きみの家と、その周辺の話
19【泣きたいくらい】R15
父さんと別れてから、改めて渓太の家に向かった。家に寄ることは事前に伝えていた。
公園を出たときには、『わかった』と返ってきていた。メッセージの横に既読がついて、なおかつ返信が来ただけでも嬉しかった。
無視されるのが何より辛いのだと気づいた。渓太のようなマメで真面目な人間から無視されるといっそう辛いことを知った。
家が見えるところまで来ると、渓太はもう、玄関先で待っていた。ラフなスラックスにパーカーで、そのまま出かけられそうな服を着ている。顔は怖くて見られなかった。
ひとことふたこと挨拶を交わして、「入れよ」と招かれる。
何も変わらないリビングに入ると、「烏龍茶でいいか」と聞かれる。最初と同じだ。違うのは、俺がこの家の冷蔵庫にそれしかないのを知っていることだろう。
渓太を待つ間に、仏壇の前で手を合わせた。この家にお邪魔するたびに、おばさんに挨拶してきた。
「お邪魔します」
「これだけ家にくれば、母さんもお前のことを覚えたかもな」
「だったら、嬉しいかも」
家族の一員になれたようで、とは思ったが、言わなかった。笑いかけた口を戻す。渓太がもうこちらを見ていなかったからだ。些細なやり取りで和やかになりかけたのに、残念だった。
ダイニングテーブルの上に烏龍茶の入ったコップが置かれる。渓太は何も飲まないらしく、自分のものは用意しなかった。
向かい合って椅子に座ると、この風景が懐かしく感じる。この位置から、美味しそうに食べる渓太を眺めるのが好きだった。ぐっとこみ上げて来そうで、うつむく。
父さんといるときには感じなかった喉の乾きを感じて、烏龍茶を一口飲んだ。
「で、どうなった?」
話を切り出したのは、渓太の方からだった。
「それって、父さんのこと?」
「それ以外に何がある?」
今日の渓太は言葉が少ないながらも、胸に突き刺さるような尖りがあった。やっぱりまだ、怒っているのかもしれない。仕方ないと思いつつ、俺は苦笑を浮かべた。
「思ったより、上手く話せたと思う。言いたいことを言ったら、相手もちゃんと話してくれた」
「そうか」
渓太は唸るような低い声で納得したように見せてから、瞼を伏せる。
本当は納得なんてしていないのかもしれない。珍しく感情を堪えるように、口を歪ませている。もしこんな顔をさせているのが自分のせいなら、謝りたい。だから、先に頭を下げた。
「この前はごめん。あの後、渓太に謝りたくて、家に行ったけど会えなかった。それに、父親のことで他には何にも考えられなくて、後回しにしてごめん」
もっと早くすべきことを、ここまで先延ばしにしていた。怒られても無理はない。「俺もだ」と呟いた渓太は、眉間にシワを作った。
「……寛人が他のやつと遊んでいたことを知ったとき、自分でも信じられないくらいイラついた。俺よりもそいつがいいのかと、馬鹿な考えをして、勝手に落ち込んだ。今日、ようやくスマホを見られるようになるまで回復したんだ。そこで寛人が父親と会うというのを見て、返事を送った。相談したいこともあったと思うのに、無視して、本当に悪かった」
こちらが謝りたかったのに、渓太も頭を下げた。顔を上げれば目が合って、照れくさくなって、目を逸らす。
相変わらず、目が合えば、心音が騒ぎ出す。逃げたくなる。顔は熱いが、嫌な気持ちではなかった。
他の人がどういう基準で「好き」といっているのか、わからない。考えても一生わからないだろう。でも、渓太の思いには応えたいと思う。
「俺、渓太のことが好きみたいなんだけど、どうしたらいい?」
相談するみたいにたずねる。はじめから渓太に聞いてみれば良かったのかもしれない。
父と会うときも、結局は渓太だったらどう言うか? そんなことを脳内の渓太に聞いていた。
遠回りせずに、本人にたずねてみればよかったのだと思う。渓太なら、きっと、答えを出してくれる。欲しい言葉をくれる。
「俺と付き合えばいいだろ」
そう臭いことを言って目を逸らしてくる。いつもの渓太を前にして、俺はすごく泣きたくなった。
◆
そこから渓太の部屋に場所を移した。
ふたりでベッドの端に座ったものの、次はどうしたらいいかわからなかった。同じ部屋で寝たこともあるのに、ただ横並びで座っているだけで、緊張してくる。
「寛人」
「ん」
掠れた声で呼ばれても、どう返したらいいのかわからない。頭が湧いている。熱でやられてしまうかもしれない。そのくらい身体が熱い。
渓太に手を取られて、指を絡まされる。これはいわゆる恋人繋ぎというものだ。ゴツゴツした親指が俺の指を擦った。何もかもが変な気分にさせる。
「キス、とかしてみるか?」
「ていうか、俺相手にできるの?」
「お前相手だからするんだろうが」
「そっか」
「触ってもいいか」
うなずくと、繋いでいない方の手が俺の頬を包んだ。渓太の顔が目の前に迫る。
「するからな」
「うん」
返したあとすぐに、柔らかな感触が唇を覆う。渓太の唇はちゃんと柔らかった。
でも、少しカサついていたのは、烏龍茶も何も飲まなかったせいだろう。
角度を変えて唇を重ねた。それでは物足りなくて、俺の方から仕掛けた。驚いたように固まっていた渓太も、勢いを取り戻して積極的に貪りはじめる。吐息も唇も舌も、混ざり合っていく。
気づけば、ベッドに押し倒されていた。それでも、触れることをやめない。服越しからもお互いの熱がわかる。
穿いていたデニムのパンツやスラックスが、ベッド脇の床に落とされた。ボクサーパンツもその上に落とされる。
渓太は眉間にシワを寄せて、俺を見下ろしてくる。無表情な顔が歪むだけで嬉しかった。こんなにも俺のことが好きなのかと、改めて感じた。
「寛人、このままして、大丈夫か?」
「大丈夫。渓太の方が苦しそう」
「ああ、幸せすぎて苦しい」
「何言ってんの」
笑いながら、渓太の額に張り付いた前髪を指で避けてあげる。真っ赤な顔が熱くて、渓太の頬を撫でていたら、手を取られた。指を絡められると、そのままベッドに押し付けられる。
ベッドのスプリングが跳ねた。小刻みにギシギシと音を立てる。
耳元で聞こえる息づかいは走っているかのように荒い。激しくなってきた。だんだん俺も余裕がなくなって、上ずった声が出る。渓太の背中にしがみついて、されるがままだ。
俺の中を強く擦りつけた後、渓太は達した。腹部にぶちまけられたそれは、渓太のものなら許せた。
それでも、渓太は腕を離さなかった。まだやめる気はないらしい。
「まだ、すんの?」
「お前が俺のことをちゃんと好きになるまで、する」
「ばーか」
――そんなにしなくても、好きだし。
なんてことは、渓太には言わないでおいた。俺も俺で、まだしたりなかったし、もっと渓太とエロいことがしたかった。