、この関係は継続だな」
「うん。じゃあ、よろしく」

 うなずくと、渓太は満足そうに「よし」と言った。大きな手を伸ばして、俺の頭を撫でまくった。仕返しというように、渓太の頭を撫で回した。握手するのは気恥ずかしく、その代わりのようなものだった。



 卒業式は滞りなく済んだ。さっさと帰るにはもったいない気がして、だらだらしていたところを後輩の女子に捕まった。「話があるんです」と声をかけられたのは、生まれて初めてだった。

 校舎裏、まだ桜の匂いがしない木々の下で、後輩の女子の言葉を聞いていた。

 面識はなかったし、話すことができずにここまで来てしまったこと。それでも卒業式を迎えて、会えなくなる前に伝えたかったこと。先輩が誰に対しても変わらず優しいところが好き……など。すべて告げてくれた。

 泣きじゃくった後のような赤い顔は、想ってくれている証なのだろう。

 その顔を見ても愛おしいというよりかは、気の毒に思った。彼女が好きだという俺の“誰に対しても優しい”一面は、父親の影を背負っているだけだ。この影が俺を悩ませていることを彼女は知らない。

 彼女が好きなはずの笑顔を貼りつけた。そうしたほうがいい気がした。

「気持ちは嬉しいよ。ありがとう。でも、ごめんね」
「そんな爽やかに笑われちゃうと、本当に脈がないんだなってわかりました」
「ごめん、ここで笑顔は間違いだった?」
「いえ、間違いじゃないですけど」

 彼女は顔を上げて、口元に笑みを浮かべた。頬を伝う涙に構うことなく、「先輩」と声を震わせた。

「先輩の幸せを願ってます」

 「俺も」と言おうとしてやめた。彼女のことを何も知らない自分が言っていい言葉ではない。とにかく「ありがとう」と言うしかないのだろう。

 彼女は頭を勢いよく下げてから、走り去っていった。こちらを二度と振り返ることはなかった。

「幸せを願ってます、か」

 そう言いながら背後から現れたのは渓太だった。少しだけ背の伸びた渓太は、一段と高いところから俺を見下ろしてくる。夕飯だけは同じものを食べているのに、俺の身長は据え置きのままだ。

「盗み聞きは良くないよ」
「いや、聞いたのは最後のとこだけ」
「渓太も呼び出されてたよね」
「ん」

 渓太は同級生の女子に呼び出された話をした。ずっと好きだったと言われたそうだ。そんな長い間、好きでいてもらったのに、渓太は決して嬉しそうではなかった。不快そうに眉間にシワを寄せる。

「どこが好きって聞いたら、顔って言うし」
「あーあ」

 渓太の地雷を軽々と踏んだようだ。

「任侠ドラマが好きなんだってさ」

 告白そっちのけで任侠ドラマの良さについて語られたらしい。任侠と魚釣りの話は面白そうだった、と渓太は言った。

「結局、どっちも彼女を作れず、か」

 疲れたように、渓太はため息をつく。

「焦らなくても、そのうちできるよ。何なら高校に入ったらでいいし」
「できるか? 俺に」

 渓太に関しては何とも言えない。任侠ドラマが好きな女子が受け入れてくれるかもしれないし、いずれ内面も見てくれるかもしれない。少しでも内面に興味を持ってもらえれば、渓太の良さに気づくだろう。俺がそうだったように。

「ていうか、渓太が恋愛に興味持ってるの、知らなかった」
「俺だって人並みには考えてる、と思う」
「ふーん」
「寛人はどうなんだ?」
「俺は……」

 渓太よりも面倒くさい人間だと思う。彼女ができたとしても、心が開けるかどうかはわからない。相手と同じ熱量を持てるかわからない。

 別れるときも、「がんばってね」と言って、呆気なく相手の手を離すのかもしれない。それから先、その人のことをまったく考えなくなるのかもしれない。どうやら父親に似ているらしいから。

 俺は心に生まれた不安をかき消すように、また笑顔を貼りつける。しかし、渓太には通用しなかったようだ。

「心配するな」

 渓太の冷静な声がその笑顔を簡単にはがす。卒業式でも泣かなかったのに、目頭が熱くなった。渓太の前だと、弱い自分が簡単に顔を出す。

「俺、こんなんで、ちゃんと誰かとつき合えるのかなぁ」
「寛人なら大丈夫」

 肩に置かれた大きな手が安心を連れてきた。なぜこんなにも温かいのか、許されたような気になるのか、俺にはわからなかった。

「渓太が女の子だったら、俺、ここで落ちてるよ」
「やめろよ。俺が女の子とか、想像したら笑えてくる」

 確かに、強面女子(渓太)はおかしかった。でも一番おかしかったのは、現実に涙を流して笑いまくる渓太だった。

 強面はどこへやら、大きな口を開けて、笑っている。こんなに大笑いする渓太を見たのは、はじめてだった。

 この姿を見れば、女子になった俺も、下手したら惚れてしまうかもしれないと思った。
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