忘れろは、嘘
第3話【望んだ結末】
あんなことがあっても、新しい朝はやってくる。登校してきた邦紀は、教室の前で蒼空と顔を合わせる。
目が合った。口を開く。いつも通り、落ち着け。呼吸してから、邦紀は第一声を上げた。
『はよ』
ふたりして同時に挨拶した。
大しておもしろくもないのに、揃った声にふたりで馬鹿笑いする。
まるで昨日の告白がなかったかのように、友達のままだ。端から見ても関係は変わっていない。邦紀が望んだ結末だ。
これでいいと言い聞かせるのに、邦紀の気持ちは晴れない。蒼空の横顔を眺めていると、トゲの刺さった部分がうずいてくる。
逃げるように教室に入ろうとした邦紀の腕を蒼空が引き止めた。
蒼空は笑い顔を締めることもなく「昨日のことだけどさ」と切り出した。邦紀は一瞬で高鳴る心臓を忌々しく感じたが、どうにか顔には表さなかった。
それでも視線は語りたがるから、蒼空からできるだけ反らした。そして、どうにかこの場を乗り切る言葉を探す。
「蒸し返すなよ。あそこで終わっただろ」
「そうだよな」
無自覚な蒼空の言動のトゲが、胸の奥を突き刺してくる。
「忘れろって」
本当は念を押すように言いたくはなかった。
「わかってる。こっちも忘れたいし」
また痛みだした。見えないこのトゲがいずれ消えてくれるんだろうか。自分では抜けない。ただ時間だけが解決してくれるのを期待するしかなかった。
数日後、蒼空が女の子とつき合い始めたという噂が流れた。
単なる噂だと、邦紀は信じていなかった。
付き合う前に、蒼空から相談があってもいいだろう。これまでひとことも相談がなかった。本人の口から聞くまでは、噂は噂でしかない。
しかし、昼休憩に入ってすぐ本人に問い詰めると、あっさり噂を事実だと認めた。
「つき合ってたのか、ホントに」
「ん、3日前くらいから」
「告られたのか?」
「向こうからね、好きだって言われた」
「で、好きになったのか?」
「まあ、お試しみたいな?」
可愛ければ、お試しでもつき合えるのか。蒼空は好きでもない人とつき合えるのか。好きな人にしか、キスできないと言ったくせに。
邦紀は苛ついていたが、やはり顔には出さなかった。それこそ長年、蒼空を想ってきた弊害だった。
「……邦紀、寂しいの?」
寂しいくらいでは足りない感情が溢れていたが、邦紀は首を横に振る。
「別に寂しくねえよ。せいぜい仲良くしとけ」
「そうする。初カノだしな」
ずっとこうなることを恐れていた。いつ来てもおかしくなかった。諦めるのが早まっただけだ。
邦紀は蒼空を見ないようにした。今視界に入れれば、泣けてきそうだった。早く教室を出たいのに、蒼空はなかなか引き下がらない。
「つうか、邦紀は、いつもどこにいってんの?」
「外でメシ食ってる」
表向きは戻ったように見えて、邦紀の方はできるだけ蒼空から離れたかった。その策として、後輩の充と昼飯を食べることにした。
そこで皮肉にも、蒼空にすきが生まれ、女子とつき合うことになったのだろう。考えれば考えるほど忌々しい。顔の知らない女子が憎い。
「外?」
「そう。後輩とメシ食ってる」
「後輩って男?」
「まあそうだけど」
女子と昼飯だったら、少しは蒼空が嫉妬してくれるだろうか。そんなことを考えてしまう自分が馬鹿すぎて、邦紀は内心笑った。
「ふーん、仲良いんだね」
「まあな、可愛いやつなんだよ」
充はやたらと人が食べている様を見てくる。恥ずかしいが、ベンチで並んで食べるのも良かった。
邦紀が後輩を思い浮かべて笑っていると、蒼空は「へー」と気のない相槌を打った。
邦紀はそれを興味がないのだと解釈して、話を終わりにした。間違っても、蒼空が彼女と一緒にいるところなんて見たくない。足早に教室を後にした。
花壇の近くにあるベンチが、ふたりの落ち合う場所だった。
邦紀の隣には、膝の上で弁当を広げた充が座る。すべてがいつも通りだ。蒼空に乱された心が落ち着く。こうやって、自分の気持ちから逃げ続けた。
――12月に入った。外で食べるには寒すぎる。マフラーとブレザーでは限界が来ている。でも、やめなかった。
はじめは文句を垂れていた充も慣れたのだろう。何も言わないで、一緒に食べている。
邦紀といえば、購買で買ったパンをすでに平らげていた。「まだ足りねえ」と言った口に、充は自分の箸を使って卵焼きを放りこむ。
しかも弁当の中身を取られるのを嫌そうにしていない。むしろ、邦紀に「食べてください」とすすめてくる。
充の体の線が細いのは、あまり食べたがらないからだろう。以前、「食事の時間が一番、どうでもいいんですよね」と言っていた。
その割には弁当を残したところを見た試しがない。邦紀が手伝っていることも関係しているだろうが、いい意味で口だけだと思っている。
そしゃくする邦紀の横顔を眺めながら、充は「せんぱい」と声をかけてきた。飲みこんでから、「何だー?」とたずねた。
「もう、言ってもいい頃だと思うんですけど」
「おー、何?」
聞いたものの、充はなかなか次を話そうとしない。うながすべきか、待つべきか、邦紀は考えるだけ考えた。
充にとって、長く時間をかけなければならないほど大事な話なのだろう。だったら、充の言葉を待つべきだと思った。
隣から深呼吸の音が聞こえた。話す決意が固まったのだろう。
「……やっぱりいいです」
「はあ? 何だよ」
「ほら、これも食べて」
充は話を逸らすようにウインナーを差し出してくる。疑問は解消されないままだ。
だが、いただけるものは粗末にできないと、ウインナーに食らいついた。飲みこんだ後に、充が前触れなく言った。
「俺、せんぱいのこと好きです」
邦紀は驚きで思わず咳こんだ。
思いもしなかった。後輩からの告白に頭が真っ白になっていった。
「逃げ場所にされるのはもううんざりです。まだ、せんぱいは振られてないじゃないですか。怖がってばかりで、情けない。そんなんじゃ、そこから一歩も動けませんよ。……だから、せんぱいのために俺が振られることにしました」
充が笑う。なのに、充の指は震えていて、全然平気でないことが見て取れる。振られることがわかっているのに、好きと言ってくれたのか。勇気を出して。
邦紀は全身が熱くなる。
「ごめんな、充」
「わかってます」
「泣くなよ」
頭を撫でようと手を伸ばした。
「泣きませんよ。でも、ひとりにしてください」
充の震える声に、手を下ろした。応えられない自分が触れていいものではないと気づいた。
「……振られたら、またここに来てください」
「振られる前提かよ」
「俺とすれば、そっちのほうがいいんで」
「そこは幸せを祈っておけよ」
「無理です。好きなんで」
「おう……ありがとな」
ここにいるべきじゃない。邦紀はベンチから立ち上がった。
充の告白を受けて、勇気が少しだけ湧いてきた。自己満足に終わったとしても後悔だけはしたくない。蒼空のことを、ちゃんとしたいと思えた。