窓際は失恋の場所
21【心を許す】
ラーメン屋を出ると、ぎょうざとラーメンのコンボで臭くなった。おれだけではなく、末久も永露もにんにく臭い。そろいもそろって臭かった。
店の中では、3人ともカウンター席で、もくもくとラーメンを平らげた。おかげで余計なことは考えず、さほど胸のモヤモヤは広がらなかった。
広がったのは、しつこいけど、にんにく臭だけだ。
「うまかったー」
「うん、美味しかったね」
末久と永露は仲良く感想を言い合う。おれの感想は「あー、動きたくねえ」だった。ぎょうざを食べることに集中したため、腹が圧迫されている。
「見原はぎょうざを食べ過ぎなんだよ。大丈夫?」
永露が背中を撫でてくれる。不意にきた温もりに戸惑いつつも、優しく撫でられて落ち着く。
永露の手なんか、骨ばっただけのどこにでもある指なのに。撫でてもらうだけで胸焼けがマシになった気がするんだから不思議だ。ずっと、背中を撫でていてほしいなんて思ってしまう。
「本っ当にお前らって、仲良いよな」
端から眺めていた末久からそんなことを言われた。にっこり笑ってくる。
こいつの毒気のない笑顔が、末久らしいといえばらしいけど、この状況ではただ、忌々しい。
「別に仲良くねえよ」
ぶっきらぼうに否定する。否定したことで永露の手が離れてしまったのは寂しかった。
「仲良いって。もし俺がこうやって見原の背中に手を置くとする。そしたら、お前は俺の手をそっこう払い落とすだろ?」
言われる前に、おれは末久の手を払っていた。予言通りに行動した自分が恥ずかしい。
「でも、永露の手だったら、そのままにしておく。そういうこと。見原は永露に心を許してんの」
心を許すなんて簡単じゃない。誰に対しても、おれは心を開くのが苦手だった。
親の前でも素直じゃなかった。ひとりじゃ淋しいのに、認めなかった。泣きたいのも我慢した。
他人との関係も深くは望まない。どこか、線引きして、むやみに抱き着かせたりもさせない。抱き着いたりもしない。なのに、おれは。
永露ならいいと思う。永露になら、触られてもいいと思う。
自覚したら、熱いものがこみ上げてきた。どくどくと速い動悸がする。息が苦しくなってきた。首や耳、顔までも熱い。
――永露だけが特別だっていうのか。特別って何だ? 考えれば考えるほど答えのない沼に入りこんでいるような気がする。
「あれ?」
末久の間抜けな声で思考が途切れる。おれの表情の変化に気づいたのかと思ったら、違った。視線は永露に注がれていた。
「永露、どうした?」
「べ、別に何でもないよ」
永露が珍しく末久の前で慌てている。顔を反らして、口元を手で隠している。
「怪しいなー」と、末久は永露に詰め寄った。にんにく臭が共有できるくらい顔が近い。あんまり近づくなよと、警告するみたいにおれの胸が痛んだ。
「怪しくないって」
末久の距離の詰め方に、永露の方が参って後退りする。
「そうか?」
「そんなことより、末久は大丈夫? 少しは元気になった?」
永露の切り出し方は話をすり替えるにしては乱暴だったが、末久の意識を別に向けさせるには有効だったようだ。はははと、笑顔を乾いたものにさせた。
「少しはな。気は紛れた。でも、忘れるには時間がかかるだろうな」
能天気に見える末久でも落ちこんでいる。元気になろう、普通に戻ろう。あがいているだけで、本当はまだ、苦しいんだ。
「うん。長い時間かけて好きになったのに、その人のことをすぐに忘れたりなんてできない。長く想った分、時間はかかると思う。無理して忘れようとすんな……って誰かが言ってたよ」
「すげ。どこの恋愛マスターだよ、それ」
おれです。恋愛なんてしたことのない男です。
などとは言えるわけもなく、人の言葉を勝手に引用した永露をにらみつけた。楽しそうに、くすくすと上品に笑いやがって。目を細めて笑う永露が珍しくて、悔しいけど意識が奪われてしまう。
「確かに、その通りだよな。無理に忘れなくてもいいよな」
自分自身に言い聞かせるように末久は呟いた。
感情と結びついた記憶を忘れるのはなかなか難しいだろう。記憶は残っても、感情は変わっていくはずだ。おれ自身がそう思いたいだけかもしれないけど。
この日を境にして、3人で何度かラーメンやらファストフードやら食べに行った。
おごりから割り勘制になったのも大きい。負担が三等分されて、一緒に行きやすくなった。
それから、長く時間を過ごすうちに末久と永露の距離が確実に縮んできている。
永露の顔もやわらかくなった。どもったり、上ずっていたりした声も落ち着いている。いいことだ。
永露がもし「好き」と告げれば、末久も意識せざるをえないだろう。結果がどうなるかはわからないけど、ふたりが納得できるならいい。
一途に末久を想ってきた永露の心が報われたっていいはずだ。