ゆずりあい

【ゆずりあわない】


おれんちに来てみたいとか言うから、「いいよ」なんて軽く答えてしまったことを後悔している。

おれの部屋に招き入れてからのこいつの挙動が、おかしかった。
何も話そうとしない。
いつもならうざいくらいに視線がからむのに、目をそらされる。
それなのに、肘が当たるほどの近い位置にいる。
ベッドの上にふたり並んで座りながら、気まずい雰囲気だった。

これまで、恋人なんていたことないし、友達と彼氏の距離感がわからない。
そんなおれに、いきなりこのシチュエーションは、難易度が高すぎる。

どうやって息を吐いていたか、忘れた。
話すときって、前置きとか必要だろうか。
恋人同士は、何を話したらいいんだろう。
わからない。

真面目に考えていると、隣から動く気配がした。

「なあ、触っていいか?」

真っ赤に顔を染めて、手を伸ばしてくる。
こいつってこんなやつだったのか。
付き合う前まではおれのことをボロクソ言っていたのに、どうしちゃったんだ。
優しい目で人のことを見て、そっと軽い手つきで頬に触れてくる。
答えていないのに、勝手に触ってくる。
親指で唇をなぞる。
指の腹のざらっとした感触にぞわっとする。
やめてほしい。
変な気分になってくるのだ。
しかも、嫌じゃないのが、たちが悪い。

「お前、こんなやつだったのかよ」

じっくり時間をかけて追い詰めてくる感じ。

「いや、こんなにゆっくりなのは初めてだな。いつもならもう押し倒してる」

「はあ?」

「お前に、嫌われたくない」

あれだけ人のことを「地味な顔」とか、「取り柄のないやつ」とか、「自分の顔を鏡で見てみろよ」とか言ってたくせに。
思い出したら、ムカムカしてきた。
何でこんなやつにいいようにされてるんだ、おれは。

「触るな」と手を払ったら、こいつの目が見開かれた。

眉間にシワを寄せて、辛そうに歯を食い縛る。
まだ殴ってないのに、なんて顔してんだ?

「おい、大丈夫か?」

「大丈夫なわけねえだろ。くそ、すげえ胸が痛い。お前に殺されそう」

物騒なこと言って、どうもかなり傷ついたらしい。
おれも少しは悪いなと思っている。

「ごめんな。付き合うまでのお前の発言を思い出したらムカついてきてさ」

「おれこそ、ごめん。こんなに可愛いのに」

「はあ?」

何度目になるだろう。
こいつの発言はたまに、意味がわからない。
目の前のこいつの両手によって、頬が潰される。

「不思議だよな。あんなに大したことなかった顔がこんなに可愛く見えるなんて、すげえよ」

「へー」

可愛いなんて言われ慣れていないし、恥ずかしい。
でも、「大したことなかった顔」は余計だ。
イラついたのと、恥ずかしさとで、目をそらしていると、「ああ、もう」と熱い息がかかった。

「何だよ」

「キスしてえのに、したら死にそうな気がする」

「どれだけこじらせてんだよ」

緊張しているのが、バカみたいに思えてきた。
こいつもこいつで余裕ないんだと気づいたら、心が軽くなった。
笑える。
こちらから唇を寄せた。
相変わらず、乾燥知らずのやわらかい唇だった。
ぺろっと下唇も、なめてやった。

「はは、バーカ」

おれがキスするとは思わなかったのだろう。
すごい間抜けな顔をしている。
笑い声を上げていると、間抜けな顔がみるみる変わっていく。
この悪い顔は、いつもおれをいびっていた時と同じやつだ。

「ふーん、余裕だな。お前のスピードに合わせてやってたのに。そんなに余裕なら、もっと、すげえのしてやるよ」

3度目の「はあ?」を言う前に腕はがしっと掴まれ、唇がふさがった。

「んんっ!」

唇を割って、舌先が入ってきた。
口のなかをぬめりのあるものが動き回る。
瞼を閉じると、水音と息の漏れる音だけになっていく。
こんな熱くてねっとりしたキスは知らない。
どうやって息を吐いたらいいのかもわからず、ずっと、「んーんー」うなっていた。

「真っ赤」

ようやく唇が解放されて息が戻ってくる。

「やば、死ぬ」

目尻から涙もこぼれてくる。
ぜーはーしていると、ぎゅっと抱き締められた。
ついでに背中を撫でてくる。

「鼻で呼吸すんだよ」

「おれ、知らないし」

キスなんて慣れてないし。
深いのはじめてだし。

「ごめん、ごめん」

頭を撫でられると、全部許してしまいそうになる。

「できるだけ、ゆっくりが、いい」

「わかったよ」

嘘くせえとは思ったけど、こいつにならどんなことをされたっていい。
そんなことを考えてしまう辺り、もう、こいつを「好き」だと認めてもいいかもしれない。

〈おわり〉
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