甘くない話

end【甘くない話】


桜の代わりに白い雪がちらほらと舞いはじめる、三月。
冷たい空気は外に封じこめて、式の会場は暖房の熱風に包まれていた。

春にはまだ少し遠いが、この日をもって会長は卒業する。
会場の飾り付けは昨日までに間に合った。何とかこの日を迎えることができた。

そのなかを会長、副会長を含む卒業生が入っていく。
すべては順調。あとはとどこおりなく卒業式が進めばいい。
理事長のあいさつを背中で聞きながら、
おれは会場の入り口にスタンバイした。

学園のしきたりで証書は代表者が受け取る。
一人一人読んでいては時間がかかりすぎるから、教室に戻ったあとに手渡されるのだ。

代表者は大体、生徒会会長に決まっている。また素晴らしいことに会長は成績優秀者でもあった。

次に卒業生代表の謝辞がはじまった。

会長がマイクの前に立つと、会場にいるすべての人の姿勢が正した。
すごく真面目な会長を見たのは初かもしれない。おれも知らないいろんな顔がまだまだあるんだろう。

会長には悪いけど、おれは雰囲気を打ち壊さなければならない。
緊張で足が震えている。
だけどここでくじけたら、すべてが水の泡になる。

会計のもとまで歩いていってマイクをぶんどった。
会計はわざとらしく「何をするんだ~」と言う。

何も知らない(副会長をのぞいた)卒業生と在校生はざわめく。
でも、理事長、教師はこうなることを知っている。
何のために根回ししたと思っているのだ、コノヤロー。

「はあ?」と目を見開いた間抜けな会長に宣言する。
生徒会に入る前のおれならこんなことはできなかった。
人前で話すのも苦手だったし、目立つなんてもってのほかだった。
でも会長のおかげで変われた。今はあんたのために。

「その証書をかけておれと勝負しろ!」

卒業式を打ち壊すことだってできる。

「何、言ってんだ。そんなことできるはずないだろ」

「恐いんですか、会長。あんた、いつも負け続けてきたよな。このままで悔しくないのか? こんな格好悪いままで卒業しちゃっていいのかよ!」

会長の性質はよく知っている。すごい負けず嫌いなところ。おれに言われて悔しいに違いないのだ。
さあ、どう出るか。

壇上にいる会長はおれから視線を移し、目を伏せた。たぶん、考えてる。
呆れたようにため息を吐き、伏せた目を見開いた。
次に会場全体の卒業生に向かって「すまない」と頭を下げた。

「そういうわけだ、みんな。証書をおれに預けてくれるか?」

緊張の走った会場。会長の一声に緊張は一気に解けて、卒業生のうなり声のような「うおー」が爆発する。
やっぱり会長は人をまとめることに関してはカリスマ的だ。

盛り上がる会場だったが、時間は迫っている。気を取り直して敬語に戻す。

「移動します。卒業生はおれについてきてください。在校生は会計の指示にしたがって」

説明しながらも、もしおれの言うことが伝わらなかったらなんて、考えない。
だって座っていた人たちが立ち上がってくれた。

信じられないけど、書記だと認めてくれなかった人たちまで腰を上げてくれた。
少しでも生徒会として認めてもらえた気がして、泣きそうだ。
でもうれしいのが勝つ。たぶんおれは笑っていた。

会場の外に出て、大型のバスで目的地へと向かう。
あの日の悔いをぶつけるために。

おれたちの乗ったバスは学園を離れ、町の競技場に到着した。
ここは室内プールもあるし、バスケやなんかの体育館も完備されているのだ。

「ここで何をするつもりだ?」

バスから降りた会長はもっともな質問をしてくる。
確かにいきなり連れてこられてわけがわからないよな。
答えはリベンジなんだけど。海パンを手渡すことが何より答えになると思う。
案の定、会長は「そういうことか」とにやりと笑った。

みんなをバスから降ろし、競技場のなかへと急ぐ。
室内プールを貸し切りにしているが、時間は限られている。
男ばかりの観客を入れ、水泳大会の段幕をかかげれば、準備はおしまい。
あとは主役の着替えが済めば、水泳大会は開幕だ。

会計からの丸が出て、生徒会のコールをはじめると、会計から順に、副会長、会長が登場した。
大歓声に包まれながら主役が集まる。

今回は心の底から応援してやるから。
ぜったい一番でゴールしろよと気持ちをこめて「会長!」と叫んだ。
声に気付いたようで会長の目がおれをとらえる。
周りの音が聞こえなくなったなかで、「がんばれ」と口だけで伝える。
わずかにうなずいた会長が目線を外したときには、ようやく周りの歓声が戻った。

