眩しい笑顔

11【恋人の距離】


 公園を出て、隣り合って歩くだけで、いつもの景色が変わる。アスファルトの黒も、雨上がりの空が反射したような輝く道みたいに見える。

 今朝の気まずさが嘘のように、日中の隣が楽しい。横を見たら、日中もこっちを見ているから、笑ってしまう。

「何か、恋人なんて、照れちゃうね」と、日中が目を細めた。

「そうだな。俺も変な感じ」

 日中が俺の彼氏。改めて考えたら、胸の辺りがくすぐったくなった。にやけ顔を止められそうにない。

 恋人として、日中と一緒にこうして歩ける。それだけで、胸の辺りがぽかぽかと熱くなるくらいに嬉しかった。

 夕飯の食材を買うために、日中とスーパーに立ち寄った。日中は、透明な袋に入ったじゃがいもや、にんじんを選ぶ手際が良い。俺にはどれも同じに見えたけど、違いがあるんだろうか。

「日中、手慣れてるな」

 感心して、思わずこぼしたら、「たまに料理するからね」と答えが返ってきた。

「そうなんだ、料理できる男って格好いいよな」

「格好いいって、そんなことないよ」

 日中は照れ臭そうに赤い頬を横にそらす。それだけじゃ耐えきれずに、顔の半分を手で覆ったりして、そんな姿が格好よくて、可愛い。

 周りの女性たちがちらちら見てくるのもわかる。俺だって、見惚れちゃってるよ、普通に。

 日中は用意良くて、サブバッグを持ってきていた。会計の時、「金は?」と聞いたら、母さんが日中にいくらか渡していたらしい。

 俺の知らないところで話はついていたようだ。仲間外れか。

 ちょっと面白くなくてすねていたら、「後でアイス買ってあげるから」と甘やかされた。

 日中とアイスは想像するだけでも、きっと美味しい。それだけで、すっかり機嫌が直るんだから、我ながら現金だと思う。

 スーパーから出ると、赤い空から薄暗く変わっていた。さすがに日中にエコバッグを持たせるのは頼りすぎたなと思って、手から奪った。

「そんなの、いいのに」と抵抗されたけど、俺はゆずらなかった。

「日中、これくらいさせてくれよ。俺だって何かしたいんだ」

 日中は俺の言葉を受けて、少しずつにこやかな表情に変わっていった。

「そうだね。うん、わかった。じゃ、よろしく」

「おー、任せといて」

 街灯が点きはじめた住宅街の道は、ちらほらと人の姿が見える。何だかんだしていたら、大分、時間がかかってしまったようだ。

 俺の家の前まで来ると、日中は足を止めた。家に寄っていくものだと思っていたから、驚いた。不思議に思って後ろを振り返ると、「じゃ、また後で」と告げられた。

「えっ」

「着替えてくるから、それ、中に入れておいてくれる?」

「あ、そうだよな」

 バッグはすでに受け取っている。制服のままだし、一度家に帰って着替えるのは普通だ。何もおかしなことはない。

 おかしいのはそこまで考えていなかった俺だ。ずっと、一緒にいられると思いこんでいた。バカだ。

「じゃ、待っててね」

「ん、わかった」

 日中の背中を、消えて見えなくなるまで、玄関前から一歩も動けなかった。そんな自分に、ため息が出た。いつも適当に日中を見送っていたくせに。

 好きと自覚しただけで、こんなに自分の行動が変わるとは思いもしなかった。「抱いて!」なんてバカなことを言っていた自分が懐かしい。もう、言えないな、絶対。

 家に入って、バッグをキッチンスペースのテーブルの上に置いた。買ってもらったアイス(日中のも入れて2つ分)を冷凍に入れる。

 日中を待つ間、俺も着替えておくことにした。自分の部屋に入ると、すぐ異変に気づいた。ベッドの横の床に布団が一組、敷かれていた。日中が泊まるなんて言っていないはずなのに、用意周到というか、何というか。

 たぶん、母さんが気を利かせて、敷いておいてくれたのだろう。さすがに、俺と日中が恋人になったとは思っていないかもしれないが、素直には喜べない。こんなの、恥ずかしい。

