きみの家と、その周辺の話

15【風呂】


 湯船に浸かりながら、後悔しはじめていた。服を脱いでいるときはまだよかった。冷静ではなかったからだ。

 シャワーを浴びてから湯船の中で膝を抱えている間に、疑問が浮かんできた。

 なぜ、渓太と風呂に入らなくてはならないのか。渓太もどうして了承したのか。

 特別なことをしたいからといって、ふたりで一緒に入ることはないだろう。それ以前に、特別なことをしたいというのもおかしい。

 考えがまとまらない中で、バスルームのドアが開いた。

 濡れたタイルに、日に焼けた足が置かれる。短距離を走るという足のふくらはぎにも無駄な肉はなかった。部活で鍛えられた太腿、腰とを見ていく。腹筋は割れているし、腕や肩には程よく筋肉がついていた。首の上には見慣れた強面がのっていた。

 タオル一枚を手にしているだけの渓太の裸を見たのは、はじめてだった。

 渓太の視線が俺の顔から湯船の中まで移った。男同士なので、渓太に見られようが恥ずかしくはなかった。

 ただ、ものを言わずに見つめられるのは、居心地が悪い。もしその無表情の奥で、貧相な身体だと同情しているのだとしたら、大きなお世話だと思えた。

「何だよ?」
「いや」

 そう言って、ようやく視線を逸らした渓太は、身体を洗うことにしたらしかった。バスチェアに腰かけて、シャワーを浴び始めた。

 横からシャンプーの泡が頭を覆っているのを見ると、おかしかった。渓太は中学のときから、ほぼ同じ髪型をしている。泡を流すと少しだけ髪の毛が長く見えるのだ。そして、邪魔くさそうに髪の毛を後に撫でつけると、オールバックになった。

 額をさらした強面がこちらの視線に気づく。じっと眺めていたことがバレたのかもしれない。

 また長く見つめ合った。何を言うでもなく、視線だけがふたりを繋いでいる。

 バスルームに入ってから、こういう妙な間があった。結局、この間に耐えきれなくなるのは俺だった。声をかける。

「渓太?」
「いや」

 渓太は水気を払うように頭を軽く振ると、身体を洗い始めた。

 すべてを終えると、湯船に入ってきた。足を開いたときに見えたものは、極力意識しないようにする。渓太の座るスペースを確保するため、浴槽の隅に身体を移した。

 窮屈な中で、渓太は熱い息を吐いた。そして、頭を下げる。

「寛人、悪かった」
「えっ? 何で謝るの?」
「俺の告白された話で明らかに顔色が変わったから、気を悪くしたんだと思って」
「何で渓太の告られた話を聞いたくらいで機嫌が悪くなるんだよ」
「それをずっと考えていた。もしかして、寛人は俺が誰かに告白されたのが嫌だったのか……そんなことはないだろうが」

 俺は渓太の言葉と自分の考えとを照らし合わせた。渓太にとって特別な存在でありたい。それは、渓太を誰にも盗られたくないというのと同じだった。

 自覚すればするほど、身体が熱くなっていく。湯船に顔ごと突っ込みたかったが、できなかった。渓太の大きな手が、俺の頬を包みこんでいたからだ。

「熱いな、大丈夫か?」

 相手は同じ男だ。顔や身体はごついし、きっとどこを触っても固いに違いない。胸板は厚くて、やわらかくはない。そこに突起があったところで、色気を感じたりしない。太腿の間には、男特有のものをぶら下げている。どこからどう見ても男だ。

 だとしても、俺の心をたやすく揺さぶってくるのは、渓太だけだった。湯から伝わってきた熱と、内側から出る熱。この熱がどこから来ているのか、知らないふりはできない。

「俺……」
「出るか」

 声は同時だった。

「あ、悪い。話をさえぎって」

 渓太が言った。

「大丈夫、何でもない」
「そうか?」

 ある意味、助かったような気持ちだった。何を告げればいいのかもわかっていなかった。自分の熱に戸惑っていた。

 いつもの笑顔をどうにか貼りつけて、「うん、出ようか」と言った。今はそうするしかなかった。



 自分の部屋のベッドに横たわりながらも、今夜は眠れそうになかった。ベッドのすぐ横の床には、布団が敷かれている。そこにはさっきから渓太が横たわっているはずだ。

 バスルームを出てから、会話という会話はなかった。「おやすみ」と交わしただけで終わった。

 何も話し合わないままで1日を終えていいのか、そう思うのに肝心の言いたいことが浮かばなかった。目を瞑って、隣にだけ意識を向けていると、身じろぐ気配がした。

「なあ、寛人」
「あ、まだ起きてたんだ」

 わざとらしく驚く振りをする。本当に驚いたのは起きていたことではなくて、渓太から話しかけられたことだった。

「話しておきたいことがあって」

 バスルームでの話だろうか。あの時は核心を突かれて、何にも言えずに困惑した。それを蒸し返されると思うと、少し緊張した。汗ばんでくる。

「ずっと、寛人には感謝したいと思っていた」

 予想とはまったく違うところから来て、戸惑いしかなかった。

「感謝なんて、何で」
「中学の時。クラスの奴らはみんな笑っていたが、俺はどうしてもその面白さがわからなかった。
でも、ここで笑わないと周りが白けるだろうと思った。だから、俺は笑おうとした。
そんな俺を止めるように、肩に手が置かれた。寛人だった。寛人は黙って俺に笑いかけてきた。その顔に『無理に笑わなくていいよ』と、言われた気がした。
そして、寛人は俺の代わりにバカ笑いしてくれた。俺は救われた気がしたんだ」

 渓太がこんなにも話したのははじめてかもしれない。しかもこちらはまったく覚えていなかった。

「その時から気になっていた。友達になれなくても、話すくらいはできないだろうか、と色々考えた。結局は実行に移せないまま、卒業間近になった。
あの夜、公園で寛人の姿を見たとき、チャンスだと思った。俺は声をかけずにはいられなかった」 

 強面、無表情の裏側でそんなことを考えていたなんて、思いもしなかった。まんまと友達になり、こうして家を行き来するまでになった。

「寛人は自分の笑顔を嫌いだと言うが、俺は好きだ」
「あ、りがとう」
「好き、なんだ」

 改めて言い直された言葉には、熱がこもっていた。こちらが恥ずかしくなるような真っ直ぐな言葉だった。

「さっきの風呂で言ったことは俺の願望だ。寛人が少しでも嫉妬してくれたらと思った」

 渓太が言ったことを思い出す。

――「もしかして、寛人は俺が誰かに告白されたのが嫌だったのか」

 あの時にしようとした返答が浮かぶ。そのまま口にしたらどうなるかなんて考えも及ばない。ただ話したかった。

「そうだよ。俺は顔の知らない女子に嫉妬したんだ」

 認めてしまえば、気持ちは楽になるはずだった。
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