ホイッスルを鳴らすと生徒会のみんなは一斉に台から飛びこむ。
沈んだ影が水面に浮かんできて白い飛沫をあげる。
周りのことなんてどうでもいい。会長のシルエットに向かって何度も叫ぶ。あんたの格好いい姿が見たいんだ。

しなやかに伸びた手足が水をかきわけて、前へ前へ進む。足をつった地点に差しかかる。頼む。越えてくれ。

目をつむっている間に、会長は無事に泳ぎ切ったらしい。瞼を開いたときには悠々と泳いでいた。

向こう側にタッチをするところを遠くで見た。会計と副会長が顔を上げる。
すでに会長は誰よりも速く水から頭を出していて、拳を振り落とす。

黄色い声とは程遠い、男だらけの歓喜の声が会場を包んだ。

おれは近づいていって、水から出た会長にタオルを渡した。

「汚名返上だろ?」

濡れた前髪を後ろに戻しながら会長は歯を見せて笑った。

「いいえ」

「何?」会長は受け取ったタオルを首にかけて変な顔をする。

「あの日、みんな会長を応援してました。元々、汚名なんて背負ってなかったですよ」

あのとき会長に感謝した。
照れ臭いからはっきりとは言えないけど、バレンタインの気持ちはそれも含んでいた。

「ふーん」と目を細めた会長はそれから「次は何をさせるつもりだ」と聞いた。

「うすうす勘づいてるでしょ」

「ああ、あれだな」

球技大会のときバスケで負けた思い出がある。悔しそうにうつむいた会長の姿を瞼の裏に浮かべると、今も胸の奥がうずいて仕方ない。
おれも伝染したように苦しかったのだ。

「行くぞ」やる気になってきたらしい。
会長は軽い足取りで海パンから着替えるために更衣室に向かった。

体育館にはバスケのコートを取り囲む観客が集まる。
親衛隊は応援団の役割で観客を一つにまとめる。
親衛隊はずっと苦手だったけど、会長のために必死になれる彼らを見ていると素直にすごいと思う。
親衛隊だけではない。三年間、会長はずっといろんな力に支えられていたのだろう。
生徒会もおれも。

まずは、顔を強ばらせた二年生が現われる。
会長側がブーイングでもするかと思いきや、あたたかい歓声で迎えた。

次に、生徒会率いる三年生のチームがコートに入ると、歓声は一段と大きくなる。
この前とチームの構成はすべて同じだ。違うのはみんな今さっき試合をやると伝えられたことだ。

選手がそろうと、すぐに試合は開始される。
審判の手から離れたボールが宙に浮く。
腕がのばされ、どちらのボールになるのか。すべての人が注目する中、試合ははじまった。

今まで観たどんな試合よりも手に汗をかいて、目をそらせない。たった数分のできごとなのに、一生分の祈りを捧げている気がしてしまう。
いろんな祈りがぶつかるようにボールはゴールを弾き、歓声のため息になる。

スリーポイントシュート。会長が決め勝ち越そうとすると、二年生がスピードで巻き返してくる。

会計が相手のシュートを高さで弾く。
副会長のディフェンスは性格と同じでねちっこくって、相手は嫌がる。
ミスしたパスを会長がカットし、シュートを決めた。

終始どちらとも譲らない展開で後半までやってきた。同点のところを会長がボールを放つ。一か八か。

「3、2、1」

目を閉じることもできなくて、じっとボールの行方を追う。
弧を描いたボールは弾かれたあと、輪をくるりと撫でて、穴のなかに落ちていった。

ホイッスルが響くのと同時に会場は静まり返る。
頭のなかが真っ白になった。
うれしさが沸き上がるのも遅くて、大歓声によってようやく勝ったのだと喜べた。

興奮がやってくるままにおれは会長から背を向けた。
というか、気を許したら目から何か出てきそうだし。泣いたら格好悪いから。

体育館から出ると、先程の熱気がウソのように冷たかった。全部終わったんだ。
あとは学園に戻って卒業式をして、それからだな、会長と本当に別れることになる。
張り詰めていた糸が簡単に切れて、視界がぼやけた。何で泣こうとしているんだろう。
会長とはただのセンパイコウハイで、生徒会だけの付き合いだ。それももうすぐなくなる。

