番外編

【日中に甘やかされる】


 日中とつき合うようになって変わったことといえば、俺のだらけ具合かもしれない。親友の時でも起こしに来てもらったり、着替えを済ませるまで待たせたりしていたが、最近はますますひどい。

 特に起きる時間がどんどん遅くなってきている。遅刻しそうになる前に叩き起こしてくれたらいいのに、日中は「気持ちよさそうに寝ているから可愛くて」なんて言ってくる。とろけるような甘い顔で言われたら、こっちは「か、可愛くねえし」というしかできない。

 着替えまで手伝ってきて、お前は俺の世話係か! と突っこみたくなるくらいの献身ぶりだ。そうやって甘やかされるのが嫌いじゃないのも、たちが悪かった。

 俺はどんどん甘やかされていき、そのうち日中なしじゃ生きられない人間になっていくんじゃなかろうか。

 実際になりかけているから、なおさら怖い。

 今日も日中と一緒に登校した。日中は別のクラスだというのに、俺の教室の入り口までついてきた。「小花」と呼んで、俺だけに優しく笑いかけてくる。光を背負ったかのような笑顔に、俺も自分の顔がゆるむのがわかった。

 クラスのやつらが見ていたって構わない。そんなスタンスが日中らしい。キスしかねない距離まで顔を近づけてきた。

――まさか、こんなとこでキスとか!

 想像を働かせた俺の心臓は暴走しかけた。

「じゃ、またね」

 実際は耳元で囁かれただけだった。俺はうつむく。キスすると思ったことが、何より恥ずかしい。「お、おう」とかろうじて返した。

 日中が教室から出ていってしまうとひとりになる。そのタイミングで教室のどこからか、ひそひそと声が聞こえてきた。

「付き合ってるんだって、あのふたり」
「友達としてもおかしいのに」
「全然、釣り合ってねえよな」
「おれ、マジ無理だわ」

 すーっと全身が冷たくなる感じがした。日中が隣にいるだけで周りの嫉妬を買うことは、親友の時ですらそうだった。

――今度は恋人だもんな。俺だってありえないと思う。

 でも、日中は俺を好きになってくれた。こんな俺でも幻滅しないで、毎朝、好きだって言ってくれる。何ならキスやら、それ以上のこともしてくれる。日中が好きになってくれたんだから自信を持ったっていいのに、他人の言葉を上手く振り払えない。

 明るいだけが取り柄なのに、それすらも危ういなんて終わっている。さっきまで、日中の笑顔を眺めているだけで良かったのに、急に現実に突き落とされたみたいだ。

 このまま教室にいるのが怖い。足を止めたままでいると、背中を小突かれた。

「そこに突っ立っていられると迷惑なんだけど」

「あ、ごめん!」

 後ろを振り返れば、百合本だった。くるんと上を向いたまつ毛、寒いのか赤く染まった頬は可愛らしい。ぱっちり二重の目は、いつも通り俺を睨んでくる。この派手な容姿の百合本が優しいことは知っている。俺の前では口が悪いことも。

「何なの、そのクソ暗い顔は?」

 どんな言い草でも、百合本のいつも通りの態度に安心して泣きそうになる。百合本は陰口を言ったりしない。真っ向から来てくれる。俺の数少ない理解者――と言えば、百合本は怒るかもしれないが、本当にそう思っているんだ。

――百合本に相談してみようか。

 口を開きかけた時、「ちょっといい?」と俺の後ろから女子ふたりが現れた。目は笑っていないのに、口元はにやついている。たぶん敵だ。親友の時もこういう子には良く当たった。大体、その口で文句を言う。

「さっき話してたんだけど、百合本さんもさ、小花くんと日中くんって釣り合わないと思うよね? 百合本さんクラスの子を選ぶならわかるけど」
「ホントそれ。日中くんも相当、趣味が変わってる」

 真正面から言われたのは陰口よりかはいいけど、日中を悪く言われるのは辛い。俺のせいで「変わってる」とか言われちゃうんだ。俺とつき合ったばっかりに。

 悔しくて拳を握っていると、横から笑い声が聞こえてきた。にやけていた女子ふたりの顔が強ばる。百合本が笑っていたからだ。

「わたしに同意を求めてもムダだから。そんなに気になるなら、日中くんに直接聞いてみたら? 何で小花を好きになったんですかって。ちゃんと教えてくれると思うよ。聞いた自分が惨めになるかもしれないけどさぁ。
わたしもそうだけど、この小花に嫉妬するのは時間のムダ。日中くんは小花しか見てないし、別の相手を探したほうが有意義!」

 百合本が言ってくれた。女子たちは返す言葉がないらしく、何か「くっ」とか「うっ」とか喉に詰まったような顔をしていた。

「あんたも何か言えば!」

 背中を強い力で叩かれる。急に百合本から話を振られてびっくりしたが、俺も俺で言いたいことがあったし、ちょうど良かった。

「あの、日中のことは悪く言わないでほしい。俺はこんなだし、色々言われても仕方ないって思うけど。ここ最近、恋人ってだけで甘えまくっていたのは本当だし。でも、そんなんじゃ駄目な気がしてさ。いくら日中から変わらないでいいって言われても、何かしないと振られたりすんのかな? どう思う?」

 なぜか、話の方向が相談みたいになっていった。女子たちは、かなり戸惑っているみたいだった。さっきの威勢はどこへやら「や、わたしに聞かれても」と呟く。

「じゃあさ、どうすれば、長続きすると思う?」

「そ、そりゃ、お互いを大切に思うってことじゃない? ね?」
「そうじゃないの。し、知らないけど」

 大切に思う、か。確かに、今までの俺は日中を大切に思っていたかどうか、疑問が残る。一方的に大切にされて、甘えてばかりだ。今のままじゃ、駄目だと言うことか。参考になる。

