忘れろは、嘘

第2話【猫のような後輩】


 後ろを振り返る。そこには見知った後輩がたたずんでいた。

 後輩は、邦紀よりも頭1つ分背が低い。癖のない髪の毛が肩に触れるくらいまで伸ばされていた。猫目で鼻が低いせいか、中学生と言っても通るだろう。相変わらず、頬の筋肉が動かない。愛嬌とは無縁の後輩だった。

 後輩の前では嘘をつく必要もなかった。

「何か、花が見たくなって」

「ふーん、そうですか」

 声すらもやる気のない後輩――安屋あんやみつと出会ったのは、6月のことだ。

 昼休憩の時間、購買までの廊下の窓から目に入ったのは花壇だった。いつもならば見逃す背景のなかに、人影を見つけた。

 それは花壇の前にしゃがみこんでいた。たった独りで、花壇での作業に没頭していた。

 風景の一部が誰かの手で作られていたことに気づいた。それだけではない。静かに黙々と作業をこなす姿に哀れみよりも、格好良さが勝った。

 他の友達とじゃれ合っている蒼空を横目に、窓を開けた。梅雨空の湿った外気が、廊下まで漂ってきた。

「なあ、何してんの?」

「土いじりですけど」

 こちらを振り返ったときの無愛想な顔がおもしろかった。

「それは見ていればわかるし。今咲いているのは、なんていう花?」

「……ここまで来たら教えてあげますよ」

 興味があるならそっちから来いと言われたようで、その答えは邦紀の好みだった。のこのこと花壇まで行った。

 結局、花のことは聞かなかった。興味深いのは充の方だったからだ。

 以後、邦紀は暇を見つけては充に話しかけた。そのかいあって、邦紀が花壇にいても、充は「帰れ」というような冷たい目をしなくなった。

 基本、構ってくれない。いないものとして扱ってくれる。それでも、あちらから構ってほしい時には話しかけてくる。猫のような生態だった。

 邦紀とすれば微笑ましかった。

 会った頃のことを思い返して笑う。

「花見てたら、充と出会った時のこと思い出した」

「あの時のせんぱい、馴れ馴れしくて。正直、俺は嫌いでした」

「今は?」

「うーん」

「え、悩むか、そこ」

「嫌いでは……ないです」

「そか」

 5ヶ月は無駄ではなかったらしい。充の口から嫌いではないと言われて、嬉しくないわけがない。それでも心の底から笑えないのは、どう考えても蒼空のせいだ。

 蒼空は、幼い頃に病弱だった邦紀を支え続けてくれた。勇気づける言葉の数々。笑う顔。差し出してくる小さな手。すべてを今も鮮やかに思い出せる。

 良からぬ想いを抱えたまま、10年も経ってしまった。一瞬の揺らぎで、親友の関係すら壊しそうになってしまったが、本当は触れてはいけなかった。

 蒼空はなぜ、あんな話をしたのだろう。しなければ、こんなことにはならなかったのに。

 空を仰いでいれば、充も邦紀の右隣にしゃがみこんだ。

「せんぽい、何かありました?」

「なくはない」

「はいはい、どうせ、浦川せんぱい繋がりでしょ」

「よくご存知で」

 正直、花を見たいというのもあったが、充に会いたかったのもある。話を聞いてほしかった。どれだけ自分が馬鹿なことをしたか、振り返りたかった。それを踏まえて、充の冷静な声が聞きたかった。

 蒼空との会話から告白に至った経緯をできる限り細く伝えた。邦紀が望んだように、充は余計な相槌も派手なリアクションも取らなかった。話を黙って聞いてくれていた。

「俺、本当に口が滑った。その場は何とか、ごまかせたけど」

「それって、ごまかせたんですかね?」

 ようやく話した言葉は邦紀を不安にさせた。しかし、思い直す。ごまかせなかったとしても、脈なしなのは明らかだ。蒼空の顔を見ていれば、昔からのつき合いで大体思っていることはわかる。

「たぶんな。明らかに嘘だとわかったら安心してたし」

「完全に振られたわけですか」

「はっきり言うな」

「じゃあ、浦川せんぱいのこと、諦めますか?」

「わからん」

「無理もないです。長いこと、こじらせてましたもんね。でもま、諦めたくないって言うなら、骨くらい拾ってやりますよ。ここの肥料にします」

 独特な言い回しだとしても、充なりの応援なのだろう。

「お前なー、このサイコパス、マッドサイエンティスト」

「意味知らないくせに。使い方、間違えてますよ」

 ひとしきり笑えたのも充のおかげだった。いいやつだと、邦紀は充の頭を撫でた。やめろと手で抵抗をされる。撫でるのをやめれば、珍しく充が頬をゆるませていた。

「空元気でも、出てよかったですね」

「お、おう」

 充が見せた僅かなデレに、邦紀の方が恥ずかしくなった。不意打ちの笑顔はやめろよと、理不尽に怒りたくなる。

 充はさっさと笑みを消した。

「話は終わりましたよね。部活、大丈夫ですか?」

「あ、やべ。大丈夫じゃない」

 邦紀は勢いよく立ち上がると、駆け出した。充に向けて手を振る。充はわずかに会釈しただけだった。
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