【祈りと喧嘩】

【喧嘩よりしたいこと】


 ここ最近、父親の会社の創立記念パーティやら、母親の買い物やら、祖父の誕生日パーティなどで忙しくしていた俺は、イノリへの連絡を怠った。たぶん、心のなかでイノリなら許してくれるだろうという甘い考えがあったのだろう。

 久しぶりに会ったときのイノリは疲れ切った顔をしていた。このときにようやく、俺のしでかしたことに気づいた。

 ――あんたは俺に会いたくないのか?

 イノリからの問いに、俺は答えられなかった。それから、スマホを見ても、連絡はない。

 恋人となる以前から喧嘩はよくしていた。すべてくだらない理由だ。

 煽ってくるイノリに挑発されて、俺が怒る。俺が一方的に怒っているだけで喧嘩にもなっていなかったのかもしれない。

 酷くなるまでに向こうが謝ってきて、元の状態に戻れたのだ。

 今回のようにイノリが本気で怒れば、修復できない。俺の方からどうやって仲直りをしたらいいのか、わからなかった。

 大きな悩みを抱えた俺は、生徒会の仕事に没頭した。イノリと顔を合わせれば、事務的な対応をし、普段より多く働いた。成果を出すことで意識を逸らそうとしたのだ。

 だが、そんな器用なことはできない。自分の部屋のソファに座っているだけでイノリの顔が浮かぶ。

 いないはずのイノリが幻で現れて、コーヒーを淹れてくれる。よくがんばったなと頭を抱きしめてくれる。背中を撫でてくれる。俺の名を呼び、嬉しそうに笑ってくれる。

 こうして考えてみると、俺からイノリに何かしたことがない。全部してもらっていた。

 何をしているのだろう。まだ、怒っているのか。

 きっと、今回は俺のほうが動き出さないと終わる気がしている。この関係を続けたいのなら、すぐに謝るべきだ。

 そう思うのに、スマホの画面を前にすると、先程の決意が揺らぐ。

 イノリ。殴り合えば、何でもわかると思っていた。

 喧嘩すらできなくなった今、イノリの気持ちを知るには、直接話さなければならない。時間を置けば置くほど、一歩を踏み出すのが怖くなる。

 だからこそ、この瞬間、イノリに連絡した。

「今大丈夫か?」
「うん、大丈夫だけど」
「今から会いたい。会ってお前に話したい。こんなにも好きだって、ちゃんと伝えたい。お前の部屋に行っていいか?」
「あー、嬉しいけど、無理」

 まさか、ここで断られるとは予想外だった。なかなか言葉が出ない。

「そ、そうか」
「来てもらっても、俺、いないよ。あんたの部屋の前にいるから」
「えっ?」

 言葉の意味を理解したら、じっとしてはいられなかった。ソファから腰を上げると、すぐに部屋の玄関まで来て、ドアを開けた。そこにはスマホを耳に当てたイノリが立っていた。

 イノリを見つけた瞬間、俺はスマホを床に落としても気づかなかった。そんな些細なことよりも、目の前の体にすがりつくことしか頭になかった。

 ずっと、こうしたかった。殴り合うよりもきっと、簡単に気持ちを確かめられる。

「好きだ、イノリ」

 言ってしまえば、止まらなかった。イノリの肩に俺の情けない涙が落ちていく。俺が泣くのは、こいつの前だけだ。父親も母親も、俺の涙を知らない。

「ごめん。もう、しないから。ちゃんと、俺と喧嘩してくれ」

 もっと、イノリに伝えたい言葉があったのに、口は塞がれていた。何にも言えなくなったのに、嫌じゃないのが不思議だった。イノリは笑う。

「喧嘩じゃなくて、こういうのでもいいでしょ?」

 答える代わりにイノリの腕を掴んで、部屋の中に引き入れる。背中をドアに押し付けられて、キスを続ける。服を脱ぎ捨てても体が熱くてたまらなかった。擦りつけた股間がスウェットの上からでも固くなっているのがわかる。

「もう、我慢できない。ここでしていい?」
「聞くな。イノリが欲しい」
「すげえ、俺、幸せすぎて死にそう」

 そこでイノリは自分の鼻を手で押さえた。鼻血でも出すつもりかと呆れる。

 自分からスウェットを下げたのは初めてだ。

 早くここに早くほしい。イノリの全部をここに埋めて、喘ぎたい。体が軋むほど求められたい。

 懇願する前に、イノリは俺の体を抱き締めて、中に入ってきた。熱い吐息が耳の後ろや首にかかりながら、俺も腰を振っていた。

 きっと、目が覚める頃には、自分の羞恥に死にそうになるだろう。

 だとしても、隣にイノリがいてくれたなら、もうどうでもいいかと思えた。

〈おわり〉
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