番外編

【意地悪な笑顔】【日中を嫌わない】後


 日中の様子がおかしい。俺が話しかけても、上の空のときがある。

 あの日中が「あ、ごめん、聞いてなかった」なんて、どう考えてもおかしい。それだけ他のことに気を取られているんだろうか。俺の話がつまらないとか。

 日中の部屋でのキスも軽い感じで終わる。もうちょっと長くしたかったというのは、多くを求めすぎなのか。触れているだけでもいいけど、近くにいたい。できれば、距離なく重なっていたいなんて言ったら、呆れられちゃうだろうか。

 俺の想いとはよそに、今日のキスも早く終わった。軽く触れただけで、「ちょっとトイレ」と日中は部屋から出て行ってしまった。

 ベッドに突っ伏すと、日中の匂いにうずめている感じになる。匂いに包まれて、しあわせなのに泣きたくなる。

 そういや、最近、抱き締めてないことに気づく。日中の身体の固さを最近は感じてない。こんなに近くにいるのに、遠くにいるみたいで、代わりに枕を抱き締めた。

 日中が部屋に戻ってきたのは、かなり時間が経ってからだった。俺は枕で顔を隠した。今、日中の顔を見たら、泣いてしまいそうだったからだ。

「小花?」

 いつもの優しい声なのに、聞いているのが辛い。胸が苦しくなる。真っ先に思い浮かんだことを口にすれば、ますます辛かった。

「日中は俺といるのが嫌なのか?」
「え? 何でそうなるの?」 
「全然、俺に触ろうとしないし、キスしたら、すぐいなくなる。本当は一緒にいたくないんだろ?」

 言うつもりなんてなかったのに、感情が弾けた。だって、誰かと付き合うのは初めてで、どうやったらいいのかわからない。日中とだったら、こんな不安も無いと思っていたのに。

「一緒にいたくないなんて、絶対にない。小花のこと好きだよ。でも好きすぎて、ごめん」

 謝られてもよくわからなかった。そんな風に言われてどう返したらいいのか考えられない。俺は馬鹿だから。

「日中のことがわからなくなった」
「えっ?」
「しばらくひとりになって考える」

 日中が伸ばしてきた手を払い除けて、俺は部屋を出る。考える方向なんて自分でもわからなかった。だけど、このままじゃダメだ。少し冷静になってから、改めて考えようと思った。



 この1週間、日中の力を借りなくても起きられるし、ひとりでも何とか生きていけるんだと気づいた。俺は日中の優しさに依存していただけなのかもしれない。

 ただ、俺ひとりで登校していると、変な噂が広まった。

「とうとう、あのふたり別れたらしいよ」
「だよね。もともと釣り合ってなかったし」
「日中くんに振られたんでしょ」
「あいつ、嫉妬深そうだし……」
「日中くんに依存してそう……」

 などなど。人に聞こえないようにすればいいのに、そんな配慮はない。にらみつければ、こそこそ話をやめるけど、目を逸らせば、また聞こえてくる。

「あんた、何やらかしたの?」

 耐えかねたのか、百合本にも心配される始末だ。しかも、全面的に俺が悪いらしい。確かに日中が俺に愛想を尽かすという方が、割合的にも多い気がする。本当はそういうんじゃないけど。

「別に何にもない。お互いに頭を冷やそうって期間」
「頭を冷やすってなに?」
「日中のことが急にわからなくなってさ。カッて頭に血が上ったら、そのまま日中にぶつけて。困ってんのはわかるのに、どうしても止められなくなるんだよ。だから、一度、冷静になりたい」

 あの日は話し合いにもならなかった。俺の感情が邪魔しているんだと思う。

 話を聞いていた百合本は、ため息を吐いた後に、腕組みを解いた。

「それのどこが悪いの?」
「えっ?」
「そこでとことん感情のまま話せばいいと思うけど」
「感情が邪魔にならない?」
「あんたね。恋なんて全部感情でしょ。だから、理屈じゃないわけ。相手に好きな人がいるのはわかっているのに、好きになっちゃうのも、そういうこと。あんた、そんなに賢くないんだから、一生考えたって何にも出ないでしょ。だったら、徹底的に日中くんにぶつければいいと思う。
というか、わたしとすれば、あんたたちはもたもたし過ぎ。今のところ何の障害もないのに……って聞いてんの?」
「ありがとう、百合本!」

