窓際は失恋の場所
14【永露の心】
抱き締めても永露は抵抗しなかった。だらりと両手を下ろしたまま、ただ肩を震わせて泣いていた。冷たい雨粒がおれの顎を伝って、永露の肩に落ちる。
抱き締めた手前、もうあとには引けない。何でおれは永露を放っておけないんだろう。図書委員の仕事をサボってまで追いかけたんだろう。問われたとしても、答えはよくわからない。
雨が霧雨に変わる頃、ひとしきり泣いた永露は、おれの腕を取った。はがすように押してくる。
「ごめん、離して」
おれは「ああ、悪い」と謝りながら、腕の力をゆるめた。今さら抱き締めていたという事実の恥ずかしさで、一歩後ろに下がる。次を話すのもためらうくらいの変な雰囲気だった。
永露は濡れすぼった髪の毛を後ろにかきあげた。さらされた白い額、泣いた名残で鼻は赤く、目ははれぼったかった。
「見原には、いつもださいとこを見られちゃうな。自分がこんなに泣けるなんて思わなかった」
永露は頬をひきつらせていたけど、うまく笑えないみたいで、真顔に戻した。
抱き締めたことはとがめられずに、ちょっと安心した。どういう意味か問われてもおれ自身にもわからない。体が勝手に動いただけでは、さすがに答えにならないだろうし。
「たまってたんだろ」
「そうかも。見原と話してたら急に実感がわいてきてさ。俺、失恋したんだなあって思ったら、もう、ダメだった。末久は何にも悪くないのに。俺なんかに勝手に想われて」
ネガティブなモードなのか、今日の永露は自虐が強い。失恋の傷ってものが、どれだけ厄介なのか知らないけど、おれは1個だけ伝えたいことがある。
「あのさ、来る理由が無くたって図書室に来いよ。待ってるから」
図書室の前で永露が言っていたことが、どうしようもなく頭のなかで引っかかっていた。
「見原って、何で俺にそんなに優しくするの?」
理由を問われても、よくわからない。同情とは違う気はしても、永露を放っておけない自分がいる。追いかけたことも抱き締めたことも、頭で考えた訳じゃない。いつだって行動が先だから、理由はない。
「わからない」
「わからないんだ」
「でも、放っておけないし、永露のことは、少なくとも友達だとは思っている」
頭をめぐらせて、行き着いたのが「友達」だった。友達なら、こうして悲しいときに寄り添うのは当たり前だろうし、理由としては1番ふさわしいはずだ。
「友達か、まあ、そうだよね」
永露も納得してくれた。ずぶ濡れのまま図書室に戻る気にはならなかった。永露と駅までの道のりを歩く。
どんよりした雲の合間から弱々しい光が差してきた。少しずつ明かりを増して、その光に照らされた永露の濡れた髪の毛やまつ毛が輝いて見える。あまりにも綺麗だった。見すぎていたことを自覚して視線を外すまで、胸が締めつけられるように苦しかった。
永露が図書室に戻ってきたのは、10月に入ってからだった。
ちゃんと椅子に座り、俺がすすめたラノベを読んでいる。文庫本で薄いし、高校生が主人公だから、感情移入しやすいだろう。舞台もそんなに突拍子もなくないから、さらっと最後まで読めるはずだ。
そう思ったのに、永露は途中で文庫本を閉じた。永露の向かいに座って読書中だったおれは、声を受けて読みかけのラノベから目を離す。
「ダメだ。全然、読み終わらない」
読み終わらないというか、途中で読むのをやめてしまうからだろう。永露とすれば、主人公がしっくりこないらしい。1つの違和感があると、気になって集中できなくなるんだとか。
「頭が良くても、本って読めないんだな」
「本を読むのに頭の良さなんていらないでしょ」
「うわ。頭が良いのを否定しないのか」
「見原!」
「あ、じゃあ、これは?」
次に取り出したのは、おれが好きな本。短編集なのだけど、このなかに出てくる人嫌いの主人公が幽霊や猫に出会って、過去の事件を暴いていく。
やがて、なぜ幽霊が死んだのか、そのまま現世にとどまっているのか、すべては1つに繋がっていく。
最後には成仏した幽霊の手紙にはげまされて、この世界も捨てたもんじゃないなと気づく。読み終わった時、泣いたのは永露には内緒だ。
「読みきれる気がしない」
「まあ、読んでみろって。おれ、この本が好きで、わざわざ買ったんだからな」
「へえ」
図書委員の特権を使わなかった。ただ、他の誰かにも読んで欲しくて、特権を使ったけど。
「別におれだって全部の本が好きってわけじゃない。外れもあるし。実は某有名ファンタジーは途中で読むのをやめたし」
「何で?」
割りと単純な理由だ。
「……好きなキャラが死んだから」
「あ、そりゃ、辛いね」
「しかも、あっさり」
その後も割りと重要なキャラが死んでいって、読み進めるのが嫌になった。
「まあ、見原がそんなに言うなら、とりあえず、読んでみるよ」
永露は受け取り、本を開く。心配で眺めていたけど、順調にページがめくられていく。今のところは読んでくれそうだ。
おれはラノベに目線を移したものの、文字を凝視したまま別のことを考えた。
一見すると、おれと永露の普通のやり取りに思うけど、やっぱり普通じゃなかった。
永露は明らかに窓際に近づくのを避けていた。今日もうっかり窓を見てしまい、慌てて視線を外す場面があった。表面上は穏やかな時間が流れても、永露の心はまだ、癒えていないみたいだった。