窓際は失恋の場所

23【振られること】


「見原、ごめん」

 永露の掠れた声。困らせるつもりはなかった。末久を好きな永露に、告げていいものじゃなかった。

 自己満足。自己中。ひとりよがり。いくら自分を下げても足りない。

「こっちこそ、ごめん」

 情けないけど、鼻水が垂れてきそうで、鼻をすする。

「いや、俺、卑怯だなと思って」

「卑怯?」

「見原を一方的に責めて泣かせた」

 いたわるような優しい声が信じられなかった。椅子の脚が床に擦れてから、足音がこちらに近づいてくる。おれの横で音が止まった。

 背中に触れた温もりに、おれは驚いて息を呑む。永露の手が押し寄せる感情を落ち着かせるように、ゆっくり背中をさすってくる。

「永露?」

「ごめん、大丈夫?」

 永露の声が鼓膜を震わせる。あまりに近いところからの声で、ますますおれの涙は退いた。

「だ、大丈夫だから! 顔、近いって!」

「本当に、大丈夫?」

「大丈夫だって!」

「あのね、さっきの告白の返事だけど……」

 どっと汗が吹き出した。涙で枯れたかと思った水分が、おれの手からわき出てきた。聞きたいけど聞きたくない。耳を塞ぎたくなる。

 永露が次の言葉を言おうとしたとき、「おーい!」という声が阻んだ。

 末久だ。部活が終わったのだろう。玄関入り口で待っていなかったおれたちを、わざわざ迎えに来てくれたようだ。

「この顔じゃいけないから、永露、先行けよ。落ち着いたら追いかけるから」

「でも」

「末久にこんな顔、見られたくない」

 絶対、理由を聞かれるし、説明も今はしたくない。永露に振られるにしても後日、改めてしてほしい。それまでに心構えをしておくつもりだった。

「おーい! どうしたー?」

「早く行けよ。末久がこっちに来ちゃうだろ」

「わかった。先に行くね。今、行く!」

 永露が末久に話して、おれが図書室でまだ用事があることにしてくれた。

 「じゃあ、先行ってるな」と断る末久に対して、背を向けたまま、手を上げて応えた。

 ふたりがいなくなって、ようやく安心できる。本を片づけて、ひとりテーブルに戻り椅子に座る。

 まさか、初恋の相手が永露だとは。自分の気持ちを自覚してすぐに告白するとは思わなかった。

 もっと段階を踏んでいれば、うまく告白ができたんだろうか。応えてくれると期待できたんだろうか。

 重岡ちゃんにも言ったように、永露は好き嫌いがはっきりしている。

 おれの気持ちを知ったところで同情はしないだろう。確実に振られる。友達としても無理かもしれない。

 だけど、不思議と後悔はなかった。永露を好きになれた自分が誇らしい。最後まで泣いたおれに優しくしてくれた。

 失恋は確定だけど、もやもやした気持ちが晴れてさっぱりした。

 今までの嫌な気分は、おそらく嫉妬だったのだろう。恋なんかしてないと思っていたのに、ちゃんと嫉妬していたのか。

 不可解だった自分の行動の意味がようやく解けた。

 遊園地の時も。泣いている永露を放っておけなかったのも。全部つながった。

 目の腫れも良くなってきたし、そろそろふたりを追いかけようと思う。

 図書室の戸締まりを済ませて、生徒用の玄関入り口まで歩く。リュックを背負って、折り畳み傘を片手に持ちながら行く。外に近づくにつれて、雨の匂いが濃くなってきた。

 今まさに真っ赤な傘を咲かせて、雨の中を行こうとする女子の後ろ姿を見つけた。スクールバッグを右肩にかけている。

 後ろ姿を見ただけでは誰だかわからなかったけど、「あー、もう、雨降ってるし」という悪態の声で気づいた。

「濱村さん?」

「へっ?」

 濱村さんは後ろを振り向き、傘を左肩にかけた。斜めになった傘の下から濱村さんの顔がのぞいた。

「見原せんぱいじゃないですか」

「今、帰り?」

「今まで居残ってたんです。こう見えてわたし、学級委員なんで、先生から雑用を押しつけられるんです」

「そうなんだ」

「せんぱいは、どうして、ひとりなんですか?」

 おそらく、いつも隣に永露がいるから、疑問に思って聞いてきたのだろう。濱村さんは目をきょろきょろさせる。

 末久と先に帰ったと言えば、濱村さんは信じられないと言葉に表した。

「末久って、永露せんぱいが好きな相手ですよね。いわば、敵ですよ、見原せんぱい。まさか、せんぱいはまだ、永露せんぱいを好きじゃないって言い張るんですか?」

 濱村さんは末久の存在を知っていたらしい。

 確かに窓際から見える位置とか、普段の永露を見ていれば、末久の存在を知るだろう。実際おれはそうやって知ったし。

 それでも、濱村さんはおれの心境の変化は知らないはずだ。

「それがさ。今さっき、永露に好きって言った」

「ええっ!」

「たぶん、振られると思う」

「せんぱいでもダメだなんて……何か、腹が立ってきます。どれだけ末久が好きなんですかね、あの人は!」

 濱村さんの元気は変わらないようで安心した。永露を「あの人」、末久を「末久」と言っちゃうあたりがおかしい。

 あははと笑うと、「そんな呑気に!」と叱られてしまった。

「だって、しょうがないだろ。永露の気持ちは永露にしかわからないし。他人がどうにかできるわけでもない。おれだって、どうにもできないで、ここに来て一気に爆発した。濱村さんもそうだったから、告白したんだろ?」

 少しでも永露の心が揺れたらなんて期待を持って。

「結果はさんざんでしたけど」
「それな」

 ふたりで顔を見合わせた。濱村さんは悲観的な顔じゃなかった。たぶん、おれも。口元から笑いが漏れる。

 だけど、しばらくして、濱村さんは我慢するように唇を噛んだ。濱村さんの目尻から涙がこぼれたのは、笑ったからだけではなかった。おれも鼻をすする。

「どっちも諦め悪いなぁ。せんぱいも、わたしも」

 せんぱいって、永露なのか、おれなのか、どちらかわからないけど「そうだな」と応える。

 濱村さんの目に浮かんだ涙がまるで自分を見ているようだった。

 ついさっき泣いた自分もこんな感じだったのだろう。可哀想というよりかは、おれもその気持ちがわかるという共感からだった。涙を拭おうと手が伸びた。

 水を含んだ土を踏みしめる音がした。

「何してるの?」

 その声に反応して、自分の指が宙で止まった。
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