竜との交流記

【竜との生活】


 イヴァンの朝は早いものでした。目覚ましや日の光のなどそんな気のきいた起こされ方ではありません。

「お、重い」

 寝台の脚が床にめりこむほど重いものが眠りを邪魔するのでした。イヴァンは手荒く竜を突き飛ばすと、いつものように怒りました。

「人の上に乗るなって言ってんだろうが! 死ぬぞ! 確実に死ぬ!」

 竜は目をぱちくりさせて、すぐにうつむきました。言葉は通じなくても、何となく気配でわかるのでしょう。イヴァンを怒らせたのだと感じ、反省の姿をします。そういったしおらしい姿を見てしまうと強く言えないのがイヴァンの甘いところでした。

「なんだ。死にはしないが、怪我はする。絶対にやめろ」

 先程よりやわらかく言って竜の行動を許すと、寝台から下りました。

 朝食は軽めにと、パンと野菜のごった煮スープにしました。皿一杯の緑の野菜は竜のためです。

 竜は加工した食べ物が苦手でした。野菜なら生野菜。肉なら生肉といった具合で、何とも野生的です。

 一度、スープを飲ませましたが、苦い薬を飲んだように顔を歪ませて、泣いたのでした。泣くほど嫌なものを出すのは良心が痛み、それからなるべく手のこまない料理を出すようにしました。

 今日も野菜を口一杯にして、竜は満足そうです。

「やっぱり、変わってんな、お前」

 イヴァンは呆れたように言いましたが、口元は少しゆるんでいました。

 食事が終わると、イヴァンは仕事に出かけなくてはなりません。準備を整えてから、意味はなさそうですが、竜に伝えます。

「家のなかは散らかすな。外に出るな。飯はそれ(テーブルの上の野菜)を食え。できるだけ早く帰る」

 にこっと笑う竜に伝わるとは思いませんが、イヴァンは早口でまくしたてると、「行ってくる」とドアの前に立ちました。

「行ってくる~」

 語尾がおかしいことには気づいていましたが、いちいち突っこみは入れませんでした。イヴァンはあいさつが返ってきたことに安心していました。ここで突っこみを入れたら、今の気持ちがなくなってしまうでしょう。

「ああ」

 声はできるだけそっけなくを心がけて、竜に背中を向けました。

 夕闇が迫る頃、イヴァンは必ず抱きついてくる竜を突飛ばし、家のなかに入っていきました。予想以上に、なかは台風が過ぎたように散々でした。

「何をしたら、こんなに散らかるんだ?」

 椅子は倒れ、床は水浸し。野菜の食べかすが落ちています。壁の落書きは絵なのでしょうか。ひとりの棒人間がもうひとりの棒人間を蹴っている絵です。まさに子供、犬、猫。これはペットのように躾が必要でした。

 イヴァンは怒る気力もなくなって、倒れた椅子を戻して、そこに腰を落ち着かせました。毎日、片付ける身にもなってほしいと思いながら、頭を抱えます。

「******」甲高い声も今は聞きたくありません。

 服の裾を引っ張られました。イヴァンは無視したくてたまらないのですが、ずっと引っ張ってくるのでイライラしながら顔を上げました。

 そこには竜が立っていました。こちらの様子をうかがってくる屈託のない顔がありました。小首を傾げています。右手はイヴァンの服の裾を握りながら、左手は花を持っていました。

「外に出るなって言ったのに」

 左手がイヴァンに向かってつき出されます。まるで受け取れと言っているみたいだとイヴァンは感じました。

 特別、欲しいものではありませんでした。花なんてどこにだって生えているし、美しいなんて思ったこともありません。しかし、竜が摘んできた花を目の前にして、イヴァンは手を伸ばしました。竜の手ごと包んでしまうと、自分のほうに引き寄せました。

「本当に変わってんな。でも、悪いやつじゃねえか」

 誰かを育てたいなどと思ったのはこれがはじめてでした。それから程なくして、イヴァンの家の前には小さな花壇ができました。

おわり
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