きみの家と、その周辺の話
5 【似ている人】
ふたりで別々に風呂を済ませた頃合いに、仕事を終えたおじさんが帰ってきた。渓太から話は伝わっていたのか、俺に対して「よく来たね」と微笑んでくれた。
「先に風呂もいただいちゃって、ありがとうございます」
風呂どころか、渓太のスウェットまで借りてしまった。サイズが大きいため袖や裾を折っているが、身体に合ってなくても、借りられるだけでありがたい。
「いいんだよ。どんどん入っちゃって。俺も風呂に入ってきちゃおうかな」
「そうしろよ。夕飯の用意しておくから」
「おー、ありがとう」
親子の何気ない会話に日常が見えた気がして、嬉しくなった。おじさんは風呂に行ったが、その余韻で眺めていたら渓太と目が合った。
俺は話すこともなかったから、笑顔で返す。そうすると、渓太は目を逸らした。
「あんまり見るな」
と言ったのは照れ隠しかもしれない。
今日だけで渓太の色んな顔を見られた。嬉しそうな顔も、照れた顔も、不機嫌な顔も人並みにあった。ただ、人より少し反応が薄く見えるだけだった。
そこまで来て、公園で渓太を不機嫌にさせたことを思い出した。その時はタイミングが無くて、謝れなかった。だから今、謝ろうと思う。
ソファに腰かけた渓太の隣に座る。混乱しないように言いたいことを一度、頭に浮かべた。そんなことで落ち着こうとしているくらいに、俺は緊張していた。
「あのさ、さっき、公園で変なこと言ってごめん。冗談のつもりで、そっちの人に見えるなんて言った。嫌だったよね?」
渓太の顔がこちらを向いた。隣に座ったおかげで、近い距離だった。
何かを言いかけて黙る。それを繰り返した後、渓太の手が俺の手首を掴んだ。風呂の熱をまだ残していたのか、手は熱かった。
「来て」
「え?」
「いいから」
渓太に連れられて2階に上がり、まだ一度も入ったことのない部屋に招かれる。入るなり、「ここ俺の部屋」と告げられて、ようやく手首を開放された。
渓太は知った手つきで、デスクの引き出しを開けた。中から1枚の写真を取ると、「ん」と俺の前に突き出した。
そこには、いくらか年を重ねた渓太が写っていた。
髪を後ろに撫でつけて、鋭い目をどこかにやっている。白のスーツに、金ピカの腕時計。サングラスを胸ポケットにつるしている。どう見てもそちら側の人の雰囲気が漂っていた。
「これは?」
「俺の祖父さん」
「えっ?」
「絶縁してた。父さんが家を出たから、まったく会ってなかった」
「そうなんだ」
噂では色々あったが、見た目から来るものだと思っていた。噂でしかないと、軽く考えていた。祖父のほうが実際にそちらの関係だとは知らなかった。
「寛人に言われたとき、嫌というか、やっぱり、俺はこの祖父さんに似ているんだと思った」
渓太は写真を指でなぞりながら、ゆっくりと言葉を選んでいるように見えた。
「父さんは、この祖父さんからずっと、ひどい目にあわされて来た。勉強もろくにさせてもらえず、周りから変な目で見られて、母さんとも引き離された。でも、父さんは母さんと一緒になるために、全部、捨てた」
どこまでも感情的にならず、渓太は抑えたような声で淡々と続けた。
「この前、祖父さんが亡くなったんだ。最期に父さんに会いたかったらしかったけど、結局、病院には行かなかった。それだけ、父さんはこの祖父さんが嫌いなんだ。なのに、自分の子供が嫌いな祖父さんに似てて、どう思うんだろうって」
何も知らなかったとはいえ、これほどまで根深い話だとは思わなかった。覚悟もなく無防備で聞いてはいけなかったのかもしれない。
渓太は言い終えて、たぶん俺の声を待っている。人生経験の豊富な大人だったら、こういうとき、なんと言葉をかけるのだろう。
――気にするな、顔が似ていたところで祖父と渓太は違う。別の人間だ。
――おじさんもわかっているはずだ。渓太を大事に思っている。すべてを捨ててまで一緒になった人との、子どもなんだから。
どれも正しい気がしたが、自分から出た言葉ではなかった。どこかから持ってきたパクリだ。そんなのは嫌だった。つたなくても自分の言葉で伝えたい。
