甘くない話

13【逆チョコ】


一月はあっという間に過ぎた。
本当に驚くほどの速さで二月がやってきて、学園内はバレンタインデー一色に染まりつつある。

購買部にもチョコの特集ができはじめ、男は何となくそわそわしだす。

男しかいない学園にはバレンタインなんて関係ないと思っていたけど、親衛隊やなんかにすると一大イベントらしい。

陳列されたチョコの前で「どうする?」「こちらのほうがいいと思う」と会話をする輩も目にするようになった。

もちろんおれにはそんなイベントなど関係なく、何がバレンタインだ、くだらないと思っている。

決して、おれに彼女がいないからじゃない。
チョコの予定がないという悲しい理由でもない。

単に忙しいからだ。
来る卒業式の準備で忙しい。
忙しくて寝ていないからイライラする。
今はバレンタインなんてくだらない。

授業を終え、その足で生徒会室に直行する。スマホを尻ポケに入れ、書類を小脇に抱える。
放課後になって、二人で打ち合せをしよう~と会計からメールをもらった。

力を貸してもらえてありがたいのだけど、会計と二人というのは気まずかった。
実は会計のように表情が表に出ないタイプが苦手だったりする。

だからドアノブが重く感じるのだと思う。
思い切り息を吐いて生徒会室のドアを開くと、甘ったるいかおりが鼻をくすぐった。

「チョコ?」

部屋の奥には調理ができるスペースがあって、そこからただよってくるかおりだった。

「あのー、います?」

おれの声に気付いたようで会計は頭を出す。

「来たね~、こっちこっち」

「何なんですか?」

のほほんとした口調に無関心な目。
決して人を傷つけないが、進んで助けようとはしない。
おれが思う生徒会のなかで一番恐い人間だった。
今ではその恐さは息をひそめて、制服の上からエプロンを身につけている。

調理台にはオーブンシートが敷かれたまな板が置かれ、ボウルには細かく刻まれたチョコが入っていた。
会計はちょうど鍋で生クリームみたいなものを温めているところだった。

「もういいかな」

沸騰する頃合いに先に刻んでおいたチョコを一気に注ぎ、泡立て器で混ぜ合わせていく。
もしかしなくても、会計はチョコを作っているみたいだ。
でも聞かないではいられない。

「何をしているんですか?」

「見てわかんない?」

「わかりますよ。チョコを作っているんでしょう」

「そうそう。今は逆チョコもいいらしいから」


「逆チョコですか」

それも渡す相手が必要だ。
おれのような独り身には、やっぱりバレンタインなんて関係ない。

「あの、それで、打ち合せは、どうしたんですか?」

「え? 今日は気が向かないから打ち合せしないよ」

はめたな。
もとからそのつもりだったのだ。

「じゃあ、おれはこれで」

「待って、手伝ってよ」

腕を引かれる。

「嫌です。おれより仲の良い副会長に手伝ってもらったらどうですか?」

「副会長はダメ。忙しいから。そんなこと言っていいの? 予算の計上、きみにできるのかな?」

悔しいけど「できません」が正しい。
答えをわかっているから聞いたのだ。
交換条件としてエプロンを手渡され、なかばあきらめて腰に巻いた。

「というか、相手いたんですね?」

「いるよー。学園祭のときに会ってさ、見事らぶらぶ」

「へえ、うらやましいかぎりです」

学園祭なんて後夜祭ぐらいしか思い出ないし、しかも会長と一緒という悲しい結果だった。

「あー、ヨリちゃん、喜んでくれるかな?」

会計は天を仰ぎながら確かに“ヨリ”と言った。
まさかここで昨日の電話と繋がるとは。
幼なじみのヨリから電話があった。
学園祭で彼氏ができたこと、その彼氏がうちの学園であることの報告だった。

