窓際は失恋の場所
3 【永露の好きな人】
「えっ?」
永露はそれ以上、話をする気がないらしく、定位置になりつつある窓際へ歩いていく。
「ええっ?」
おれは遅れて、もう一度反応した。
それってつまり、永露は、おれと末久が友達でいるのを良く思っていない。近づくなと言っている。
考えれば、末久は陸上部。陸上部の練習風景を見て、微笑んでいたのは末久がいたから。永露はたぶん、末久のことが……。
おれはそこまで来て、考えることをやめた。
これ以上、ふたりの問題に関わってはいけない気がしたからだ。
◆
翌日。関わりたくもないのに、末久は向こうからやってきた。同じクラスだし、席も近いので、遭遇するなというのは難しい。
あいさつぐらいはするが、しつこい末久はそれだけでは許してくれなかった。朝からじゃれついてくる腕を振り払う。
「見原、何だよ、ノリ悪いな」
「ノリでこんなことするな」
単なるノリだとしても、末久とおれがじゃれ合うことをよく思わない人間がいる。特に永露というイケメン。
おれはすぐさま席に着いて、ざっと辺りを見渡した。永露が見ていないか。冷えきった目がこちらをにらみつけていないか、確かめる。
とりあえず、まだいなかった。一息つく。
「どうした、見原? 何かあったのか?」
末久は、おれの机に両手を突いて、横から顔をのぞきこんでくる。
事情も何も知らない末久の態度がムカつく。こいつのせいで、おれは永露に嫌われた。あんな牽制までされた。末久に近づかないようにと、気づかいもしなくちゃいけない。
「末久、もうおれに構うな。話しかけるな」
「いきなり、何だそれ。マジで見原、どうしたんだよ」
言葉で遠ざけても、末久は距離を詰める。うっかりしていたら、永露が嫌がる距離になるだろう。だから、もっと決定的な強い言葉を探す。
「どうもこうも、うっとおしいからだよ!」
末久の顔を見ずに口にしてから、自分でも気づいた。でかい声で言い過ぎだった。
「そうか、しつこくして悪かったな」
低く言いながら、末久はどんな顔をしていたんだろう。理不尽なおれの訴えに対して、本当に謝っていたんだろうか。
末久が諦めてくれたのだからと安心しないとならない。なのに、このモヤモヤしたのは何なんだ?
長い息を全身から吐き出せば、力が入らなかった。だらっと椅子に体を預けて机に突っ伏す。
放課後までずっと、力は抜けたままだった。
着いた図書室の静けさが今はありがたい。リュックを適当に降ろし、カウンターの上に突っ伏す。
囲んだ腕のなかで目をつむると、誰とも目を合わさなくてもいい安心感がやってくる。
話したくない。特に永露には会いたくない。
目をつむっていたら、いつの間にか、眠っていたようだ。体感では一瞬だが、時計を見れば、10分ほど経っていた。
もしかしたらと、窓際を眺めれば、永露が定位置にいた。
開き直っているのか、文庫本すら手に持っていない。本当に呆れるほど、やわらかな表情で末久を眺めている。末久はその視線にすら気づいていないのに、よくやるよな。
「永露」
話しかけたのは気まぐれだ。もしかしたら、永露の邪魔をしたかったのかもしれない。
「よく寝てたね」
目は窓の外に向けられたままで、誰に話しかけたのかわからなかったが、よく寝ていたのはおれだろう。図書室にはおれと永露しかいないし。
「疲れてたから、永露のせいで」
「俺のせい?」
言うか言うまいか迷ったが、おれだけがこんなにも疲れているのはおかしい。永露には、おれのこうむっている迷惑を知っていてほしかった。
「昨日、近づくなって言っただろ? だからおれは、末久に『うっとおしい』ってひどいことを言った」
「ふうん、俺の言ったことを律儀に守ってくれたんだ」
「守らなきゃ、面倒そうだったから」
「確かに、それはあるね」
永露はくすくすと笑う。何がおもしろいんだか、理解できない。おれの言葉で笑えるところは、なかったはずだ。
ようやくこちらに視線が移る。笑顔も溶けて、真顔に戻っていた。冷たくも温かくもない、無色透明みたい色の視線だ。
「えーっと、きみの名前は?」
永露は、おれに興味なんか無いだろうに聞いてくる。
「おれは
「見原ね。あれ、俺の名前、何で知ってたの?」
「末久に聞いた」
若干、嘘だが、すべてが嘘じゃない。
「やっぱり仲良いんだね。ムカつく」
「仲なんか良くない!」と否定する間も与えず、永露の視線は窓の外に戻っていく。
そして、視線の先に向けて、小さく笑う。先程まで無表情だったのに、永露に感情を与えているのは末久だったりするのだろうか。
おれは永露の隣から窓の外を眺めた。男子陸上部の練習風景。グラウンドを走る部員たちの中から末久を探すのも大変だった。やっと見つけても、楽しみ方がわからなかった。
「見ているだけで何がおもしろいんだ?」
「おもしろい、とは違うな。末久が生き生きとがんばっている姿を見るだけで、すごく楽しい」
「へえ」
そんなもんかと見下ろしても、まったく楽しさが伝わってこない。どこに永露を笑顔にする要素があるのか探りたかったが、つまらなすぎてあくびが出た。本でも読むか。
窓から離れようとしたら、「あ」と永露の声がもれる。
「どうした?」
永露は口元に手を当てて、後ずさる。こんなに動揺した様子の永露ははじめてだ。深呼吸を繰り返し、震える人差し指で窓を差した。
「い、今、す、末久と目が合った」
「嘘だろ」
おれも驚いて窓に近づくと、確かに末久がこちらを仰ぎ見ていた。走り終えたのか、タオルを首に垂らし、足を開いてグラウンド中央に座っていた。
おれとも目が合う。手を挙げようか迷っている間に、末久は顔をそらし、立ち上がった。
いつもの末久だったら、にかっと笑って、手ぐらい振ってくれたはずだ。今は不自然にもなかった。
あの感じだと、おれの「うっとおしい」が、まだ効いているらしい。
「ど、どうしよう、こっそり見ていたのがバレたら」
永露は顔を赤らめて、おろおろしていた。こんな姿を前にして、イケメンが台無しだと思うのはおれだけか。それとも、女子はこんなギャップに可愛いと思うのだろうか。
「大丈夫だろ」
案外、あの末久なら、偶然目が合ったと思うだけじゃないだろうか。永露には悪いが、普通はそんなに恋愛には結びつけない。視線くらいでわかるわけないと思う。
「うわぁぁ」
永露はおれの慰めなんか耳にも入らないみたいで、奇声を上げながら、しゃがみこんだ。顔を両手で隠しているが、耳や頬は真っ赤に染まっている。
ああ、これは重症だ。