きみの家と、その周辺の話

16【認める】


 でも、違った。本当にそうなのかと問われても自信を持って頷けなかった。

「渓太を好きかどうかはわからない。友達を取られることが嫌なのかもしれないし。考えてみても、男を――友達を好きになるってことがわからない」

 嫉妬したくらいで好きだとは言い切れない。キスしたい、手を繋ぎたいという性欲もない。このままでいたいくらいの小さな気持ちしかない。

 思い描いてきた恋とは根本的に違う気がする。

 いつものノリの良さで「いいよ」と言えば、恋人関係は成立するだろう。

 それでも相手は渓太だ。俺の話を聞いてくれた。友達よりも重い。親友。大切な人だ。

 だからこそ、深く考えたいと思う。これまで自分が目を向けなかったことを真剣に考えたい。渓太を好きになれるかどうか、結論が出るまで考え続けたい。

「少し考えさせてくれる?」

 それが今出せる答えだった。普段、顔色をうかがいながら話をする俺にしてみれば、渓太の反応を見ずに返答を待つのは恐ろしいことだった。呼吸の音までも耳をすませてしまう。

 渓太がため息を吐いた。

「俺も今すぐ、どうなろうとか思ってない。ただ伝えたかっただけだから」
「ごめん。相手が俺じゃなかったら、すんなりいけたはずなのにね」
「や、相手が寛人じゃなかったから、好きにならなかったかもしれない」

 そんなことを軽々しくいうような性格ではないと知っているから、ますます恥ずかしくなる。

 この部屋が薄暗くて助かった。顔全体を覆うような熱が、頬までも赤く染めているかもしれなかった。

「も、もう寝る!」

 子供じみた言い方になった。渓太は笑っているのだろうか。笑ってくれていたほうが気は楽かもしれない。

 確かめることもしないまま、ブランケットを顔まで引き上げる。

 身体の熱さは、しばらくの間、消えなかった。



 朝起きて一番、目の端で捉えて、ぼんやりと人のかたちを確かめた。ブランケットを蹴飛ばす俺とは違い、渓太は仰向けのままで眠っている。どこまでも礼儀正しい。

 昨夜までは寝顔を見ても、無防備で可愛いという感想だけだった。

 さらされた丸い額や開かれた眉間、瞳を隠す瞼。目を覚まして、その瞳に自分を映して欲しいような、まだ起きてほしくないような複雑な気分になる。ゆるんだ口元まで視線を移したら、吐息がこぼれた。

 昨夜、この口から「好き」と言われた。たったそれだけで、こんなにも落ち着かない気分になる。

 気づけば、5分くらい眺めていた。この調子で見つめていれば、あっという間に1日が過ぎていくだろう。

 ――気持ち悪いな、俺。

 音を立てないように気を配りながら、ベッドを離れた。詰めた息を流せたのは、自分の部屋を出た後だった。



 朝はとにかく母さんの料理に集中して、渓太の方を見ないようにした。

 渓太をうっかり見てしまうと、ばくばくと心音がうるさくなるからだ。身体が一気に熱くなり、冷ますのが難しくなる。自分の感情をまったく制御できないのは、はじめてのことだった。

 洗面台の前に立つときも。

「寛人」

 今まで何とも思わなかったはずの渓太の声に、肩まで跳ねる。

「次、使っていいか?」
「お、おー、いいよ」

 洗面所の狭い空間ですれ違うだけでも緊張するのはどうなんだろう。

 あからさまな距離に、渓太はどう思うのだろう。拒絶されたと思うだろうか。それなのに、どうしようもできなかった。

 たった「好き」と言われただけで、こんなに駄目になるなんて知らなかった。渓太が悪いわけでもないのに。絶対に俺が悪いのに。

 最終日は、ほぼ会話らしい会話もなかった。何かを言いたそうな雰囲気が生まれるのが怖くて、ふたりきりを極力避けた。寝るときもさっさと寝たふりに入った。

 朝になっても態度を変えられないまま、渓太は自分の家に帰っていった。俺は申し訳なさで、どうしたらいいのか、自分でもわからなくなっていた。

 その日を堺に、遊びに誘うのも悩むようになった。悩んだ挙げ句、「やっぱりやめるか」と連絡しないで終わる。

 次第に渓太とのやり取りは挨拶だけになっていった。

 渓太と距離ができた分、同じ学校の友達と遊ぶようにした。付き合いが悪いと言われていたから、ちょうどいい機会だった。何も難しいことはない。ただノリよく笑っていればいいだけだ。

 母さんの夜勤の日が来ても、渓太に連絡することはなかった。

 元々、頻繁に他人の家に行って、夕飯を食べているのがおかしい。友達、親友だとしても馴れなれしい、と過去の自分を傷つけながら、今を正当化した。

 その日の放課後は、友達とカラオケに行った。

 騒がしくしている中で、俺のスマホが鳴る。画面を見れば、渓太からの発信だった。

 周りはうるさいはずなのに、俺の周りだけ音が聞こえなくなった。深呼吸をして落ち着いてから、応答にスライドする。大丈夫、顔さえ見なければ、なんてことない。

――「今日、おばさんは夜勤だよな。うちに来ると思っていた」
「あー、そうだけど、今日は大丈夫だから。わざわざ連絡くれてごめん」
――「や、確かに大丈夫そうだな。そっちの友達のほうが大事なんだろうし」

 にぎやかな場所で応対すれば、友達の声が渓太に聞こえても仕方なかった。渓太はいつものように、俺が夕飯を食べにくるものと思っていたのかもしれない。そのための確認だったのだろう。

 こちらだって断りもいれずに悪いと思っていたが、嫌味っぽく言われて腹が立った。

「どういう意味?」

 思いの外、強い口調になった。

――「別に。今日は来ないんだな? それだけを確かめたかっただけだから。じゃあな」

 こちらの言い分を聞きたくもないかのように、一方的に通話を切られた。渓太から切られたことが衝撃だった。

 渓太はいつだって、俺が切るのを待っていてくれたのに。名残惜しくて切らないでいたら、「お前から切ろよ」というやつなのに。

 あの渓太が確実に怒っていた。怒らせたのは俺のせいだ。「考える」と言ったくせに、実際は何にも考えていなかった。自分から逃げていた。

 目の前の感情に支配されて、選択肢を全部、間違えた。楽な方に行こうとしていた。

 渓太が怒るのも無理はない。渓太から愛想を尽かされたら、俺はこれから生きていけるのか。たぶん、無理だ。

「渓太に謝らなきゃ」

 それも直接、今から渓太に会って謝る。

「海和、歌わねえの?」
「ごめん! 俺、帰るわ!」
「何だよ、いきなり」

 代金をテーブルに置いて、席を立つ。ただ、夢中だった。早くこの部屋を飛び出して、渓太を捕まえに行きたかったんだ。
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