 百合本が一気に話した内容が後半以外、俺の胸に刺さった。

 自分が選択を間違っていることに気づいた。いち早く日中と話さなければいけないんだと、ようやく気づけた。アプリでメッセージを送る。

『今日、日中の家に行っていいか?』

 それに返ってきた言葉は『今からでもいいよ』だった。冗談だろと思っていたら、日中は体調を崩して、今日は欠席したらしい。そんなに悪いんだろうか。

 途端に心配になってきて、俺は日中に会いたくて、早く時間が過ぎろと思った。



 駆け足で学校を飛び出したのは初めてかもしれない。きっと、隣で歩幅を合わせてくれる日中がいないせいだ。

 日中は俺が足を止めると、すぐに気づいてこちらを振り返ってくれる。「小花?」って声をかけてくれる姿が、いつも俺には眩しかった。

 ずっと、走っている間、心のなかで日中のことを考えていた。日中の家まで来ると、そこにはもう日中が立っていた。上下スウェット姿で髪もセットしてない。

 日中は俺を捉えた瞬間、ぶつかるように抱き締めてきた。

「日中? 体調は?」
「大丈夫」

 そうは言うけど、身体は熱い。こんな外で抱き合っているのは、日中の体によくない。

「家の中に入っていいか? 日中もちゃんと安静にしてないと」
「うん」

 子供のようにうなずく日中が可愛くて、笑ってしまった。こんなくすぐったいのは久しぶりだ。

「小花」

 日中は目を細めて、俺に顔を近づけてきた。唇が温かい感触に包まれる。日中の唇の熱が俺にまで侵食していく。それが何でこんなにも気持ちいいんだろう。ふわふわする。

 顔が離れていったタイミングで、俺は日中のスウェットの端を引っ張った。

「ひ……なか。部屋、行くか」
「うん」

 顔が熱い。もっと深いキスをするなら、ここじゃなく、日中の匂いがいっぱいのところがよかった。そんなことを思う自分が恥ずかしくて、俯きながら日中の後を追った。

 部屋に入るなり、閉じたドアを背にして、日中の腕の中に包まれた。

「はあ、本当の小花だ」

 首に頭をうずめてきて、くんくんと匂いまで嗅がれる。

「日中、くすぐったいから」
「これくらい許して。この1週間、小花に触れられなくて寂しくて死にそうだった」
「それは言い過ぎだろ」
「言い過ぎじゃないよ。小花がいないと何にもする気が起きなくて、部屋も汚くなるし、朝は起きられないし、夜は眠れないし、体調も崩すし……。小花に依存してるのは僕の方だ」

 日中はすがりつくように腕の力を強めてくる。そんなに強めたって逃げる気なんてないのに。

 俺からも抱き返すと、耳元で「小花っ」と切羽詰まったような声が聞こえてきた。俺は日中の背中を撫でた後、手を伸ばして髪に触れた。

「もしかして、ここ最近、キスでやめてたの、俺の体のことを考えてた?」

 触れていた指が日中に掴まれる。実は少し前に、日中を嫌わないから好きにしろと言ったら、本当に好き勝手された。

 その日、腰は使い物にならなくなった。日中はベッドに張り付くだけの俺に、何度も謝った。「こんなことはもうしない」と頭を下げまくった。

 俺とすれば、腰がよくなれば、またしたかったけど、日中はそれを引きずっていたのかもしれない。

「言えよ。話しているときに上の空になったり、キスしてもすぐにやめてどこかに行くから、俺のこと飽きたのかと思った」
「それは絶対ない」
「そこは即答かよ」
「いつ次を誘えばいいのかわからなくて、でも、小花に無理させたくなくて、言い出せなかった。上の空だったのは、そのことを考えていたからかも。キスしかできなかったのは、それ以上行くと、抑えが効かなくなりそうで怖かった」

 話せば、なんてことじゃない。いつもの日中だ。たぶん、この日中は、俺しか知らないんだろう。それがこんなにも嬉しい。

「嫌わないって言っただろ。日中はもっと俺を信じろよ」
「信じる?」
「そう。俺だってやわじゃないから。もっと、日中と……エロいことしたい」

 顔が熱くて、仕方ない。息を吐き出したけど、熱さはどうにもならなくて。日中はもう息が止まったんじゃないかというくらい、固まっていた。震える指が俺の頬に触れる。大げさだろと言うくらい、ぎこちない。

「もう我慢しなくていい?」
「しなくていいって。あ、でも、今日は体調悪いみたいだし、また後日……んむっ」

 急に深いキスをされて、言葉が途切れた。俺は日中のスウェットの背中の部分を掴むしかなくて、ずるずるとしゃがみこむぐらい腰砕けにされた。

 ベッドに導かれて、覆い被さってくる日中の身体を受け止めるように腕を回す。

 至近距離に迫る日中の顔に影ができている。

「かなり溜まってるから、覚悟してね」

 この時のちょっと意地悪そうな笑い方も好きだってことを、日中は知らないんだろう。

〈おわり〉
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