窓際は失恋の場所

6 【疑問の答え】


 疑問を口にしてからしばらく経って、永露は長い息を吐いた。その息は、肺の奥深くから吐き出されたんじゃないかと思うくらい重みがあった。

 ――「別に話したくないなら言わなくていい」と、逃げ道を与える前に、永露は口を開いた。

「去年、噂が立ったんだ、俺が二股かけてるって。誰ともつき合ってないのに、だよ。でも、すぐに広まって、みんな噂を信じた」

 おれは知らなかったけどな、とは思っても言わなかった。わざわざ話を中断させてまで、せっかくの告白に水を差したくなかった。

 永露の落ち着いた声は続く。

「だけど、末久はそんな噂を知っても、気軽に話しかけてくれた。
『永露は悪いことをしてないんだろ。堂々としてろよ』って。
実際、少し経って、その噂はウソだってわかった。
俺が振った女の子が流したデマだったんだ。
周りは手のひらを返したように謝ってきた。その時、末久は『良かったな』と笑ったんだ」

 永露はそこに末久がいるかのように、目元をやわらげて、口の端を上げた。無意識にやっているのか、とても自然な笑みだった。

「……本当に少しずつだった。1日1日、末久の姿を目で追っていくうちに、好きになっていたんだ」

 1日1日の蓄積が恋に変わっていった。そう考えると、末久への深い気持ちが伝わってくる。

 ――「末久に言わねえの? ほら、自分の気持ちとか」

 あんなことを言わなきゃ良かった。どれだけ無神経な言葉だったか、今さらながら後悔した。

 永露には永露の想いがあるのだろう。他人のおれが口を出す資格なんてない。ましてや、恋の1つもした経験がないおれに、何を言えるのか。きっと、何にもない。

 おれは言葉に詰まって、何にも返せないでいた。ずれたタイミングで相づちを打つのが精一杯だった。

「2年で別のクラスになって悲しかった。だけど、今こうして図書室の窓から末久を見守れるから、しあわせなんだ」

 大げさなと思いながらも、これまでの永露の行動を見てきて、納得できた。しあわせか。

 隣から窓の外を眺めると、陸上部が練習をしている。

 他人には大したことのない光景でも、永露にしてみれば、眩しいくらいの光景なのだろう。それが恋ってやつなのか。おれにはさっぱりわからないけど。

 何となく眺めていたら、横から「ありがとう」と声がした。

「え、何が?」

 永露が笑顔の残りをおれにも向けてきた。まさか、感謝されるとは思わなくて、おれは眉間に力を入れた。どういうことだ?

「こんな話をしたのは初めてなんだ。ほら、自分から誰かに話すようなことでもないし」

「そんなもんか」

「うん。話してすっきりした。そのお礼」

 闇雲に背中を押すだけが応援じゃないような気がしてきた。こうやって話を聞くだけでも何かの役には立てるんだな。あんな踏みこんだ質問でも、してみてよかった。

 だけど、「ありがとう」はくすぐったかった。照れ隠しに、「あっそ」と素っ気なく返した。

 永露が図書室に現れてから、ちょうど1週間が経った。どこから話が漏れたのか、図書室に人がちらほら現れるようになった。

 たぶん、永露目当ての女の子だ。本も読まずに窓際をちらちら見ているので、わかりやすい。もちろん視線の先には永露がいて、時折、熱に浮かされたようにボーッと眺めている。

 その女の子の付き添いの子もいて(本を読んではいる)、こそこそと話している姿をたびたび見つけた。

 おれは作業をしながらも気が気じゃなかった。この女の子たちがいつ永露の邪魔をするのか。空気も読めずに話しかけて、永露のしあわせを壊すのか。

 末久とつき合うことを諦めた永露に許された唯一の時間。それを守るためにおれは、ふたりの女の子を監視しなくてはならなかった。

 カウンターに頬杖をついていると、影が差した。顔を上げると、つき添いの女の子が本を手にこちらを見ている。敵が目の前に来たことで、おれは椅子に座り直した。

「あの、この本を借りたいのですが、いいですか?」

「え、ああ」

 カモフラージュなのか、よくわからないけど、本を借りたいらしい。

 おれは図書委員としての作業をこなす。

 いつものお決まりの台詞を繰り返し、つき添いの女の子の貸し出し券を確かめた。学年は1個下だった。名前は【重岡しげおか 茉那まな】というらしい。

 借りようとしている本はがっつりの王道ファンタジーで、よほど好きじゃないと手に取らないようなものだ。

 もしかして、この重岡さんは本好きなのではないだろうか。そう思うと、聞きたくてうずうずしてきた。

「あの、ファンタジーが好きなんですか?」

「は、はい、そうです」

「これ、かなりの長編シリーズだけど、読むんですか?」

「ずっと、気になってて。でも、最後まで読めるかなって不安で、今日こそ借りてみようって思ったんです」

 1章が上下巻になっているし、何より分厚い。その表紙に手を当てて、視線を落とす彼女はやわらかく笑う。

 そのやわらかな表情は、どこかで見たような光景だった。誰かに恋しているみたいな、そう永露がするみたいな表情だった。

 だから、重岡さんに対しての警戒心がやわらいだのかもしれない。

「実はおれも読めるかなって思ったけど、司書さんにススメられて読んだらあっという間でした。マジで緻密に作られてて、本当にありそうな世界観なんっすよ!
エルフとか、木の妖精とか、魔術師とか、この本に影響されたファンタジーは多いと思う……ってごめんなさい」

「ふふ、せんぱいもファンタジーが好きなんですね」

 知識が少ないくせに、好きってだけで、しゃべりすぎた。それでも、重岡さんは笑って許してくれる。何か、友だちになれそうな雰囲気に、こっちも笑って返した。

 彼女の表情に気を許していたせいか、おれは監視をおこたっていた。そう、もうひとり警戒すべき女子がいたことをすっかり忘れていた。

 図書室の片隅で「あ、あの! せ、せんぱい!」と大きな声が響いたのだ。
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