窓際は失恋の場所
5 【自分の気持ち】
女の子に抱き締められたなら、おれも腕を回すかもしれない。ただ、男に抱き締められて嬉しいとは思えなかった。
「おい」
強く言って胸板を手で押すと、永露はあっさり離れた。
「ごめん。つい、感極まって」
感情の行きどころを失って、そこにいたおれを抱き締めたらしい。外国人かよと思いながらも、蕩けた表情をする永露を見て、何とも言えなくなった。
永露の一連の行動から、末久が本当に好きで仕方ないんだなと、こちらにも伝わってきた。
だから、本当に素朴な疑問が浮かんだ。
「末久に言わねえの? ほら、自分の気持ちとか」
聞いてから、やめておけば良かったと後悔した。おれの疑問に、永露は顔に影を落とす。笑っているのに、目は笑っていない。床に落とされた視線の先は、どこを見ているのだろう。
「言えるわけないよ」
「何で?」
「意識をしたことがない男から一方的に思われて、いきなり『好き』なんて、気持ち悪いだろう」
「気持ち悪い……か?」
永露が末久のことを好きだと気づいても、おれは気持ち悪いなんて思わなかった。
それは当事者ではないからなのか。他人事だったからなのか、おれにはわからない。だけど、少なくとも気持ち悪くはなかった。
「ん、俺は末久に好きになってもらおうなんて思ってない。だから、こうして見ているだけでいいんだ」
「そうなのか」
「そうだよ」
永露は口元に笑みを浮かべながらも、眉間にシワを寄せて、目を潤ませる。瞬きをいくらかすれば、涙がこぼれ落ちてきそうだ。
今にも泣きそうな顔を前にして、こちらの方が胸が苦しくなった。
おれは慰めるための言葉を探すが、まったく浮かばない。
――そんな顔をすんなよ。調子が狂うだろ。変な怒りを内心でぶつける。
お互いに見つめたまま、時間だけが流れていく。
永露は一度うつむいてから、顔を正面に戻した。
「この話はこれで終わり」
その時には、いつもの真顔に戻っていた。定位置まで歩いて、窓の外を眺めはじめる。
永露の視界には、おれは入っていない。末久だけを眺めているんだろう。
話は終わった。それでも、永露の表情がずっと目に焼きついて離れなかった。
翌日になっても、おれの憂うつさは変わらない。近くの末久がはしゃいでいるのを見ながら、「こいつは何も知らないんだな」とため息が出る。
それでも永露はいいと言った。好きになってもらう気はないと。
本当にそうなのだろうか。想っているだけでいいなんてことあるんだろうか。おれは初恋もまだだから、永露の気持ちをわかってあげられないのかもしれない。
「よう、見原」
末久は手を挙げて、おれの席に近づいてくる。
「おう」と言葉を返す。
友だちになることは案外、簡単かもしれない。こうして、挨拶を交わして、世間話をするくらいなら、できるかもしれない。
だけど、永露は末久が好きなんだ。友だちじゃなく。
「お前なんか、元気なくね?」
「ちょっと、寝不足かも」
永露の泣きそうな顔がずっと、おれを悩ませた。瞼を伏せても浮かんできて、眠れなかった。
「大丈夫かよ」
おれの心配なんかするな。大体、こいつが永露をたぶらかして、悩ませているのが悪いんだからと、完全に八つ当たりをかます。距離感ゼロの質問が浮かんだ。
「お前って彼女とかいんの? 好きな人とか?」
「はあ?」
脈略はなかったと思う。末久が答えにくければ、どんな質問だって良かった。
「別に、単なる興味だから」
答えなくてもいいと続ける前に、末久はしぶしぶ話し出した。
「彼女はいねえよ。好きな人は……まあ、いるけど」
まさかの告白だった。彼女がいないのは永露としてはいい情報だろう。だが、好きな人がいるというのは、いらない情報だった。
「好きな人、いるのか。そうか」
テンションが下がっていく。
「何だよ、その明らかにつまらなそうな顔は。俺に好きな人がいたら、悪いのかよ」
「悪くはないけど、成就すんなと思う」
「おい」
「嘘だって。うらやましいだけだから、気にすんな」
おれ自身はまったく恋から遠いというのに、周りは誰かに恋したり誰かを愛したりしているんだろう。たぶん、おれは当事者になることはないんだろうな。
頬杖をつきながら、ため息を吐けば、「本当に大丈夫かよ」と末久に心配された。確かに、今のおれは大丈夫じゃないかもしれない。
放課後の図書室。あいにくの曇り空は雨空に変わった。どんよりとした雲と、間隔の短い雨音が、いっそう気持ちを重くさせた。
たぶん、永露は来ないだろうという予感があった。雨だし、陸上部は室内練習だ。
今日はひとりか。永露が現れるまではいつものことだったのに、窓際を見たら、その姿がなくて淋しいと思う。
おれは永露がしていたように、定位置に立って、窓の外を眺める。濡れたグラウンドには誰もいない。雨が容赦なく打ち付け、少しへこんだ地面に水溜まりを作っていた。
「つまんねえ」
独り言を口にしたら、ますますつまらない気がしてきた。図書室にいて、本を読む気も起きないなんて、はじめてのことだった。
翌日の放課後には、永露がいて、おれは安心した。顔がゆるむのがわかる。窓の外を眺めると、青空の下、昨日の湿ったグラウンドも乾きはじめていた。つまり、永露が図書室に来る口実がある。
「また、見てんのかよ」
思わず声をかけるが、永露はちらっとこちらを見ただけで、すぐに顔を窓の外に戻す。無視することに決めたらしい。永露に末久のこと以外でリアクションを取らせるのは諦めた。
「昨日、あんなのだったのに、部活できるのか」
「みたいだね」
これには反応するのか。どうでもいい会話も、永露から返ってくる言葉におれは満足していた。
永露がふっと小さく笑う。片手を挙げた時、窓を通して末久とやり取りしていることがわかった。
永露の視線の先には、末久しかいない。他の人は眼中にないのだろう。
――末久には、好きな人がいるっていうのにな。何だか、ため息が出る。
「永露は何でそんなに末久のことが好きなんだ?」
頭に浮かんだ疑問をそのまま言葉にした。