眩しい笑顔

15【うるさい心臓】


 もやもやしたまま、普段より時間をかけて歯をみがいた。そのせいで、すっかり口の中がミントの香りで占められている。

 俺と違って、日中はさっさと歯をみがき、洗面台を離れた。「先に行ってるね」と言葉を残して。

 たぶん、日中は誤解している。俺の変な態度のせいだ。キスされたくないってことになってしまった。

 洗面台の鏡には、アホ面した俺しか映っていない。日中はよく、こんなやつを好きになってくれたと思う。

 どこが良かったんだろう。俺のどこに日中の心にとどめるものがあったんだろうか。日中が後悔していたらどうしようと考える。どんどん、日中の気持ちを疑っていく自分が嫌だ。

 ――本当は、日中と、もっと、キスしたい。

 伝えたら、日中はどんな顔をするだろう。いつもみたいに笑ってくれるだけで、このもやもやも晴れる気がするんだ。

 自分の部屋に戻ると、日中はすでに布団の上で横たわっていた。スマホの画面を眺めている。ゲームでもしているんだろうか、指だけが動いている。

「日中」

「あ、電気消す?」

 日中はスマホから視線を外して、こちらに目を向けた。俺は首を横に振った。

 日中の布団の横に座る。膝を抱えて、顔をうずめるみたいにした。

 息を吐き出して落ち着いたら、顔を上げた。日中も上体を起こして、あぐらをかいていた。俺が話すのを待ってくれているのだろう。そういう優しいところがますます緊張する。

 でも、伝えないと、きっと後悔する。

「日中、あのな……俺、キス、嫌じゃなかった」

 声が震えているのは自分でもわかった。すっごい恥ずかしい。いっそのこと、電気を消して顔を隠したいくらいだけど、俺は日中の瞳に目を奪われて動けなかった。

 目がこぼれ落ちそうなほど瞼を開けて、「えっ」と驚いている。驚かしてごめん。だけど、この先に続けようとしている言葉で、もっと、驚かすかもしれない。だとしても、一度駆け出した感情は、止まらなかった。

「もうしないなんて、嫌だ。もっと、してほしい。俺からもしたい!」

 声の勢いのまま、日中の首に抱きついた。かわき始めた襟足が腕に触れる。くっついた頬も、日中のぬくもりから離れたくなくて、力をこめた。

「ごめん」

 背中に回った腕に安心したのに、日中の謝罪が台無しにした。

「何で謝るんだよ」

 呆れて腕をゆるめて、日中を顔を眺めたら、苦笑していた。頬が赤いように見えるのは、俺の錯覚かもしれない。

「僕が言葉足らずだったからだよ。もうしないって言ったのは、“もう不意打ちにキスしない”って意味だったんだ。今度からはちゃんと断ってからしようと思って」

「えっ?」

「だから、今からするよ」

 混乱している間に、俺の頭が引き寄せられた。日中の顔が当たっていた。

 もちろん、ぶつかっているのは唇同士だ。ただ、一瞬ではなかった。これがキスだとわかるくらい、長くやわらかく包まれる。

 瞼を伏せれば、日中の温かさとやわらかさが直接感じられる。好きが溢れてくる。俺は日中が好きだ。

 離れていくと同時に、唇が冷えてくるのが淋しい。至近距離にある日中の瞳は、綺麗に潤んでいた。俺はその瞳に吸いこまれながら、声に出していた。

「日中、好きだ」

「僕も好きだよ、小花」

 この距離で笑顔はやばい。心臓が取れちゃうんじゃないかと思うくらい、暴れている。

 今さらながら、布団の上で日中に抱き締められている事実に、俺のキャパは限界をこえた。

「も、いいよな!」

 電気のスイッチを思い切り消して、甘い雰囲気をぶち壊す。こうするしか、断ち切る方法がなかった。

 布団を被れば、日中の笑い声が聞こえてきた気がする。ごめん、ダメな彼氏で。

「おやすみ!」

 声がいびつになったのもいちいち気にしないで、俺は叫ぶ。

「おやすみ、小花」

 日中の落ち着いた優しい声が降ってくる。布団の上から感じた重みは、日中が俺をぎゅっとしてきたことを物語っている。すぐに重みは無くなって、横から布が擦れる音がした。

 ああ、心臓がうるさい。ぐわんぐわんと耳にまとわりつくみたいに心音が鳴る。

 この夜は寝返りばかりうって、全然、眠れなかった。
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