きみの家と、その周辺の話

10【映画と嘘】


 約束よりも早く映画館の前に着いたが、すでに渓太は入り口で待っていた。話題の映画のポスターに挟まれて、壁沿いに立っていた。時間的には30分も余裕がある。

「さすがに早くない?」

 笑いながら近づくと、真剣な顔で距離を縮められた。慣れていない人であれば、威圧感のある大きな身体と顔を前に足がすくむのだろうか。俺は見上げて、「またひと回り大きくなったなぁ」と、感心するだけだった。

「おばさんの相手と会ったんだろ?」
「そうだけど」
「そういうので気になったら、色々早まった」

 渓太の言葉と行動を解読するに、俺が母親の交際相手と初めて会う、そのことが気になって、早く映画館に来てしまった。相談に乗った手前、俺がちゃんと伝えられたかどうか、気にしてくれていたらしい。

「うん、それだけ俺に会いたかったってことか」
「いや、違うだろ」
「え、違うの? 俺は会いたかったけど。渓太に話したいことがいっぱいあるし」

 半分は冗談で半分は本気だった。渓太は、一緒になって感情をあらわにしないが、落ち着いた声で答えを導き出してくれる。それが妙に心地よかった。

 渓太は照れたのか、入口の方に目を逸らす。

「……話は映画を観てからな」

 チケットを2枚買ってから、薄暗い室内の中で隣り合って座った。

 渓太が選んだのは、話題の恋愛映画だった。男同士だというのに、渓太は気にしていないようだった。周りが男女のカップルだとしても、「何が悪い」とでも言いそうな堂々とした態度が、「まあいいか」と思わせる。

 隣にいると、誰にどう思われているかとか、小さな自意識がバカバカしく思えてくる。渓太が気にしないのなら、自分だけ気にしても無駄だろう。どこか諦めにも似ていた。

 映画がはじまった。昨日から眠れなかったせいで、始まってすぐに睡魔が襲う。

 いがみ合った男女がどうやってくっつくのか、見届ける気も失せて目を瞬かせた。隣を盗み見ると、渓太は真剣な横顔をしていた。

 表情の変化が少ないのはいつも通りだ。

 ――あ、一瞬だけ口元が緩んだ。

 自分で選んだだけあって、渓太にはおもしろいのかもしれない。

 光に当てられた渓太の顔を見ている方が、まだ見ていられる。そう思ったが、一度、眠気に足を掴まれれば、引きずられる一方だった。

 彼と彼女との喧嘩の声が遠くなっていく……。

 目を覚ましたのは、ふたりが抱き合っている場面だった。告白も済ませたのだろう。バックには感動的な曲がかかっている。

 一旦離れた後、ふたりは見つめ合った。

 彼は瞼を伏せて、彼女にキスする。それが引き金となって、彼女の毛穴のない白い頬に涙が伝う。「泣くなよ」と彼の指が撫でて、彼女は「ごめんね」と笑う。

 実際にもこんなことが行われて、恋人が生まれているんだろうか。俺のまったく知らないところで。

 隣の渓太は食い入るように見つめていた。まるで自分がスクリーン上の彼に乗り移ったかのように惚けている。

 もしかしたら、渓太もこうやって誰かとキスしたいのかもしれない。あの太めの親指で涙を拭いたいのかもしれない。

 俺の頭の中で、映像と想像が混ざりあった。

 映像の彼女は「渓太、好き」と吐く。想像の渓太は満更でもない感じで「俺も」と言う。きっと、満面の笑みを浮かべるのだろう。キスして、抱き合って、あの渓太の部屋にまで行くのかもしれない。

