忘れろは、嘘
最終話【忘れろは、嘘】
すっかり夕闇に包まれた頃合、部活を終えた邦紀は、あくびをしながら校門を出ようとした。
ところが、校門の脇から現れた人物に前方を塞がれた。
「お疲れ」
すでに帰ったはずの蒼空だった。
「蒼空?」
「邦紀と話したいと思って待ってた」
邦紀自身も話したいことがあった。充の告白を受けてから、ずっと胸の内にくすぶっていた。
ただ、今このタイミングだとは予想していなかった。呼吸が乱れていないか胸に手を置いて確かめてから、邦紀は決めた。もう逃げない。
「歩きながらでいいか」
「うん」
部活仲間と別れ、邦紀は蒼空と並んで歩き出した。
「部活、こんな時間までやってるんだ」
「ん、弱小だけど、みんな少しでも強くなりたいからな」
久しぶりの会話らしい会話に、邦紀の体は熱くなった。部活でしごかれた足も浮いているように軽い。冷たい夜風がちょうどいい。
蒼空は「実はさ」と前置きした上で、小さく笑った。
「言わなかったけど、何回か隠れて練習風景を見てるよ。サッカーしてる時の邦紀って、結構格好良い」
「み、見んなよ」
「見たいんだよ」
どういう意味だよと問いたいのに、蒼空からじっと見つめられて言葉を失う。知らぬ間にふたりは足を止めていた。
「子供の頃、言ったよね。“僕がそばにいれば、学校なんて怖くないよ。だから、ずっと一緒にいよう。僕はクニが大好きだから!”って」
「お、おい」
幼い頃に一度だけ受けた告白を再現されて、邦紀は慌てた。蒼空が覚えていることを知らなかった。
そして、蒼空が好きだと自覚した言葉だった。
「今もそう思っているなんて言ったら、重い?」
「重いっていうか、やっぱ重いけど」
邦紀は言葉がうまく出てこない。
「約束破ってごめん。でも、これからはずっとそばにいるから」
蒼空の手が邦紀の手を強く握りしめた。重なった手が熱い。
嬉しいのは嬉しい。ただ、邦紀の求めるものとは違う気がしてくる。子供の頃のような無邪気な「好き」で言われているのなら、今までと何も変わらない。
ここまで来て、邦紀は自分がもう、蒼空の“親友”に戻れないのだと悟った。
「それは今まで通りってことか?」
「違う。それだけじゃ、足りない」
「じゃあ、お前は何が欲しいんだよ」
わからないからたずねた。蒼空が何を望んでいるのか、教えてほしい。
「邦紀の全部がほしい」
「何言ってんだ、嘘つき」
「嘘じゃない。本気で思ってる。他の誰にもお前を渡したくない」
「何で今更そんなこと言うんだよ」
邦紀は混乱していた。まるで自分が求められているかのような錯覚が起きる。
大前提に蒼空には彼女がいる。その足かせが邦紀の気持ちを開放してくれない。
「元カノに怒られた。半端な気持ちでつき合うなって。本当、そうだよな。俺はいつも、邦紀の顔を思い浮かべてた。彼女のこと、何にも考えてなかった」
「別れたのか……」
「うん。叩かれたけどね」
「マジか」
「マジで」
そういえば、1週間前に頬を怪我していた。彼女の飼い猫に引っかかれたと言っていた。
その時、彼女の家に行ったのかと、落ちこんだのを邦紀は覚えている。蒼空の言い分だと、その時にはすでに別れていたことになる。
知らなかった。蒼空と顔を合わせるのが嫌で後輩を逃げ場所にしていた。だが、今日、その報いを受けた。
「俺も、後輩に告られて……」
「ああ、あいつか」
邦紀は思い出す。
――「俺、せんぱいのこと好きです」
充の告白を受けて、勇気が少しだけ湧いてきた。
子供の頃から抱えてきた“親友”という縛りを、開放したい。今晩、蒼空に連絡しようと思っていた。呼び出して、ちゃんと面と向かって話そうと思っていたのに。
目の前に蒼空がいる。こちらを見て、邦紀の言葉を辛抱強く待っている。言うなら今しかない。
「だけど、断った。結局、呪いみたいにお前の顔が浮かんできて、邪魔してくる。あの時、忘れてくれって言ったのは、嘘だから。好きなんだ、俺は蒼空が好き……」
涙がこらえきれずにこぼれて頬に落ちた。あまりにも涙の供給が多すぎて大量の涙が放出される。子供みたいに泣いたのは久しぶりだった。
涙で真っ赤な顔にも、蒼空は笑いかけてきた。
「泣かないで」
蒼空の手が涙で冷たくなった頬を包みこむ。溢れる涙を親指で受けてくれる。
近づいてくる顔。ぶつかる寸前に、しっとりとやわらかいものが唇に触れた。少し乾燥した邦紀の唇を舌がなめてきた。
あまりの衝撃で、邦紀の涙はすっかりひいてしまった。
「何すんだよ」
「よし、つき合おう」
「つき合う、のか? 俺とお前が?」
「キスしちゃったし」
「そんなキスしたくらいでいいのかよ」
「へえ、キスくらいね。それ、俺のファーストキスだから」
邦紀は唇を手のひらで覆う。からかい混じりに笑われる方がまだ気が楽だ。真剣な表情で言われると、怒気を失ってしまう。
デレたくなる自分を抑えて、邦紀は自分でも言いたくない部分をぶつけた。
「彼女いただろ!」
「いたけど、言ったろ。俺、好きな子にしかキスできないって」
邦紀はもう「あ」と「う」しか言えなかった。
「何、ときめいちゃった?」
「うっせ」
蒼空の茶化す感じが気に障る。裏腹に邦紀の手を握る感触は優しい。それでも離れない程度に力をこめられている。
「もっかいするよ、キス」
「聞くなよ」
邦紀は顔が近づくにつれ、期待で心音が高鳴っていく。もう、この気持ちを止めるすべはなかった。
〈おわり〉