窓際は失恋の場所
13【末久が好きな人】
彼女とはあれか。女子か。末久がずっと好きな相手は女子で。つまり、つき合うことになったと。混乱した頭でも、少しずつ噛み砕いていけば、意味はわかった。
「夏休みの合宿の後にさ、陸上部の子なんだけど、ダメ元で気持ちを伝えたらおっけーしてもらっちゃって」
聞いてもいないのに頬を染めた末久が話し続ける。彼女の可愛さや交際の順調具合なんて、ぶっちゃけどうでもいい。
気になるのは永露のことだ。あいつは知っているのか。
「末久よ、永露は知ってるのか?」
「え、あ、知ってるよ。俺、浮かれまくって永露にも報告した」
嘘だろ。末久の言葉が信じられなかった。
「永露はなんて」
「おめでとうってメッセージを返してくれたけど」
そりゃそうか。さすがに直接、面と向かって言ったわけじゃないか。多少は安心したけど、末久が好きで仕方なかった永露が失恋して無事なわけがない。ひとり泣いていてもおかしくない。
「どうしたんだよ」
急におれが思考に入って黙りこんだから、末久も不思議に思ったらしい。
「良かったな、好きな人とつき合えて」
他に何が言える? 末久は永露の気持ちを知らない。永露がどんな想いで、その事実を受け止めたのか、きっとわからないだろう。それをまったく知らないからといって、責めることはできない。
「うっす」
末久は照れたように笑った。何にも知らないまま、幸せな顔をしていた。
末久が離れていき、おれはスマホで、夏休み中にほとんど開かなかったアプリを立ち上げる。ここ数日の永露と末久とのやり取りが残っていた。
末久の言っていた通り、永露は「おめでとう」と返している。この素っ気ない一行をどんな想いで打ったのだろう。
好きな末久の姿を見るだけに費やしてきた永露の放課後を思うと、こっちまで胸が苦しくなってきた。何でこんなに報われないんだろう。
放課後になり、足取り重く図書室に向かう。窓の外が曇り空のせいで、いつもより薄暗い廊下を歩く。
末久に失恋した永露が図書室にいるとは思えないけど、万が一だ。顔を合わせたら何を言おうと考える。
――ダメだ。何も思い浮かばない。
失恋した人に声をかけるなんて、おれには難易度が高すぎる。初恋を知らない人間からの言葉なんてアドバイスにもならないだろう。
ゆっくり歩いていたのに、図書室の札、白いドアにすぐ行き当たる。ドアにはガラス窓がはめこまれていて図書室のなかを確かめられるようになっている。
――永露、いるか?
こんなところからのぞいているなんて、他の人に見られたら完全に不審者かもしれないけど。ほら、危険を回避するためだとすれば、仕方ない。永露はまだいないみたいだ。もしくは今日は来ないのかもしれない。
何だよ、焦らせやがって。安心してドアを引こうと手を伸ばしたら、「ねえ」と声をかけられた。聞き覚えのある声が後ろから聞こえてきて、「うわ」と驚いてしまう。いつの間に背後に近づかれたんだろう。
振り向けば、やっぱり永露が立っていた。眉間にシワを寄せてこちらを冷ややかに見ている。夏休みを越えても肌は白いままで、末久とは対称的だ。って、今、末久を思い出すのはまずい。
「見原、久しぶりだね」
「そ、そうだな。お前は元気か?」
「元気、かな」
おれが予想したのは、頬がこけていたりクマができていたり、失恋した人の顔だったけど、幸い永露はどれにも当てはまらなかった。良くも悪くも普通。気持ち悪いくらいに真顔だった。
「それより、見原。何であの時、先に帰ったの?」
「へ?」
予想外からの質問に、おれは答えを見失って間抜けな声を出した。伏せがちの目がこちらをうかがうように見てくる。
「遊園地に行った時に、俺と末久が観覧車に乗っている間に帰ったでしょ?」
「あ、ああ、突然体調が悪くなって、ごめんな」
「いや、その後も既読がつかなかったから」
「アプリを開くのも面倒になっちゃって」
「そっか。ぬいぐるみは俺がもらっちゃったよ」
「ああ、いいって」
「そう、良かった」
永露は図書室に入らずに背中を向ける。帰るのか。というか、こんなところまで何をしに来たんだ? 遊園地の時の話をするためだけに来たわけではないだろう。
何となく図書室で会うのは最後になるような気がして手が伸びていた。永露の腕をとる。
「永露」
「見原なら知っていると思うけど、俺はここに来る必要が無くなったんだ」
「らしいな」
永露は逆の手でおれの手をはがす。
「だからね、今までありがとう。もうここには来ないから。それじゃ、ばいばい」
イケメンのくせに完璧じゃなく、いびつに笑う。その顔におれの胸は痛んだ。
永露は全然平気じゃなかった。心は軋むほど、辛いに違いない。本当は遊園地の話をしに来たわけじゃないんだろう。
逃げるように永露は廊下を駆けていく。いつもと違うようすの永露を放置できるわけがなかった。一度、図書室に向けた足を永露が去った方に返す。
「くそ」
帰宅部のおれを走らせんなよと思う。運動部にも入ってないくせに永露の足は速かった。簡単には追いつきそうにない。
廊下を駆けている途中で、雨音がざあざあ降りに変わった。靴に履き替えて外に飛び出せば、雨粒が前髪を塗らし、視界を重く邪魔してくる。
グラウンドを抜け、とうとう学校の敷地外に出た。入り組んだ道、人気のない濡れた道まで行ったところで、永露は足を止めた。
雨粒は容赦なく降り続け、シャツを透けさせていく。永露は肩を震わせる。雨で寒いのかと思ったけど、「ふっ、うっ」と声が聞こえてきた。
やっと察した。
「永露」
「舞い上がって、バカみたいだ、末久は、好きな人がいたのに、俺なんか、好きに、なるわけないのに」
もう、しゃべるな。聞いているこっちまで目頭が熱くなる。
「こんなに、こんなに辛いなら、好きにならなきゃ、良かった」
それを聞いた瞬間、足と腕が勝手に動いた。