眩しい笑顔
14【ふたりでアイス】
しばらく床と対面していた俺だけど、日中のバスタオルを用意していなかったことに気づいた。
今頃はもう、風呂に入っているかもしれない。着替えが済んでいるのだとしたら、バスタオルを置きにいっても大丈夫だろう。
何となく忍び足になりながら、廊下を歩く。トイレ横にあるドアを開けると、使い慣れた洗面台と洗濯機がある。その先には曇りガラスのドアがあり、バスルームへと繋がっている。
日中はその先にいるのだろう。ドアを少し見たのは、ただの確認だ。下心はない。
うっかり変なことを考える前に、用事を済ました方がいいかもしれない。
洗濯機の上にタオル類を入れる棚があったので、白いバスタオルを引き出した。洗面台近くのテーブルに、綺麗に畳まれた日中の服を見つけた。ここに置いておけばわかるはずだ。
やましいことをしているわけではないのに、こそこそしていると、いきなり曇りガラスのドアが開いた。湯気ともに、濡れた日中の顔がぬっと現れたんだ。
「ひっ!」
「あ、小花、驚かせてごめん。小花の使っているシャンプーってこれかな? ほら、おばさんのを使ったら悪いし」
律儀な日中は、わざわざシャンプーのボトルを持って聞いてくる。たぶん、日中がシャンプーを使っても母さんは怒ったりしない。むしろ、日中くんと同じ香りなんて本望よ、とか言いそうだ。
日中が湯冷めして風邪をひいても困るから、慌てて「それ」と答える。
「わかった」
何でそこで満面の笑みなんだ。
しかも、さっきのキスを思い出して、日中の唇を見てしまう。風呂のおかげか血色が良い……とか、どうでもいい。あんまり見ちゃだめだ。がんばって視線を外した。
俺は自分の役目を果たすために、バスタオルを指し示した。あくまでも用事があるからここにいるんだと。
「バスタオル、ここに置いておいたからな」
「うん、ありがとう」
そう言ってから、日中はバスルームのドアを閉めた。
ようやく、深呼吸ができる。本当に心臓が飛び出してしまうかと思った。左胸に手を当てて、ちゃんと心音があることを確かめる。
危なかった。湯気をまとった日中の肩を少しだけ見てしまった。眩しい肌色の情景が貼りついて、頭から離れてくれない。割りと筋肉がついていて……って、そんなことを考えている場合じゃない。
俺は逃げるようにバスルームから後ずさった。忘れろ、忘れろと頭のなかで唱えながら。
リビングのソファにたどり着いて、膝を抱えた。こうすれば、少し落ち着ける。
俺ばかりが緊張していた。日中が取る普通の態度を見ても、本当はキスじゃなかったかもしれない。口が当たったと思ったのは、俺の勘違いだったのかもしれない。唇に指を当てても、あの時のやわらかさを再現できない。
はあ、と息を吐いても体は熱いままだ。
難しい。好きと伝えるのも難しかったけど、その後もすごく難しい。正解がわからない。
ソファにうずくまって考えている間に、時間は勝手に進んだらしい。
「小花、あがったよ」
体に湯気をまとった日中がリビングに現れた。フェイスタオルを首にかけて、熱いのか袖を腕まくりしている。
あんまりドライヤーをかけなかったのかもしれない。日中の髪は濡れていた。いつもはさらさらの髪の毛が濡れているのもイケメンだ。ずっと眺めていられる。
「小花」と話しかけられて、自分が日中を見つめすぎていたことがわかった。
「お、俺も入ってくる」
「ん、いってらっしゃい」
普通に。普通に。日中の横を通るときに息を止めたのは、何となくで。キスされるわけもないのに、変に身構えてしまう自分がバカバカしかった。
風呂を適当に済ませてリビングに戻ると、日中はソファに座っていた。念入りにドライヤーをかけたから、俺の髪は割りと乾いている。タオルを首にかけなくても済んだ。
日中はスマホの画面を眺めていたけど、俺に気づくとすぐに閉まった。
「おかえり」
目元をくしゃっとさせて笑う日中に、俺は胸が詰まって「お、おお」としか返事ができない。そんなに色んなことを優先しなくたって、俺は平気だ。スマホに負けたって、大丈夫。
そのつもりだったけど、優先してもらえるのは素直に嬉しかった。日中のせいか、体がますますぽかぽかしてきた。火照った体を冷ましたくなった。
「日中もアイス、食べるか?」
「うん、食べる」
スーパーで買ったアイス。日中はバニラのアイス。同じのはつまらないから、俺はチョコクッキーが入ったアイスにした。
ソファに横並びで座って、アイスの蓋を外す。透明なスプーンでアイスの固さを確かめて、「もうちょっと待つか」と話をする。
アイスが食べ頃になるまで、どうでもいい話を続けた。学校でのこと。今、人気の動画についての話。
こうして普通に会話をしていると、日中と恋人になったことが嘘なんじゃないかと思えてくる。それだけ、自然な時間だった。
アイスの表面が溶けてくると、会話をやめた。スプーンですくって一口。
「んま」
舌にのせるとアイスは溶けていく。チョコクッキーのざらつきが残って、それを食べるのがおいしい。
「うん、美味しい」
バニラと日中の白いスウェットが似合っている。この情景を百合本に話したら、うらやましがるかもしれない。いや、それより、「本当にデリカシーのない、おバカ」って怒られるだろうけど。
アイスの時間が終わると、いよいよやることがなくなった。後は歯を磨いて、たぶん眠るだけ。
「寝ようか?」
日中の声がいつもより低いところから聞こえてきた。断る理由もない。
だけど、俺は返事に困った。好きな人と同じ部屋にいること自体、緊張する。そのうえ、無防備で眠るなんて、俺にできるだろうか。
「も、もうちょっとだけ……」
寝るのを引き伸ばしたい。俺に焦れたのか、日中は目線を外した。
「……あのさ、もしかして、僕が小花にキスしたことを気にしてる?」
何の遠回りもせずに、俺に投げつけられた。
「あれって、やっぱり、キスだったのか?」
「ごめんね。もうしないから」
「えっ?」
「あんなの、困るよね」
「え、あ、確かにびっくりしたけど」
「さ、寝よう」
日中はさっさと会話をやめてしまう。持ってきた歯ブラシを取り出して、洗面台へと向かうつもりなんだろう。
俺は力が抜けていた。「ごめんね」と謝られたこと。「もうしないから」と宣言されたことが、すごくショックだった。
俺は日中から謝られたくもなければ、キスしてほしくないとも思っていなかった。あの感触が夢じゃなかったと覚えておきたかった。ちゃんとはっきりと日中からのキスだと認めたかった。
そのためにも、もう一度キスをしてほしかった。そんなこと、どうやったら伝えられるんだろう。