番外編
【本当のチョコ】日中視点
小花は「これ、良かったら」と、僕の家の玄関口で紙袋を差し出した。
今日はバレンタインデーだ。きっと、この紙袋の中にはチョコが入っているんだろう。
一度、家に戻ったのは、このチョコを取ってくるためだったのだと想像がつく。
手作りじゃないけど、とモゴモゴ付け加える。照れたように耳まで赤く染めた小花が、とても可愛らしい。
こちらとすれば、特に手作りにこだわりはない。市販のチョコだって、小花がくれるものなら、何だって嬉しい。
どんな想いでチョコを用意してくれたのか、今、僕の前で差し出しているのか。考えるだけで頬が緩む。
「ありがとう、すごく嬉しいよ」
照れたように首まで真っ赤にした小花をチョコごと抱き締める。
できるなら動かずに、ずっと抱きしめたままでいたい。
なんてことを本気で思ってると知られたら、嫌われちゃうだろうか。
小花は僕の胸元に頬をつけたまま、「日中」と呼ぶ。
「渡すのが遅れてごめんな。本当は、朝、渡せばよかったんだけど。何か、寝坊しちゃって慌ててたから」
謝ることないよ、と言いたくて、首を横に振る。
小花には悪いけど、久しぶりにゆっくりと寝顔が堪能できて、嬉しかった。寝癖のついた頭を起きるまで、ずっと撫でていた。
「昨日の夜は、バレンタインデーで緊張して、眠れなくて」
小花がそこまで特別な日だと思ってくれたことは驚きだった。僕も同じくらい気持ちが浮ついていた。
腕を緩めて、代わりに手を繋ぐ。「さあ、入って」と、自分の部屋に招いた。
部屋に入るなり、渡そうと思っていた紙袋を、小花に差し出した。
「僕も渡しそびれたから、はい、これ」
「ありがと……」
僕のチョコを受け取った小花は、大事そうに腕に抱きしめた。その仕草だけで、バレンタインデーに感謝したくなる。
こんな可愛らしい小花を見せてくれてありがとう。チョコよりも甘い気持ちにさせてくれてありがとう、なんて。
小花の腰に腕を回して、力をこめた。
小花のぬくもりを感じながら、昔のことを思い出していた。
まだ、渡されるチョコを拒否しないで、全部受け取っていた、あの頃。
中学の卒業間近だったためか、いつもより多くチョコをいただいた。
紙袋に入れたチョコをどうにか消費したくて、小花を呼び寄せた。でも、小花は、食べたくないと言い張った。
「これは全部、日中のために用意されたもんだろ? 日中が受け取ったんだから、ちゃんと自分で食べないとダメだろ?」
確かにそうだった。これらのチョコを渡すときの顔は、みんな真剣そのものだった。
泣いていた子もいた。お返しはいらないので受け取ってください、と言ってくれた子もいた。名前を言ってくれた子には、お返しするつもりだけど。
きっと、生半可な想いで、受け取ってはいけないものなのだろう。想いまで乗っていると思えば、ひとつひとつのチョコが重く感じる。
今年を最後に、受け取るのはやめたほうがいいかもしれない。
小花の性格は、あの頃からブレていない。僕の甘いところを指摘してくれる。
「うん、そうだと思う」
時間をかけてでも、チョコを食べ続けようと思った。卒業式までには食べきれないかもしれないけど。
「あ、ついでに、俺からもこれ」
いきなり小花の手が僕の手を握った。手のひらに角ばった感触があった。小さくて固いもの。
小花の手が離れていき、手のひらに乗っていたのは、包装された一口サイズのチョコだった。
「俺からのバレンタインチョコな」
いたずらが成功したかのような無邪気な笑顔に、僕は心臓が止まるかと思った。すぐに心臓が動き出し、忙しくなく内側から胸を叩いた。
もうその瞬間から決めていた。
好きな人以外から、チョコは受け取らない。
小花以外の人から、チョコはもらわない。
あの時にもらったチョコの包装紙は、まだ残っているーー。
「日中?」
抱きしめたまま、深い思考に入っていたらしい。不安げな小花の声を受けて、現実に戻ってきた。
「ごめんね。ちょっと思い出してた。去年も小花から小さなチョコをもらったなぁって」
「え、あれは、バレンタインのチョコに入らないだろ」
小花は驚いていたけど、僕の考えでは、あれは確かに、バレンタインのチョコだった。
その一個だけが、僕の本当のチョコだったんだ。
〈おわり〉