窓際は失恋の場所

24【永露の“好き”】


 え、あ、と戸惑うような濱村さんの声が耳に届いた。目線の先には永露がいる。

 永露はスクールバッグを右肩にかけて、ネイビーブルーの傘を持っている。

 濱村さんの持つ真っ赤な傘と対照的だ。傘の下から青い顔をした永露がにらみつけてきた。

 息づかいが荒いのと、靴が泥を跳ねているのを見ると、途中、走ってきたのかもしれない。何でこんなに必死に? と疑問が湧く。

「何で、ここに? 末久は?」

 結局、真っ先に頭に浮かんだ疑問をぶつけた。

 ぶつけられた永露は顔の上半分を傘に隠して、口を開いた。

「やっぱり、泣いてた見原が気になって、ここまで引き返してきた。末久には先に帰ってもらった」

 濱村さんがいる手前、泣いていた事実は隠して欲しかったけど、おれには余裕がなかった。

 ただ嬉しい。今日だけはおれを優先してくれる永露に「そっか」と返した。

 できるだけ平静を装ってぶっきらぼうになった。少しでも感情をゆるめたら、のぼせた気持ちが面に出てしまうからだ。

「で、濱村さんと何してるの?」

 永露がすかさず聞いてくるので、戸惑った。おれが「あ、えーと」と言っている間に、濱村さんは「話をしてたんです」とはっきり応えた。

「何を話してたの?」

「わたし、遠慮とか柄に合わないので言いますが、永露せんぱいが見原せんぱいを振るだろうって話です。末久っていう人を好きだから」

「俺が見原を振るって?」

 そんなまさか、とでも言うかのようにおれを見つめてくる永露。目を丸くして、驚くような仕草に、こっちの方が戸惑った。

「違うんですか? 何を驚いてるんです?」

 濱村さんが言葉と歩みで永露に迫っていく。迫られると同時に後退していく。

「や、あの……」

 永露は濱村さんからの畳み掛けに、どもりまくった。

 助け船を出そうか迷っている間にも、濱村さんの怒りが弾けるほうが早かった。永露とおれを交互ににらみつけて、「もう!」と吐き捨てる。

「そういうの、ホント迷惑ですから。もう二度と、わたしを巻きこまないでください。ふたりはもう一生、ふたりの世界で勝手に仲良くすればいいんです! さよなら!」

 捨て台詞を吐いて去っていく濱村さんを、おれと永露はそろって見送った。呆気に取られたというのが正しい。

 お互いに目が合うと、一気に恥ずかしくなってきて、どちらともなくそらした。

 雨音が静かになってきた。傘はなくてもそんなに濡れないだろう。

 折り畳み傘を開かずに、永露の隣に並ぶ。傘に入れろよと言ったわけでもないのに、おれの頭上に差してきた。

 傘の下の青い空間で永露と視線が交わる。どくどくと耳の奥がうるさい。

「濱村さんに言ったけど、本当に見原を振るつもりはないよ。だから、話を最後まで聞いてほしい」

 永露はいつになく真剣な瞳で、おれに懇願する。傘を持つ永露の手が震えている。

 たぶん、寒さだけでなくて、臆病な自分と戦っているんだろう。どうにか、おれに伝えたくて、それだけの気持ちだけで、自分を奮い立たせているみたいだ。

 断る理由がなかった。

「わかった」

 一息吐いた後で、永露は話し始めた。

「ずっと、俺は末久が好きだった。見原に言ったけど、あの頃から好きだった。
でも、どうやっても『好き』って言えなかった。こんな気持ちは末久を困らせるだけだって。見ているだけで十分だってことにした。バレないように、あの図書室の窓際に通ったんだ。
……実際は自分のことしか考えてなかった。情けないぐらい自信がなくて、傷つきたくなかった。
本当は見ているだけじゃ、物足りなかったくせに。その気持ちだけは見ないようにした。
見原を通して、末久との距離が近づけば近づくほど、好きだって気持ちは強くなったんだ。
なのに、俺は好きって言えなかった。

結局、末久は別の子と付き合って、何もできない俺はあっさり失恋だよ。
苦しくて、辛くて、こんな目に遭うなら、言っておけば良かったって何度も思った。
もし、次に誰かを好きになれたら、絶対に好きだって言おうって。
そう思ったのに、今また、怖じ気づいてる。怖くて仕方ないよ」

 情けないだろと苦笑いする永露を笑う気にはなれない。怖くて当たり前だ。

 おれは幸い、怖さよりも初めての感情が溢れて洪水を起こして、「好きだ」と言えた。永露はきっと、自分の感情を冷静に見てしまうから言えないんだ。

 おれは無理してほしくなくて、永露の傘を掴む手に自分の手を重ねた。雨の湿気か、濡れた手。表面は冷たいけど、その芯はきっと、温かいに違いない。

 ぴくっと、永露の指が動いた。そして、大人しくなる。

「でも、見原には言いたいんだ。どうしてもこの気持ちを伝えたい」

 おれは待った。

「……きだ」

 掠れた声がもう一度、言い直す。

「見原のことが好きなんだ」

 一度、好きだと告げたら、永露のなかのタガが外れたのかもしれない。聞いてもいないのに、おれを好きになった経緯を説明してくれた。

 はじめは1ミリも興味なかったらしい。それなのに、何度も声をかけられて、まあ友達くらいならいいかと思った。

 ここから永露はだんだん、声を詰まらせていく。

 いつしか、そばにいるのが当たり前になった。好きだと気づいたのは、失恋した情けない自分をどこまでも肯定してもらった時らしい。窓際でのあれだ。

 最近ますます本に集中できないのは、おれを盗み見ていたからだそうだ。

 物憂げに窓際を眺めていたのは、いつ告白したらいいか、考えていたらしい。

「だから、見原が俺と末久をくっつけたがるのが嫌だった」

「それで、おれには関係ないだろって言ったのか」

「うん、でも、言い過ぎた。一方的に泣かせてごめん」

 おれは首を横に振る。あれくらい迫られなければ、「好き」だとわからなかった。

「いいんだって」

 顔を見上げて笑いかけた。永露が自分の気持ちを伝えてくれたことがただ嬉しくて仕方ない。

 永露の目が丸くなる。口がだらしなく半開きだった。

 「それだよ、それにやられたんだ」と呟いたのはどういう意味なのか。

 何にしても、こんな愛すべき永露にどうしても改めて伝えたかった。

「永露が好きだ」

「……俺も」

 照れたように返ってくる言葉に、おれは満足してまた笑った。
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