忘れろは、嘘
第1話【嘘、忘れろ】
教室の片隅、昼休憩という時間に、
示し合わせた訳でもないのに同じ高校に通い、こうして変わらず同じ昼を過ごしている。邦紀の机を使って、ふたりで食事するのはいつものことだった。
食後は蒼空が持ってきたつまらないゴシップで時間を潰す。隣のクラスの男女がつき合い始めたというどうでもいい話だった。
男の方が拒んでいたのだが、女の方の圧力に負けて(ほだされて)つき合うことになったらしい。
さぞかし幸せな日々かと思いきや、最近は喧嘩ばかりしているようだ。廊下や階段の踊り場など、喧嘩しているふたりの目撃情報が多いという。
「しかも、女子のほうが一方的に怒ってるらしい。つき合うと悪い部分が見えてくるだろうから、仕方ないとは思うけど……」
蒼空はそう言うが、邦紀の意見は違った。周りの目がある中、大恋愛みたいに告白していて、いざつき合ってみたら思っていたのと違いました――なんて馬鹿らしい。
つき合えるだけでも嬉しいとはならないのか。世の中には、つき合うことも告白すらもできずにいる人間がいるというのに。
邦紀は話に出てくる女子に愛想を尽かして、窓の外を眺めた。見事に青を覆い隠す灰色の空。教室の中が暗いのも日差しが遠いからだろう。
「邦紀はさ。好きな子、いないの?」
適当に相槌を打っていたために、矛先が自分に向けられるとはまるで思っていなかった。しかも、蒼空から好きな子の話題を出されて、動揺している。だから、反応が遅れた。
「いない。お前なら誰とでもつき合えそうだけどな」
調子を取り戻して、蒼空に攻撃をしかけてみる。
蒼空は校内でも美形の部類に入る。黙っていれば怖い印象を受けやすい強そうな目も、笑えば柔和に変わる。
整った顔立ちに加えて、高身長、痩せすぎず筋肉も程よくついていてバランスがいい。
容姿だけでなく、他者の推薦を受けて生徒会の副会長をやっている。だから、部活はしていない。
この男が未だ彼女を作らないのも、邦紀は疑問だった。
対して邦紀は、容姿も身長もごく普通。肌が綺麗というわけでもない。にきびも飼っている。
髪型も、サッカー部で邪魔にならない程度に短く切っている程度で、目立つものがない。
ウラカワソラの親友、ウラカワソラの隣りにいる人。そのくらいの称号しかなかった。
邦紀にこれまで彼女ができなかったのは、自身でも納得できた。
「俺を何だと思ってるの? こう見えて、俺は好きな子にしかキスできないの」
「マジか、蒼空。お前ってウブだったんだな」
邦紀は大げさに笑ってみせたが、蒼空の真剣な顔を前にして口を閉ざした。
幼い頃から一緒に過ごしてきたよしみだ。どこから茶化していいか悪いかの判断は容易につく。今から真剣な話をしたいのだろう。蒼空は口を開いた。
「……なあ、邦紀。お前そんな感じで俺がいなくなったらどうすんの?」
「はあっ?」
邦紀の口から反射的に出た声だった。
「はあっ? じゃない。割と真剣に言ってる。どっちかでも彼女ができたら、こんなふうに一緒にはいられないだろ? 邦紀だって、誰かとつき合うだろうし」
誰かとつき合う。そのことによって、一緒にはいられない。朝のくだらないやり取りも昼飯の雑談も全部、彼女との時間に奪われる。すべてにおいて、親友の優先度は下がる。
考えなかったわけじゃない。ざっと想像しただけでも、邦紀の胸にトゲが突き刺さった。考えれば考えるほど、抜けなくて深く刺さる。
痛い。苦しい。なら、いっそのこと言葉にしてしまいたい。長年、持ち続けた想いだ。蒼空には隠しておきたかった想い。
「……いらねえし」
「はあ?」
今度は蒼空が声を上げる番だった。
邦紀は周りがどうとか、タイミングがどうとか、考える余裕はなかった。蒼空の言葉で生まれた痛みを発散するには、言わなくてはならなかった。
抱えてきた気持ちを、蒼空に向けて伝える。“つき合うことも告白すらもできずにいる人間”は邦紀自身の話だった。
「俺とお前がつき合えば、彼女はいらねえし。そうすれば、お前とずっと一緒にいられるだろ」
「何、それ」
蒼空は目を見開いて、驚きをあらわにした。
当たり前の反応に、邦紀は早くも後悔していた。告白したせいで、蒼空との親友関係も壊れようとしている。
壊れるくらいならいっそのこと、邦紀は首を横に振るしかなかった。
「やっぱ、嘘。忘れろ」
「本当に忘れていいの?」
「ああ、冗談だから真面目にとるな。お前が彼女作ったら、ちゃんと離れるから」
蒼空は安心したように肩から息を吐いた。
「そうしてくれると助かる」
震える拳を机の下に隠しながら、邦紀は無理矢理に繕って笑った。
放課後、邦紀はようやく独りになれた。極力、蒼空と話さずに過ごせたのは幸運だった。明日にはいつものように振る舞わないとならないが、今日のこの瞬間よりはマシだろう。
できれば明日には、ちゃんと笑えるようになりたい。それが望みだ。
部活に向かうまでの道のりをそれて、校舎脇に向かった。園芸部が管理している花壇だ。
青、紫、黄色、11月の肌寒い中でも、色とりどりのパンジーが咲いている。邦紀はしゃがみこんで、小さな背丈の花を見下ろした。
これを植えていた姿を思い返す。後輩が先週あたりから植えていたものだ。園芸部で、後輩で、たまにタメ口をきく。最近、邦紀が可愛がっている、あいつ。
「せんぱい?」
背中の方から声がかかった。
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