 できるだけ見ないようにして、さっさと、制服を脱いだ。いつものくたくたのグレーのスウェットに落ち着く。俺は伸びた襟を指でつまみながら、考えこんだ。

 日中はこんなの見慣れているだろうが、さすがに普段すぎるかもしれない。もうちょっと、いい格好したほうがいいかもしれない。

 でも、変に気合い入っていたら、恥ずかしいし、ちょうどいい服装がわからない。

 普段の日中はどんな格好をしていたっけ? と、思い浮かべる。あの日中だ。何を着ても格好良かった気がする。俺とは何もかも違うんだよな。容姿もオーラも。

 ぐだぐだ考えながらも、結局、くたくたのスウェットのまま、リビングのソファで待った。本当なら玄関で待ちたい。

 もっといえば、家を出て、外で日中を待ちたいくらい。だけど、どう考えても、それは、いつも通りの俺じゃない。変だと思われたらどうしよう。

 彼氏の距離感がわからない。彼氏って何だ? どこまでが正しいんだ? 友達とは何が違うんだろう。

 わかんねえと呟きながら、クッションに顔をうずめた。恋の経験が少なすぎて、正解がわからない。

 顔に当たったクッションは、人をダメにする、ふかふかだ。顔一面が覆われて癒される。日中を待たなきゃダメなのに、眠気に勝てない。早く来ないと、俺、寝ちゃいそうだ。眠い……。

 ――いつの間にか寝てた。

 規則的な音が気持ちよく入ってくる。この音は知っている。母さんが包丁で食材を刻んでいる時の音だ。

「かあさん?」

 クッションから顔を上げたら、ぼんやりとした景色が遅れてはっきりしてきた。

「起きた?」

 優しくて甘い声が胸に落ちていく。白のスウェットが眩しい。その上に黒いエプロンをかけていて、本当に目に眩しかった。

 俺は目をこすった。日中の周りがきらきら輝いて見えて、全部が夢みたいだった。

「ごめん、日中。寝ちゃってた」

「うん、気持ち良さそうだったから、そのままにしておいた」

「何だよ、手伝いたかったのに」

「後は煮こむだけなんだ」

「そっか……」

 役に立てなかった。落ちこむ俺に、日中は「小花」と声をかけてきた。

「ポテサラ、作るから手伝ってくれる?」

「おー!」

 やっと、手伝えて嬉しい。電子レンジで加熱したじゃがいもをボウルに入れる。後はマッシャー(日中が名称と使い方を教えてくれた)で、潰していくのだけど、その役目を俺に任せてくれた。

 割りと形が残っているのが好きだから、あんまり時間はかからなかった。菜箸に持ちかえて、マヨネーズとあえる。日中の手で、ハムときゅうりを投入。またしてもあえて、ブラックペッパーを振るう。

「うまそう」

「ん、美味しそう」

「味見してくれるか?」

 小さいスプーンでポテサラをすくって、日中の口元に持っていく。そのまま、日中は固まった。

 ――あれ?

 変に思ったときには、もう、日中はぱくっと口を開けてポテサラを食べていた。味はどうだろうと、首を傾げて待っていると、にこっと笑ってくれた。

「美味しいよ」

「やった!」

 日中が「美味しい」と言ってくれるだけで、飛び上がりたいほど嬉しい。

「小花」

「ん?」

「こうしてふたり並んでいると、新婚さんみたいだね」

「へ?」

 新婚さん? どこからそんな言葉がやってきたんだろう。俺と日中が新婚とか、考えただけで顔が熱くなる。

「ごめん。すごい浮かれてて、変なこと言ったよね?」

「や、驚いたっていうか。そんな考え方もあるんだなって」

 もごもごと、わけのわからない返答をしてしまう。お互いに顔をうつむかせたりして、変な雰囲気になった。

「よし、夕飯の準備はできたから、少し休憩しようか」

「うん」

 タブレットを持ち出して、映画でも観ようってことになった。ようやく、いつもみたいな距離に戻れて、俺は肩の力が抜けたんだ。
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