窓際は失恋の場所

19【末久の心】


「濱村さんには誰かってしつこく聞かれたけど、名前は言わなかった」

「そりゃ言わない方がいいだろうな」

 濱村さんは突撃してくるタイプだから、末久に迷惑がかかりそうだ。そのことで永露が気に病んだりするくらいなら、開き直って隠しておいた方がいいだろう。

「好きになってくれるまで待つって言われた。それはやめてほしいって伝えた。そんなにすぐ別の人を好きになれるわけないのにね。ここに立つのもまだ、苦しいのに」

 永露は眉間にシワを寄せて、おれの肩ごしにある窓を見つめた。

 光を顔に受けても切なそうに目を細める。今にも泣き出しそうな顔に、おれの胸もえぐられた。

「まだ末久が好きなんだな?」

「うん、好きだよ」

 真っ正面からおれの問いを受け止めながら、笑う。光は永露の姿かたちを綺麗に浮かび上がらせているのに、捕まえていないと消えていってしまいそうだ。

「忘れなきゃって思うのに、勝手に末久を探しちゃう。ホント、自分でもバカだと思うんだけど、やめられないんだ」

 自虐的に笑う永露を放っておけない。そんな悲しいことを自分の口から言ってほしくなかった。面白くもないのに、笑っていてほしくない。

「おれはバカだなんて思わない。想うだけなら好きでいたって構わないだろ。長い時間かけて好きになったのに、その人のことをすぐに忘れたりなんてできないだろ。長く想った分、時間はかかると思うから。無理して忘れようとすんな」

 おれは永露に何の救いも与えられないけど、こうやって寄り添うことはできる。

 話を聞いて、バカみたいに笑い合うことはできる。泣きたくなったら泣けばいい。胸を貸すくらいはできるから。

 明るく笑ってみせたら、永露は瞳を丸くして瞼を見開いた。こんなリアクションをされると思わなくて、こちらの方が戸惑う。

「永露?」

「いや」

 永露がおれから逃げるように視線をそらす。変だったのだろうか。本心から伝えたいことを口に出してみたのだけど、臭かったか?

「おれじゃあ、説得力ないか」

「いや、そんなことないよ。嬉しかった。どこかでそうやって誰かに否定して欲しかったのかもしれない。見原が言ってくれて助かった。ありがとう」

 助かったとか言い過ぎだろう。感謝されて、胸の奥がくすぐったい。おれは「お、おう」と答えるのがやっとだった。

「ちょっと臭かったけど」

「悪かったな」

 おれだって、そう思っていたんだからな。

 永露が笑う。きゅっと掴まれたみたいに胸が痛い。

 どくどくと刻まれる鼓動は、永露から目を離すまで続いた。

 その日を境に、濱村さんは図書室に来なくなった。

 考えなくても理由はわかる。こっちも合わせる顔がなかったから、少なからず距離ができたことに安心はしていた。

 濱村さんの言っていた勝負では、どちらも勝てなかったし、気まずいだけだろう。

 重岡ちゃんの方は定期的に本を借りに来た。いつも通りに感想を聞いたり、相づちを打ったり。何にも変わらない。

 それなのになぜか、ふたりの会話中に永露が割りこんでくるのが普通になった。

 「読んでないお前にはわからないだろ」と指摘してやれば、「ああ、そうだね。ふたりだけで楽しく話していれば!」と、すねるのもよく見る光景だった。

 ある日、朝の冷たさに身震いしながら登校すると、いつもはうざいぐらい絡んでくる末久が来なかった。

 変に思って末久を見れば、自分の席に着いていた。頬を机につけ、だらっと両腕を下ろしている。

 落ち着きなく人に絡んでくる男が、机にへばりついている姿を見たことがない。

 明らかに様子がおかしい。末久を放っておけなくて、おれは心配半分、好奇心半分で近づいた。

「末久、どうした?」

 末久の反応がない。指で肩を押してやれば、うつむいていた顔が上がる。

 腫れぼったいような目は、あんまり開いていなかった。ぼんやりこちらを見て、覇気がないのは明らかだった。

「見原か」

「明らかにおかしいんだけど、どうした? 何があった?」

「確かに俺はおかしいかもな。おかしくならない方がおかしい」

 声にも力が入っていない。想像するのが面倒くさいから遠い言い回しはやめて、はっきり言ってほしい。末久がおかしくなった原因だけを伝えてほしい。

「だから、そのおかしくなった原因を聞いてんだけど」

 末久は額を両手で押さえつけて、うなだれる。

「彼女と別れた、他に好きな人ができたって」

「嘘だろ」

「こんなこと、嘘で言うと思う?」

「いや」

 末久の言葉を疑っているわけじゃなくて、驚きから出た言葉だ。

 つい最近までのろけるくらい順調だったのに、こんなに簡単に壊れるのかと恐くなった。

「で、お前は別れることにしたのか?」

「別れるも何も、向こうに未練がないんだから、仕方ないだろ。しつこく聞いたって『ごめん』っていうだけで、話にならない。別の相手とはずっと、俺とのことを相談していて、知らないうちに好きになったって。そんな話、知りたくねえのに、話してくんの。まあ、二股しないだけマシかもしれないけど」

 最低限、別れてから次に行こうとしたってことだけは、救いか。救いといっても、傷つけた事実は変わらず残るけど。

 何にも言葉が思いつかなくて、無言になっていると、末久が頭を下げてきた。

「ごめんな、こんな話して」

「おれも色々聞いて悪かった」

「いや、見原に話したら、ちょっと気持ち軽くなったし」

「そっか?」

「おう」

 顔を上げた末久は相変わらず、青い。

「何かあったら、頼れよ。ラーメンなら、おれがおごってやる」

 末久も友達くらいには思っている。話を聞いて気持ちを軽くさせるくらいはできるだろう。ラーメンなら金銭的にもおごってやれる。

「マジか。ありがとな」

 末久は本調子とはいえないまでも、ようやく微笑んだ。
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