「ヨリ? ヨリってあのヨリ? 女子校の?」

「そうだけど」

のほほんと目を細める会計の顔が一瞬にして変わった。
口元は笑っているのだけど、目の奥の焦点はじっとこちらに置かれていた。

「ヨリちゃんのこと、知ってんの?」

「ええ、まあ、幼なじみでして」

「幼なじみか、なら仕方ないね」

会計の目力が弱まった。
肩の力が抜けて安心する。

会計はときどきゴムべらでゆっくりと混ぜていったあと、「こうやって並べてくれる?」とおれに仕事を任せた。

言われた通りにスプーンでガナッシュをすくい、オーブンシートの上に同じ大きさになるように並べる。
あとは冷蔵庫の出番だ。
ガナッシュを冷やしていく。

はじめてとは思えない手つきで準備をしているのを見て、聞くしかないと考えた。

「そんなにヨリのことが好きなんですね」

「うん、好き。ヨリちゃんには喜んでほしいから」

恥ずかしげもなく直球に言われてしまい、何と返していいか迷う。

「そうですか」

おれなら会計のようにはっきりとは伝えられない。
結局はタイミングばっかり見計らって、別の奴に奪われてしまうんだろう。

「なんか、うらやましいですよ、口に出して言えるなんて」

「そうかな、ただ気持ちに忠実なだけだよ。ウソつけないから彼女ができてもうまくいかないしさ~。副会長にも『損な奴だな』ってよく言われる」

のほほんとマイペースに生きていそうな会計でも悩みがある。

「副会長と本当に仲がいいんですね」

「そう? まあ、付き合いが長いからかな」

それから会計とたわいない話をたくさんした。

二人で会話している間にも冷蔵庫のガナッシュは冷えていく。
ガナッシュを手のひらで団子状に丸めるときに、会計は教えてくれた。

「あんまり強く丸めないで。でもちゃんと想いはこめてね」

「想い?」

「そう。好きだけじゃなく、感謝とか、いつもは伝えられないことをこめてみたり。うわー、今良いこと言った~」

その辺りはかわいた笑みで返す。

「感謝か」

感謝というと、シートに並べていきながらあの人を思い浮べる。

あとは湯煎で溶かしたチョコをガナッシュに付けて、表面にココアをまぶせば、できあがりだ。

「ちょっと作りすぎちゃったから、きみにあげるよ」

完成品のトリュフチョコの数を数えて、会計はにやりと笑った。
宅配でチョコを送るという会計は「じゃあね~」と生徒会室から去っていった。

一人になり、手には器に入ったままのトリュフチョコが鎮座してる。
自分で食べるかとトリュフを掴んだが気は乗らない。

あげたい人は一人いる。
作っているときに思い浮かんでしまった顔だ。
最近、気まずくなって逢えなくなってしまったけど、この機会にどうだろう。
そう思ったら、紙袋にトリュフの入ったカップを突っこんだ。

交換条件に会計がくれた書類を腕に抱え、生徒会室を出たときには目的地はもう決まっていた。

歩きついた先には会長がいて、突然訪問してきたおれに驚いたように目を丸くした。

「どうした? 何か問題でも起きたのか?」

生徒会がらみのことと思ったらしく、会長は生徒会会長として真面目にたずねてきた。
おかしくなるけど、笑いたくなった顔をひきしめる。

「そういうんじゃなくて」

口ごもるおれに会長は髪の毛をかいたあと、おれの手にある紙袋に向けて顎をしゃくる。
たぶん「それは何だ?」と聞きたいのだろう。

「これはその、チョコです」

「チョコ?」

会長の訝しげな目にどう説明しようかと頭は巡る。

「えっと、別に、おれが言いだしたわけじゃなくて、会計のあの人が、彼女にチョコを作りたいと言うので、手伝っただけです」

「ふ~ん、じゃあ、あまりものってわけか」

「そうなりますね」

おれの説明をどう考えたのか、会長は紙袋を取り上げてニカッと笑った。

「おれが味見してやる」

「はあ?」

「いや、毒味だな」

一月のことがあったから気になっていたけど、会長は全然、普段どおりだ。
むしろ、おれへのいびりはひどくなっている。

「毒なんて入ってませんよ」

「どうだかな。まあ、毒が入っていようと、お前の作ったものは全部おれが最初に食ってやる。どうだ、ありがたいだろ?」

まったくありがたくはないのが本音だったけど、不思議と顎をひいていた。

「ええ、ありがたいですよ、とても」

やっぱり軽口は叩いてしまうけど。

「かわいくねえ」と言いながら、会長は紙袋を持って部屋のなかに戻ろうとする。
広くて大きい背中に向かって「会長」と呼べる日も残り少ないのだ。
おれも会計のように素直になれたら。

「会長!」

「ん?」

「チョコを作るとき、会長のこと思ってました。会長にしたら気味悪いでしょうけど、本当にいつもありがとうございます! 会長!」

「気味悪いなんて思わねえし、むしろうれしいから、早く入れよ」

会長の後についてこっそりと後ろから顔をうかがう。会長の耳は赤く染まっているから、きっと照れているのだろう。

よく考えたら「ふん」と子供っぽくすねる会長も、クールな会長も、「行くぞ」と強引に腕を引く会長も。三月になれば、学園から消えてしまう。

卒業式まであと少し。
最後まで走り切れる気がした。

〈おわり〉
14/18ページ