きみの家と、その周辺の話

13【親友】


 おじさんの出張が決まったという話は、渓太を通じて知らされた。

『親が3日間、出張することになった』

 装飾のない、渓太らしい文面だった。反射的に『うちに来れば』と送った。何も考えずに送ったが、一度提案してみると、これはかなりいい案だと思えた。

 その場にいた母さんも「いいじゃない」と言ってくれた。来週の木曜日はちょうど夜勤だった。水曜から金曜まで泊まっていくとなれば、ちょうどその日に当たる。こちらから行くまでも無くなる。

『邪魔して悪くないか?』
『いつも邪魔してるのは、こっちだし。母さんもいいって』
『じゃ、お願いする。食費は払うから』

 はじめは受け取る気がなかったが、そこだけは譲れないようだ。渓太は一歩も引かなかった。日景家のけじめだというなら、ありがたく受け取りましょう、という母の考えによって決着した。

 来週の水曜日から、渓太が家にやってくる。俺はすかさず、スマホのスケジュールアプリに、予定を入れた。

『渓太が泊まりに来る日』

 それが最重要でもあるかのように、アラーム通知まで設定した。



 渓太は3回だけ家に来たことはあるが、3回とも泊まっていくことはなかった。布団もあるし、泊まれないことはないが、どちらからも言い出さなかった。

 「帰る」と言われて、引き止める理由もなかった。送っていこうとしても、渓太から「いらない」と断られたのでしなかった。

 そんな渓太が泊まりに来ると思えば、浮かれた足を地につかせるのは難しい。

 綺麗とは言えない部屋を見せたこともあるし、今更な感じもするが、じっとしていられなかった。

 いつもはまったくやらない掃除をしている息子を見て、母さんは含み笑いした。

「がんばってるね」
「勝手に部屋に入るなよ!」
「いいじゃん、親子なんだし!」

 母さんに悪気はない。親なのだから子の部屋にはいつでも入っていいと、考えているのだろう。子のほうは不法侵入者でしかないのに。

「どれだけ、楽しみにしてんのよ」

 予想外のジャブを食らって、喉が詰まった。

「……別に、楽しみなんかじゃない」
「鼻歌まで歌ってくせに?」
「え? 俺、歌ってた?」
「うん、歌ってた」

 楽しみが行き過ぎている自覚はなかった。付き合いたての恋人じゃあるまいし、渓太が着るであろう服やパンツを用意して、にやけているのは危なかった。

 こうして自分の部屋を念入りに掃除機をかけている行動にも、きちんとした説明がつかない。

「わからない。自分がわからないよ」

 頭を抱えて、絶望してみせたが、母さんは「バカね」と笑った。右肩を軽く叩かれる。

「寛人はさ、友達だとしても自分の部屋には招かないのよ。ましてや、泊まらせたくない。渓太くんはそんな中でもあんたが認めた、親友なんじゃない?」

 親友と言われると、しっくりくる気がする。他の友達とは違う感情が見え隠れするのは、「親友」だからなのかもしれない。ようやく納得できそうな答えに行き着いて、肩の力が抜けた。



 水曜日には、あらかじめ設定していたアラームが鳴った。

 部活をしてからだという渓太を待たず、カレーの支度をする。事前のリクエストでカレーがいいと送ってきたからだ。

 初めて渓太の家で作ったとき、指を怪我したが、今はもう少し包丁の扱いには慣れている。

 あれから、少しずつ渓太と料理をしてきて、(相変わらず、渓太は不器用だが)早めにコツを掴んだ。渓太の家でも具材切りは、俺の役目になっていた。

 準備を終えた頃に、母さんが帰ってきた。キッチンに入るなり、カレーの匂いに鼻を聞かせているのか、目を閉じる。

「美味しそうね。でも、何でカレー?」
「渓太からのリクエスト」
「あら、そうなの。お母さんが味を見ちゃおうっかな」

 オタマを鍋に沈めてから引き上げて、小皿にとった。特別なものは入れていない。カレールーの箱の裏に書かれた作り方のままだ。小皿を傾けて飲んでから「ん、美味い」と感想を一言。

 母さんのお墨付きが出て、自信がついた。

 渓太は学校を出たとか、家に一度戻るとか、もうすぐ着くとか。実況するように、逐一、メッセージを送ってきた。おかげですぐに夕飯を食べられるように、鍋に火を入れられた。

 部屋の鍵は開いていて、勝手に入ってきていいことは伝えておいた。それでも律儀な渓太は「お邪魔します」と断りを入れつつ、リビングに現れた。

 渓太は紺のブレザーではなく、黒のスポーツウェアの上下を着ていた。走りやすそうなタイトな作りで、足の長さが際立っている。斜めがけのバッグを背負っていて、何が入っているのだろう。走ってきたのか、ウェア全体から外気の匂いが漂ってきた。

 素っ気ない渓太の匂いは、どこにも寄り道せず(自宅には戻ったが)、真っ直ぐここまで来たことを表しているようだ。

「渓太くん、いらっしゃい」
「あ、どうも。これから3日間、お世話になります」

 頭を下げる渓太に、母は「ゆっくりしていってね」と声をかけた。息子相手には、ほぼ使わない、信じられないほど柔らかい声だった。渓太は軍隊所属でもないのに、短く返事した。

 背負っていたバッグをラグマットの端っこに置くと、渓太は腕まくりした。流し台で手を洗う。鍋をのぞきこみながら、「お」と小さく声を漏らした。

「カレー、作ってくれたんだな?」
「渓太にリクエストされたから」
「ありがとう」
「い、いや、別に」

 気恥ずかしい会話を、母さんが聞いていたらと思うと、居ても立っても居られない。慌てて目を配ると、母さんは冷蔵庫からサラダを取り出したところだった。気にした様子もなく、ダイニングテーブルに並べ出した。聞いていなかったらしい。

 カレーライスと、ビーンズのサラダ。それらをダイニングテーブルに並べた。渓太の表情を確かめたくて、向かい合わせに席に着く。そのせいで親と子で横に並んでしまったが、気にしない。渓太の表情をこの目で確かめたかった。

 スプーンを手にしたものの、渓太の動向が気になって、食べなかった。

 渓太がスプーンを口に運ぶ。咀嚼してから「んまい」と感想を言う。味わうのは一口だけだ。そこからスピードを上げて、カレーを食べ進めていく。

 この姿が見たくて、カレーを作ったのかもしれない。その一連の動作を見守ってから、俺も満足して食べ始めた。
13/20ページ