窓際は失恋の場所
15【濱村さんのこと】
永露がいない間、濱村さんは図書室に来ていなかった。しかし、永露が戻ってきてからは、ふたたび来るようになっていた。
割りとふたりで会話しているのを見るから、だいぶ永露が歩み寄っているとわかる。はにかむ濱村さんを眺めては、仲良くなれてよかったなと能天気に思っていた。
だから、濱村さんがすごい真剣な顔をして、おれの前に現れるとは考えもしなかった。
「あの、見原せんぱい、ちょっといいですか?」
重岡ちゃんを交えてなら少し会話したことがあるけど、サシで話すのははじめてだ。その重岡ちゃんも今日は図書室にいない。濱村さんだけだ。
「いいよ。で、何?」
このまま図書室で話でもするのかと思ったら、「ここではちょっと」と言われた。ただならぬ雰囲気に緊張してくる。
「ついてきてもらっていいですか?」
場所を変えて話をするらしい。何の話をするって言うんだろう。濱村さんの真剣な顔は永露に関係するのだろうか。だとしたら、おれじゃなく、本人と話した方が早いと思うけど、言わないでおいた。
図書室から割りと離れた1階まで行く。あまり使われない教室の前は人通りもない。日差しの少ない薄暗い廊下にふたり。濱村さんの足が止まった。ここで話をするのだろう。
何となく窓際に手をかけて、外を眺める。隣の濱村さんは背伸びをしておれと同じように窓の外を眺めた。視線は外にあっても、おれの意識は濱村さんにある。何度かわからないけど、息を呑んだ。
「……せんぱいは、こうやって窓の外を眺めてました。誰かをずっと視線で追いかけてました。ときどき、おかしそうに笑ったり、目だけで微笑んだり。わたしはそういうせんぱいを見て、さらに好きになりました」
濱村さんのいう「せんぱい」とは、永露だろうと想像できた。健気に相手を思っているのに、まったく報われない。相手に嫌われるのが怖くて、好きとも言えない。そんな永露を見ていたら、おれもいつしか情が沸いてきた。それは濱村さんのものとは種類が違うけど。
「それなのに、せんぱいは変わってしまいました。今では窓際に近づこうともしないし、誰と話していても同じで、笑ってません」
「おれも気づいてた。よく笑ってるんだけど、目は笑ってないんだよな」
「そうなんです。わたし、心配になっちゃって。せんぱいはどうしちゃったんでしょうか?」
さすがに失恋しちゃったからとは言いにくかった。どう話したらいいか迷いに迷って言葉にできないでいると、濱村さんの方が口を開いた。
「わたしと同じように見てきた見原せんぱいなら何かわかると思って」
「は? おれが見てきたって?」
「え、見原せんぱいは永露せんぱいのこと、好きですよね?」
はじめて濱村さんと目を見合わせるかたちになった。大きな目は真ん丸でかなり驚いてきている。いや、驚きたいのはこっちだ。
「いや、永露を好きってありえないだろ」
「そうですか?」
「そうだよ。おれは永露の恋が成就するか気になっただけで、永露自体に興味はないから」
「あんなに見てたのに」
「見てたって好きとは限らないだろ」
「そうなんですか? まあ、見原せんぱいが言うなら、そういうことにしておきます。それに見原せんぱいの話で何となくわかりました。やっぱり永露せんぱいは失恋してたんだなって」
「あ」
永露の恋って言っただけで、濱村さんは悟ったらしい。罠にハマった気分だ。
「見原せんぱいが永露せんぱいを好きって認めても認めてなくても、わたしは負けないんで、よろしくです」
濱村さんはおれに不敵な笑みを向ける。握手とばかりに手を差し出してきて、少し怖い。
いや、負けるとか勝つとか、おれは勝負したくない。そもそも、おれとなんて、勝負にならないはずだ。濱村さんの圧力にあっさり負けて、おれは握手していた。
「えっと、よろしく?」
「じゃ、図書室に戻りましょうか」
こっちはまだ心の切り替えができないのに、濱村さんはさっさと歩き出した。おれはなかなか一歩が出なくて、濱村さんの言葉を繰り返し頭のなかで流していた。
――「見原せんぱいは永露せんぱいのこと、好きですよね?」
あるわけないだろ、そんなこと。永露は友達だ。あいつが幸せになるのを見届けたいってだけだ。首を何度も横に振って、濱村さんの言葉を頭から追い出した。
濱村さんに遅れて図書室に入ると、永露がいた。
「見原、遅刻だ」
「お前は先生か」
ちゃんと会話もできる。大丈夫。変に緊張してない。
「これ、全部読んだよ」
永露が差し出してきたのはおれが薦めた本だった。ドヤ顔の永露に呆れながらも、読んでくれた事実は照れ臭い上に嬉しい。何か応えようと考えている間に、横から濱村さんが入りこんできた。
「その本、そんなにおもしろいんですか?」
「ん、途中寝かけたけど、読めたよ。濱村さんも読んでみる?」
「そうですね。わたしも借りてみようかな」
濱村さんが本を手を伸ばす。この本はおれが永露のことを考えてすすめたものだ。別の人のためじゃない。
――触ってほしくない。
おれはその一心で、濱村さんの手を遮るように横から本を掴み上げて、邪魔をした。ふたりの視線が痛い。
「ごめん。濱村さんが借りるなら、一度、こちらに返してからじゃないと図書委員的にはダメって言うか」
本気で濱村さんが借りるとは限らないのに、おれはあくまでも図書委員としての行動だと言い訳した。
「かたいね、見原は。それにまだ濱村さんは借りるなんて決めてないでしょ。借りないかもしれないし、ね?」
永露はまた唇だけで笑った。流し目で濱村さんを見る。見られた方は改まったように「え、あ、はい」と返事をした。ふたりの間に流れる変な雰囲気はおれのせいなんだろうか。
「で。見原、次は何を読めばいい?」
「あ、ああ、これなんかどう?」
永露は何事もなかったようにおれに話をふり、いつも通りの会話を取り戻した。
濱村さんは借りる気が失せたのか、結局、この本を借りることはなかった。