俺は渓太の肩に手を置く。
「二度とあんな冗談は言わない。絶対に言わないから!」
そんな約束しかできなかった。
「ん」
渓太は小さくうなずいた。
「おーい、夕飯にしよう!」
おじさんの声がドアの先から聞こえてくる。話に夢中で、ふたりとも夕飯の用意をするのを忘れていた。顔を見合わせて「行こっか」「ん」と気の抜けたやり取りをした。
◆
ダイニングテーブルに渓太とおじさんが隣り合って座り、俺はその向かいに座った。おじさんは機嫌が良さそうに笑っていた。
「笑いすぎ」
「いや、渓太にも友達がいたことが嬉しくて」
「まるで俺に友達がいないみたいな」
「うちに連れてこないから」
「家より、外で遊ぶ方が楽しいから」
親子の会話を聞きつつ、夕飯のカレーを食べた。具材の切り方が適当だとしても、カレールーはそれなりに美味しくしてくれる。
おじさんが一口カレーを食べた。
「んまい。やっぱり、人が作ってくれたものは美味しいね」
おじさんの隣に座る渓太は、胡散臭そうに目を細めている。
「そればっか」
「だって、本当にそう思うんだよ。渓太が一生懸命、この不揃いの具材を切ったと思うと、とっても美味しく感じる」
それは同意だった。不器用なりとも、必死に作ろうとする姿は、隣で見ていても微笑ましかった。中辛のカレーの味がマイルドに感じるのも、渓太が作ったからだろう。
「俺もそう思う。渓太の包丁さばきは、鬼気迫ってたよ」
「全然、褒められてる気がしない」
渓太はむすっとしていたが、おじさんは、にこやかだった。この笑顔が懐かしく感じるのは、自分の父親に少し通じるものがあったからかもしれない。
しかし、おじさんは家庭を築くためにすべてを捨てた。自分の父親は人を疑えずに家庭を捨てた。捨てたとしても、そこだけは大きく違っていた。
◆
夕飯後、片づけはおじさんがやってくれるというので、ありがたく渓太の部屋に入った。寝るまでの時間、スマホゲームのマルチをすることにした。
ルールを1から教えて、戦場に降り立つ。あまりゲームをしないという渓太は、まったく役に立たなかった。
それでも、やられながら何度もやっていくうちに慣れてきた。敵を少しずつ倒せるようになると、渓太は熱くなってきた。いつもは感情が薄そうなのに、敵にやられるときには「くそ」と言う。
渓太は負けず嫌いだった。勝つまでやめなかった。やっと勝利を掴んだところで、寝るかとなった。
ベッドの横で床寝だ。床寝をするのは、中2の時の修学旅行以来かもしれない。
布団の中に入ると、温もりのない冷たさが身体を包んだ。それでもこの中で横たわっていれば、少しずつ暖かくなるだろう。暖房もついているし、寒さなんて怖くない。
ここから天井を眺めると、かなり高い位置にある。横を見れば、すぐに床がある。ベッドの上ではまったくない感覚だった。
渓太が照明を落とした。寝る前に言いたいことがあった。ずっと、言わなければと思っていた。
「渓太、ありがとう」
「改まって何だよ」
「泊めてもらっちゃったし」
母親に連絡した時には少し驚かれたが、くれぐれも失礼のないようにと言われた。
「別にいいって。それに」
「それに?」
「寛人に謝りたかった」
「謝る?」
渓太から謝られるようなことがあったかどうかわからなかった。だから、たずねて返した。
「学校で話しかけられたとき、変な態度とったから」
「ああ、あれはちょっと寂しかった」
「俺と寛人が急に接点持ったら、周りがどう思うかって、どうでもいいこと考えた。変な噂が流されたら嫌だった」
渓太も周りを気にするのかと不思議だった。そういうことには無頓着だと思っていた。
俺の方は何も考えていなかった。ただ純粋に、渓太と話したかっただけだ。
「周りなんか、気にしなくていいよ。俺、学校でも渓太と話したい」
それは心から思うことだった。残り少ない中学生活で、終わり際にできた友達を大切にしたい。最後までおもしろおかしく終わりたい。
「ん、話そう。学校でも」
ベッドの方に目を向けても、部屋が暗くて顔は見えない。それでもきっと、暗闇の中で渓太は目元を緩めて笑っているはずだ。