眩しい笑顔

13【ずるい笑顔】


 俺ってこんなエロいやつだったんだ。日中の裸を想像して、バカみたいに動揺するなんて、悲しいくらい変態だ。日中に気づかれたら、きっと、ひくだろう。

 ――小花ってそんなやつだったんだね。俺の中の日中が呆れたように言ってくる。

 でも、そうはならない。俺がエロい想像していたのは、日中にはバレていないはずだ。態度に出さなければ大丈夫。いちいち気にしていたら心臓がもたないし。

 とにかく首を振って、洗い物をはじめた。

 リビングに日中が現れて、再び皿を落としそうになったけど、どうにか耐えた。手についた飛沫をシンクの上で払って、タオルで拭き取った。

「小花、終わった?」

「ん、終わった」

 振り返れば、キッチンカウンターに頬杖をした日中と視線がぶつかる。こんな近くで見ていたのか。びびった。

 日中はカウンターの上に両手を突いて、「ねえ、小花」と声をかけてくる。笑顔もずるい。どんだけ爽やかなんだ。

「何だよ」と、俺は情けなくどもりまくって、近寄る。

「もうちょっと、こっち来て」

 カウンターごしでは満足してくれないらしい。俺は仕方なく、回り道をして日中に近づいた。

 気づけば、腕を引かれ、胸板に押しつけられる。白い世界が広がったことに戸惑っている間に、俺の背中には腕が回っている。長いため息が頭を撫でた。

「ひ、日中?」

「ちょっとだけ、こうしていていい?」

 掠れた声が日中らしくない。低い声が心臓に直接、語りかけてきて、どくどく鳴らしてくる。

「何で?」

「小花は嫌?」

 質問を質問で返すなと言いたくなるけど、答えを出すのは簡単だ。

「嫌じゃない」

「……ごめん。そう言わせるように誘導したね。ただ、僕がこうしたかっただけ」

「えっ?」

 俺は思わず間抜けな声を出してしまう。日中は腕の力を緩めて、俺の顔をのぞきこんできた。

「余裕ないんだよ。小花と一緒にいられるってだけで浮かれて、変なことばっかり言っちゃうし。小花も呆れたでしょ?」

 たぶん、「新婚さん」のくだりだと思った。呆れるどころか、冗談なんだから真に受けるなと、自分をぶん殴っていた。気にするなという想いもこめて、俺も自白してみる。

「そんなことは、ない。俺だって日中の裸……想像したし」

「えっ?」

 今度、驚くのは、日中の方だ。

「風呂入るってだけで、バカだよな。何でこんなエロいんだろ、俺」

 エロ本はそんなに興味がなくて読んでこなかったのに、日中は例外みたいだ。好きすぎて、行きすぎて、バカな考えに陥る。どちらかといえば、日中の方が呆れるに決まっているんだ。

「小花はバカじゃないよ。好きな相手がそばにいたら、誰だってそういうことを考えるから」

「日中も?」

 こんな爽やかな日中もエロいことを考えたりするんだろうか。

「ん、考えてるよ。今だって、どうやったら小花とキスできるんだろうって」

 驚きすぎて声が出ない。キスするのは恋人だったら当たり前だと思うし、日中と俺は恋人になったわけだし、キスするのは自然だし、だけど。

「日中」

 名前を呼ぶのが精いっぱいになっている。

「小花」

 日中に髪を撫でられて、全身が触れられたみたいに熱を持ってくる。左の頬を手のひらに包みこまれる。親指が俺の唇に触れる。日中は瞼を薄く伏せて、やわらかく笑っている。

 まつ毛の長さと二重のぱっちり具合に唖然とする。ニキビひとつない顔は、同じ人間だとは思えない。この日中と俺なんかがキスしていいんだろうか。

 心臓がうるさい。できれば、心の準備がしたい。何か、ないか。このキスを保留に持ちこめる何か。そういえば。

「今、俺、か、カレー味だから。もしくはポテサラ味! せめて、歯をみがいてから……」

 後半ぐらいから、何を言っているのだろうと自己嫌悪に陥っていた。俺の叫び声の余韻が、部屋のなかに残る。

 やらかした雰囲気に血の気が冷めていくのを感じた。ああ、もうダメだ。

「ふ、ふふ。そっか、ははは!」

 日中は歯を見せて大口で笑っている。こんなに笑う日中を見るのは久々で、俺も笑いたくなってしまう。さっきの怪しい雰囲気が嘘みたいに、和やかになる。

「日中、笑いすぎ」

 そう言いつつ、自分でも笑ってしまう。

 あれっと、思った。俺の唇に暖かいものがくっついて離れた。日中の顔が近づいて遠ざかっていったのは、一瞬のことだった。

 遠くの方で軽快なメロディが鳴った。無機質な声が聞こえる。

「お風呂できたみたいだ。先に入っていいかな」

「ああ、入れよ」

 反射的に答えたけど、頭のなかは真っ白だった。自分の唇に指を当てて、ぬくもりを考える。

 あれは何だった? 唇と唇が触れた。たぶん、あれは伝え聞いてきた、キスと呼ばれるものだった。

 そうか、キスか。なるほど、だからあんなにあったかくて、やわらかかったんだ。

「き、き!」

 俺は奇声を発しながら、床に膝をついた。震える手で自分の口元を押さえる。

 ファーストキスというやつでは! やばい、心臓が取れそう。なんてことをしてくれたんだ、日中。ここからどうしたらいいのか、まったくわからなくなってしまった。
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