 「あれ、どうしたの?」と俺の肩に手を置く人が現れた。さっき別れたばかりなのに、懐かしく感じる。優しい顔に、声。日中の登場に一気に体が温かくなった。

「あ、いいとこに日中くん。この子たちが日中くんに聞きたいことがあるんだって」

「僕に? 何かな?」

 百合本の会話のパスにより日中が女子たちに近寄ろうとすれば、「な、んでもないです」と、ふたりは教室から去っていった。百合本はひーひーと悲鳴を上げながら腹を抱えて笑う。

「あー、いい気味。結局、本人を前にしては言えないんだよ」

 性格悪く笑っているけど、百合本のおかげで曇っていた気持ちが晴れた。

「百合本、ありがとな」

「勘違いしないでね。全部日中くんのためだから。ていうか、本当なら真っ先にあんたが言い返さなきゃだめでしょ」

「そうだよな」

 確かに言われた通りだった。百合本の言葉は耳が痛くなるほど、当てはまる。黙ってやり取りを見ていた日中がふっと笑った。

「百合本さん、小花を助けてくれたんだね。ありがとう」

 同じ感謝の言葉でも日中が言えば、百合本のテンションは思い切り上がるらしい。日中の笑顔がとびっきり輝いて見えるのも俺だけじゃないだろう。

「そんなお礼なんて!」

 声と同じ勢いで、日中に迫る百合本の構図ができた。

「本来なら百合本さんじゃなく、僕が助けないといけなかったのに」

「はは、日中くん。今日も全力で小花を甘やかしてるね。ムカつくわ、はは」

 ふたりが向かい合っている。俺はその距離が気に食わなかった。日中とそれだけ近づけるのは俺だけだと思いたかった。

 強引になるかもしれないが、百合本の肩を掴むと、後ろに引っ張った。反動で百合本の背中が俺の胸板につく。怒った百合本がこちらを振り返った。

「何すんの」

「ごめん。でも日中に近づくのはやめてほしい。何か、ムカつく」

「あんたね」

 呆れたような百合本は俺の手を払おうと手を伸ばした。しかし、その前に俺の手を掴んだのは日中だった。

「ひ、日中!」

「僕もね、小花が百合本さんに触れただけでムカつくよ」

 ぎゅっと強く握られて痛い。なのに、この痛みまで嬉しいと感じてしまう俺は、かなりやばい。

「小花」

「日中」

 あんなに落ちこんでいた気持ちはどこへやら。日中の目を見つめている間は、周りの目は気にならない。

――ああ、このまま抱きしめられたい! こっちからも抱きしめたい!

 日中と一緒にいると、どんどん欲が深くなっていく。見つめられたら見つめ返したいし。ちょっとでも指が触れたら手を握りたくなる。何なら、キスだってしたくなる。

 そんな邪な思考を見透かすように、百合本は「いちゃいちゃしやがって」と吐き捨てた。腕組みをして俺だけを睨んでいる。

「うっ、ごめん」

 ぱっと手を離して百合本に謝った。

「これでも失恋の傷はまだ癒えてないんだからね」

「ごめんね、百合本さん」

「いいの! 日中くんはそのままで!」

 慌てたように取り繕おうとする百合本がいる。あまりにも態度が違いすぎて、ちょっと悔しかった。


 翌朝、スマホのアラームが鳴ってからすぐに飛び起きた。いつもは日中に起こしてもらってから行動していたが、今日からは違う。

 とにかく少しでも日中離れしたい。ちゃんと自立した姿になって、日中の隣を堂々と歩きたい。

――女子たちも言っていた! お互いを大切に思うこと! 甘えるだけじゃ駄目だ!

 そういう気持ちで朝起きて、日中が部屋に来る前に支度を済ませた。

「あれ? 小花、起きてるんだ。しかも着替えも終わってるね」

「明日からは起こさなくてもいいから! 自分で起きるからな!」

 気合いを入れたのに、日中は「うん、そっか」とあんまり嬉しくない感じだった。

「俺、日中の隣にずっといたいから、がんばろうと思って。周りのやつらに何を言われても笑い飛ばせるくらい強くなりたい。そのくらい、日中のそばにいたいんだ。……もしかして、迷惑か?」

 何だか自分で言っていて、途端に自信が無くなってしまった。日中も日中で陽の光を顔に浴びながらぼーっと固まったままだし、何にも言ってくれない。さすがに不安になってくる。

「日中?」

 声をかければ、ようやく日中の時が動き出した。

「あ、えっ、迷惑じゃないよ。小花がちゃんと僕のことを考えてくれて嬉しい。でもさ、休日とか、僕の家に泊まるときはだらしないままでもいいからね。僕も世話したいし」

「お、おー」

 世話って言われるとちょっと恥ずかしい。何にせよ、日中が納得してくれたから良かった。

「何か、小花だけが先を行くの、寂しいな」

「何言ってんだよ。俺は日中に追いつこうとしてんだ」

「……うん」

「それにさ、時間が余れば、こうやって日中と過ごせるし……」

 顔が熱い。クソ恥ずかしかったが、日中のブレーザーの端っこを引っ張った。ようは抱きしめてほしいっていう気持ちで。

「そうだね」

 ぎゅっと日中の腕に抱きしめられた。「小花、好きだよ」と囁かれる。

「俺も好き! 日中、大好き!」

 明日もあさっても、日中のそばにいたい。俺の頭の中は、とりあえずそれだけ。

〈おわり〉
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