 いずれ渓太もそうなるのかと思うと、なぜか嫌な感じがした。

「寛人?」

 黒い画面に、スタッフロールが流れていた。渓太は俺の視線に戸惑ったようだった。首を傾げて「どうした?」と、たずねてくる。

「何でもないよ」

 否定してから面白くもないのに笑う。

 スクリーン上の彼女と渓太とを想像したとき、俺の胸に小さな痛みをもたらした。小骨が刺さったときのように痛みの場所はわかるのに、どうすれば外れるのかわからなかった。胸の辺りを擦っても何にもならなかった。

 映画館を出ても、ろくに渓太と話さなかった。「どうした?」とたずねられても、「わからない」としか返しようがなかった。だから、黙り続けた。

 チェーン店のレストランに入り、ハンバーグを平らげた頃には、ようやく混乱はおさまっていた。

 渓太はずっとこっちの顔色をうかがって、話しかけてくれていた。視線どころか、言葉すら交わさない相手を見放しもしなかった。

 すべてを無視したことに、今更ながら罪悪感がこみあげてくる。

 食後のアイスコーヒーを一口飲んでから、渓太に向かって頭を下げた。

「渓太、ごめん」
「やっと、話す気になったか?」
「うん」

 渓太はホットコーヒーを飲んでいたが、カップから手を離した。視線はまっすぐ俺に向けられた。

「映画、つまらなかったか? 途中で寝てたし」
「つまらなくはなかったと思う。ただ、昨日眠れなくて、気づいたら寝てた」

 昨日から藤崎さんに会うことに緊張していた。落ち着きなく寝返りを打っている間に、朝が来たという感じだ。だから、映画館の心地いい椅子の上でぐっすり眠れたのだろう。

「それなら、もっと、うるさくて激しいのにすれば良かったな」

 渓太は自分の映画の選択が悪かったかと、反省しているらしい。

「渓太は悪くないよ。たぶん、俺の寝起きが悪かったんだと思う」

 寝起きの悪さからあんな変な想像を繰り広げて、勝手に腹を立てた。

 我ながら苦しい言い訳だったが、そうしておくしかなかった。間違っても「嫉妬」じゃない。渓太に彼女ができたら、喜ぶのが友達だ。あの時の自分はおかしかった。

「それならいいけど。そろそろ寛人の話を聞かせてほしい。おばさんの相手と対面した話」

 ずっと気になっていたのだろう。今日だって話を聞いてほしくて、遊びに誘ったのだ。それなのに、時間を無駄にしてしまって、重ねて罪悪感が胸の内に広がった。

「うん、俺も聞いてほしい」

 話した。藤崎さんが思ったよりも好感の持てる人だったこと。再婚の話はまだ無く、心配していた同居の問題も大丈夫だったこと。

 すべてを聞いた渓太は、「良かった」と呟いた。

「うん、藤崎さんがいい人そうで、安心した。母さんとも上手くやっていけそうな感じ」
「そうか」
「俺も言いたいこと言えたしね。まあ、先走りすぎたけど」

 ふたりに再婚を否定されたとき、さすがに恥ずかしくなって逃げ出したくてたまらなかった。後悔しかけたが、結果的にふたりの考えを聞けてよかったかもしれない。モヤモヤしたまま過ごすのは精神衛生上よくない。

 これからどうなるのかわからないが、ふたり次第だろう。外野は見守る以外ない。息子として、邪魔しないように応援していくつもりだ。

「渓太、ありがとう。色々と相談に乗ってくれて」
「や、言っただろ。俺自身も考えるきっかけになったって」
「それだけじゃなくて、これまでのことも、感謝してる」

 名字が変わった頃に、夜の公園で出会って、一緒に夕飯を食べたこと。それからも家にお邪魔させてもらったり、遊びに行ったことも含めて感謝している。

「あのな。そうやって不意打ちに臭いこと言うのやめろよ」
「え、だめ?」
「聞いてるこっちが恥ずかしくなる」

 渓太は頬杖をついて、窓の外を眺めるふりをする。でも赤くなった耳は隠せないでいる。今日で2回目だ。紛れもなく照れたときの渓太だった。
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