「やばい」一応、上を向いているけど目尻から涙がこぼれてくる。
鼻水も出てくるし、ティッシュが欲しい。

ずずっと鼻をすすっていると、呼ぶ声が後ろから聞こえてきた。
振り向きたいのはやまやまだけど、今はひどい顔になっている。
だから逃げた。

「おい、逃げんな」

腕を掴まれる。

「勝負はもう終わりか?」

「終わりですよ、早く帰って卒業式を」

「泣いてんのか?」

「泣いてません、花粉が飛んでるんです」苦し紛れだけど、口に出たのはそれだった。

「そうか、ほら」

横から差し出されたのはスポーツタオルだった。

「ありがとうございます」

歩くのをやめて涙と鼻水を拭ったら、会長が回りこんできて向かい合うことになった。
おれは顔を上げられなかったから気配しか感じなかったけど。

「そのままでいいから聞けよ。卒業前にやり残したことがもう一つだけあるから。
おれはな、はじめはお前のことなんて何とも思ってなかった。
顔だってただのイモだし、頭だってそんなにいいわけじゃないだろ。何より男だし。
遊ぶんだったらほかのやつがいいに決まってる。
お前を生徒会に入れるときだって適当だった。朝はじめに目に入ってきたやつを生徒会にしてやろうって。
でもな、お前と会ってからそんなもんはどうでもよくなってきた。
男だとか、容姿とか、全部が小さいことに思えてきた。
お前とだと笑っていられるんだよ。
男を好きになったことのないお前にはふざけてるように映るかもしれねえけど、おれは真剣にお前が好きだ」

ふざけてるように見えるかよ。わずかに震えた会長の声を嘘だとは疑えない。
タオルから顔を離してみたら至近距離に会長がいた。
好きって言われたことに驚いたはずなのに、言葉を失って何も言えない。
ただ見つめ合って、喉からかわいた息がもれるだけだ。会長が先に目線を外す。

「みんな来たな」

体育館から出てくる人々のかたまり。
会長は人の波に乗ろうと体の向きを変える。
このまま人の波に飲みこまれたら、二度と会長に告げることはできない気がした。
嫌だ、行ってほしくない。その気持ちで会長の服を掴む。

「おれだってあんたのこと好きだ! そうじゃなかったら、こんなに必死になるかよ!」

早口だし敬語なんてすっかり抜け落ちていた。
でももう会長も書記もない。
あんたは卒業して、どこかに行ってしまう。これくらいいいだろう。

「マジかよ」

会長は何度目かわからない間抜けな顔をして、ゆっくりとほほえんだ。

「マジだよ」

会長はおれを胸のなかに引きこんだ。

「お前、わけわかんねえ」

会長がこぼす。
そんなの、おれ自身でもわからない。
知らず知らずのうちにおれのなかに、会長の存在が大きくなった。
会長のことしか考えないようになった。

「あんたが行っちゃっても、おれこの学園でがんばるから。あんたもがんばれよ」

引き止めるなんてしない。
会長の未来はおれだけのためにあるわけじゃないし。

「ああ、がんばるよ」

会長の腕は本当にあったかくて、悔しいけどすごく心地よかった。
人は見ていただろうけど気にならなくて顔を近づける。重なる唇。

親衛隊の悲鳴が聞こえたかもしれない。
だけど、おれにはもう、会長以外見えないし、聞こえなかった。

その後、会長は卒業式を終えてから海外に渡った。

会長が日本を離れてから多くの時間が流れた。

副会長だったあの人は医大に進んだ。
今では五本の指に入るくらいの外科医だ。まあ、当分、お世話になることはないが。

会計はヨリと結婚をして婿養子になった。
しかもパティシエになり、今でもバレンタインにはヨリにチョコを作っているらしい。ヨリがよくノロケてくるから、しあわせなんだろう。

そして、会長だったあの人とおれは……今も一緒にいる。
海外から戻ると父親の会社に就職した。
次期社長のあの人と企画会社に就職したおれは、まさかの同棲までしている。

これまでいろんなことがあった。
遠距離のときも国際電話で喧嘩ばかりだったし、顔を突き合わせると素直になれなくて言い合いになった。

結局、乗り越えられたのは、部屋にある色褪せたカレンダーと毎年増えた金魚の水槽。

それとおれの心をほだす、あの人の残念なところかもしれない。

今日も一つ喧嘩をした。
喧嘩をして出ていったのに財布を忘れてどうするんだろう。相変わらず抜けている。だから、すぐに戻ってくるはずだ。

案の定、部屋のドアが開いた。
「くそ、だせえ」なんてつぶやきが聞こえてくる。
とりあえず怒りは沈めて、あの頃の話をしよう。
今も耳に残る二人の声。

「会長!」

「何だよ、書記?」

決して甘くない話だけど、この思い出があれば大抵のことは乗り越えられる、気がする。

〈おわり〉
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