トラウマ・シェア

25【帰ってこない】


 朝も昼も夜も、カイはずっとツカサのことを考えていた。仕事をしている間は没頭できていいのだが、それ以外の時は、ほぼ頭を抱えていた。

 残業を終えて、ひとりで部屋に帰るのが辛かった。自分の部屋はこんなにも冷たかったかと、カイは身震いした。暗い部屋に照明が点いても、温かくない。

 テーブルの上の鍵がやけに自己主張してくる。もうこの鍵の主はいないと言っている。冷や汗が背中を流れた。

 嫌な予感がして、ツカサの部屋に入った。1日目の夜に寝室として提供した部屋だ。ツカサのトラウマのせいでまったく使わなくなった部屋だった。今ではツカサの荷物置き場になっていた。

 しかし、入ってすぐに気づく。ツカサのキャリーケースがない。事故物件の部屋から持ってきたはずだが、すっかり姿を消していた。

 もしやと思い、洗面所に行くと、ツカサの歯磨き粉、歯ブラシも無くなっていた。カイの私物だけが変わらずその場に残されている。今朝までのことが嘘のように、ツカサは消えてしまった。

 もうツカサは帰ってこない。これで確定した。

 今の状況を呑みこもうとするが、いきなりは無理だった。乾いた笑い声が漏れる。カイのいない間に荷物をまとめて出ていったのだろう。無理に残業をして帰宅時間を遅らせたことが、こんなことになるとは想像していなかった。

――今朝言っていたことは本気だったのか。

 疑うわけじゃないが、もう少しためらってほしかった。相談してほしかった。相談されても、簡単にはきっと受け入れられなかっただろうけど、今よりかはマシだ。

 カイはスーツがシワになるのも考えずに、ソファに寝転んだ。ツカサがしていたように横になり、目をつむる。淋しいだけでは足りない。喪失感だった。すべてが目の前から消えてしまった。

 今夜は抱き枕でも眠れそうな気がしない。ぬくもりが足りない。今朝の幸せな温かさは消えてしまった。

 「カイさん」と呼ぶ声。いつもは警戒心たっぷりなのに美味しいものを食べると無防備に笑うところ。ネコの動画に笑うところ。カイの言動に呆れても絶対に無視しないところ。やけに真面目なところ。

 何より、ぬくもりだった。本能のようなものだが、ツカサのぬくもりは安心できた。トラウマで怖いはずの自分が無意識な中で抱き寄せたのは、ツカサだった。

 どうやっても代わりがいなかった。抱き枕を相手に、こんな気持ちにはならなかった。

 ここまで来てようやく、カイは自分の気持ちに向き合った。

「会いたかった」
「抱きしめたかった」
「気に入っている」

 全部、嘘じゃない。だが、その言葉の中に隠していた感情がある。自分で言い当てる前に、通知音が鳴った。

『今までありがとうございました』

 カイはツカサのメッセージを表示したままのスマホをラグの上に投げ出した。初めて返信する気が起きなかった。
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