窓際は失恋の場所
22【永露が好き】
11月も終盤に差し掛かった頃、その日は、朝から天気が悪かった。昼にかけて、いくらか風は弱まったけど、雨が諦め悪く降っている。
陸上部の末久は室内でトレーニングをするらしい。こんな日でも部活は休みにならないようで、単純にすげーと感心した。
窓の外が曇っているせいか、図書室のなかはいつもより薄暗い。
白い照明が明るく感じられて、文字を追う目が早々に疲れてきた。まだ半分も読んでいないのに、休憩したくなる。
永露とふたりきりのテーブル。お互い向かい合わせになって、席に着いていた。
顔を正面に戻せば、永露が本を閉じているところだった。
おれが選んだ本だったけど、永露には刺さらなかったらしい。本当に刺さりにくい体質をしていると思う。この前の読みきった一冊が奇跡だったのだろう。
「もう読まないのか、それ」
おれは気になって、文庫本の表紙を指差す。雨がモチーフの現代小説だ。今の天気と照らし合わせて、適当に選んだものだけど、読まれないのは悲しい。
「ん」
「実写化されたり、一般の評価は高いんだけどな」
「何か集中できなくて」
永露は窓の外に目を向ける。部屋の照明が明るければ明るいほど、顔にも影ができる。
おれと同じ目の色をしているのに、感情を読み解くのは難しい。それでも遠く見据えた先に、末久がいることは想像つく。永露にとって図書室の窓は特別だからだ。
物憂げそうに一息吐くだけでも、様になっている。頬杖を突いて横顔を見せるだけで、恋に落ちる人はたくさんいるだろう。
これからだって、永露はいろんな人に好かれる。その度に「好き」と言われるだろう。つき合ってほしいと懇願されるに違いない。
いつか、その「好き」に心を動かされて、誰かとつき合ったりするのだろうか。末久でもなく、濱村さんでもなく、他の誰かと。
そこで、やけどしたように胸が痛む。
「見原?」
「いや、何でもない」
永露自身が末久以外を望むことは今のところ無いだろうに、変な想像をしてしまった。一度は何でもないと否定したものの、おせっかいが顔を出す。
「末久のこと、どうすんだ?」
頭の端っこで引っかかっていた。一見すると、おれたちは仲のいい友達のようだけど、実際は違う。友達ではなかった。少なくとも永露だけは違うはずだった。
好きという気持ちを抱えたまま、友達のふりをするのは、辛い。
おれにだってそれくらいはわかる。ただ、心配なんだ。
永露は顔を正面に戻して、おれの瞳を見た。温かみのない、冷ややかな目でじっと見てくる。感情を打ち消したような真顔をした。
「どうって?」と、おれに問いかけてくる。
ひるみそうになりながらも、おれは諦めなかった。永露にとって大事なことのように思えたからだ。
「好きって、伝えないのか?」
「今さら伝える必要はないよ」
「別に今さらじゃないだろ。まだ、好きなら……」
「あのさ! 見原はどうして、俺と末久をくっつけたがるの? 見原には関係ないことなのに」
確かに関係ない。当事者は永露と末久。おれはそのふたりを眺める外野に過ぎない。
「そうだな」
何にも反論できない。
素直に答えただけなのに、目の前の永露の顔が歪む。眉間に力を入れたときにできるシワが深くなる。
傷つけるつもりはなかった。ただ、笑っていてほしかっただけなのに、どこで間違った?
「俺が他の誰かとつき合っても、見原は大丈夫なの?」
永露はおれにとどめを刺すように、鋭く問いかけてきた。
「大丈夫……」
へらっと笑うつもりだった。自分は大丈夫だと信じていた。それなのに、どうやっても口の端が動かない。
永露が末久とつき合う場面を想像する。
ふたりが互いに顔を合わせて、はにかむように笑う。たわいない会話を続ける。顔を寄せる。
おれはそんなふたりの様子を端から眺めていた。
――永露。
名前を呼ぶ。おれの声は永露には届かない。
おれは、その場にしゃがみこんだ。すがることも憎むこともできないまま、ただそこにしゃがむ。
おれは永露に気持ちを伝えられなかった。あの時の永露のように、何も言い出せなかった。
自分の行動にいちいち後悔した。自分の感情や熱が消えていくのを待つしかないのだと思ったら、首を絞められるように苦しかった。
そうして、一歩も歩き出せなくなった。
現実に戻れば、胸が苦しくて、ニットの上から胸をかきむしる。目頭が熱くて熱くて。眉間に力を入れるけど、ぐぐっと感情が押し寄せてくる。
視界がぼやけて、永露の顔を歪ませた。色がぐにゃっと混ざり合って見えなくなる。
瞬きをすれば、涙が落ちた。落ちても次の涙が運ばれて、頬を伝っていく。乱暴に手で涙を拭って、鼻をすする。
ひどい顔を見せたくない一心で、膝に視線を落とした。
「好き……だ。おれは永露が、好きだ」
唇が震えた。永露が誰かのものになるなんて、想像するだけで堪えた。ずっと、浮かびかけては、この気持ちを消してきた。口にしてみれば、一番しっくりきた。
そうだ。おれは永露が好きだ。
窓の外を眺めて微笑む永露も。雨の中、失恋して泣きじゃくった永露も。窓際で忘れられないと嘆いた永露も。おれに好きなバンドや曲を教えようとする永露も。本が苦手な永露も。今は何にも言わない存在だけの永露も。
おれのなかには永露しかいない。こんなの、どうやったって好きでしかない。
おれは永露が「好きなんだ」。