しんじゅの色
【第九話】
久しぶりに笑えてうれしい。ビルとおしゃべりを続けながら、あっと言う間に寮の入り口まで来ていた。
立ち止まり、二寮を見上げたビルは「おー!」と感嘆する。
はじめて目にしたのかもしれない。すごい驚きようで思わず笑いがこぼれる。
考えてみれば、ぼくもはじめはびっくりしたものだ。
今では日常の背景の一部分で驚かない。
ずいぶん前のことに感じるけど、あんまり過去の話ではないのだ。
なつかしくなる。あのときは何にもなかった。悩みも不安も。
「マノ?」
首を傾げるビルに、また「何でもないよ」と嘘をついた。ぼくはアメリカにいた頃よりずっとずるくなってしまった。
ビルはそれでも信用してくれる。
次に見つけたサン寮の前にいるさんぼさんの前で「カワイイ」を連呼して、楽しそうだった。
部屋に戻ると、ビルはアメリカ人らしく土足で上がろうとする。
日本の習慣はちょっぴり難しいみたい。
指摘すると、「そうだった!」と目を開いて、興奮したように靴を脱いだ。
夕飯に人がいるってやっぱりいい。
一人に慣れたとはいっても、一人分の夕飯は張り合いがなくて簡単なものにしてしまう。
日本食が食べたいというビルのために、ご飯と味噌汁を用意した。
あとは肉じゃがとブリの照り焼き、ほうれんそうのおひたしも並べて、準備はOK。
テーブルに向かい合わせに着くと、ビルは「いただきますー!」と手を合わせた。
器用な箸使いで、魚をほぐしたり、ほくほくのじゃがいもを掴み取る。口に入れた。頬袋でもぐもぐする。
「どう?」
「おいしいですー」
おいしそうに食べてもらえると、作ったほうとしてはがんばったかいがあったなと思う。
「よかったー」
ぼくもご飯に箸をつけたら、部屋の入り口からドアの開く音がした。
だれなのかはわかっている。でも、朝のやりとりを思い出したら、全身が緊張で強ばる感覚がした。
「お! マノ、お客さんですー!」
「い、いや、ルームメイトだよ」
お客さん――ではない同室者はキッチン、リビングを通り抜けようとした。
そのはずだったけど、「あなた、ただいまは?」と引き止めた。
ビルだ。ビルが関さんの腕をとっている。
「うるせえ」
関さんはうっとおしそうに言って腕を振りほどく。だけど、ビルはがっちりしがみついて放れない。
「あなた、マノのルームメイト。だから、ただいま言わないとダメですー」
「言うか。放せ」
「嫌ですー」
関さんとビルのやりとりをはたから眺めていたら、鋭い視線を感じた。
「おい、何とかしろ」
関さんがぼくに助けを求める。ありえなくて少しの間、何も考えられなくなったけど、怒気のある「おい!」に頭が働きだした。
「わ、わかりました!」
ビルを関さんから引き離そうと、席を立ち上がった。