Orihara
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「椿ちゃん」
名前を呼ばれた女はびくりと大きく肩を揺らし、振り返る。
呆れたような顔で男は女を見つめた。
「前にも言わなかったっけ。勝手に俺のコート羽織って出かけようとしないで、って」
体をすっぽりと包んでくれて、暖かなコートは、今日のような寒い日にはちょうど良い。
前にも注意はされた。けれど椿は、いまいち納得ができず、ソファーに置いてあったそれを借りようとしていた。
「だめですか? 外、寒いんです」
「コートくらい買いなよ」
「……持ってないんです」
「だから買えばいいでしょ」
「でも、これが一番暖かそうなので」
「そういう問題じゃないんだけどなぁ」
臨也は小さく息を吐いた。
椿は自分のものではないコートに袖を通したまま、じっと彼を見る。
「……ちょっとだけなので、貸してください」
「ダメ」
「どうしてですか?」
「俺のだから」
「それはわかってますけど、臨也さん出かけないですよね?」
「うん」
それなら自分が借りてもいいじゃないかと、椿は少しだけ眉を下げた。
「……意地悪です」
「君ねぇ」
呆れたように笑いながら、臨也は彼女の前まで歩いてくる。
そして、椿の肩に掛かっていたコートの襟をつまんだ。
「脱いで」
「嫌です。寒いんです」
「だから買いなって言ってるでしょ」
「買いに行くにもコートがないと寒いです」
「……」
一瞬、臨也が黙る。
椿はその隙に、コートの前をきゅっと閉じた。
「本当にすぐそこに行って帰ってくるだけなので」
「そういう話じゃないんだよ」
「じゃあ、どういう話ですか?」
問い返されて、臨也はほんの少しだけ眉間に皺を寄せた。
「……それ着て出歩かれると、面倒なんだよ」
「面倒?」
椿が首を傾げる。
「うん」
「何がですか?」
「それは君が知らなくていいこと」
「……?」
やっぱり分からない。
その様子を見ていた波江が、耐えきれなくなったのかとうとう口を挟んだ。
「その子には遠回しな言い方じゃ伝わらないって、いい加減学習したら?」
「波江さん」
「何よ」
臨也は咎めるように名前を呼んだが
波江はそんなことはお構い無しにすました顔をしている。
「余計なこと言わないでくれる?」
「別に余計なことじゃないでしょう」
波江は椿の方を見る。
そして、そのままコートのフードに手を掛けた。
「わ」
すぽりと頭に被せられる。
「何するんですか?」
「別に」
波江はフードの縁を整えながら、椿の顔を見る。
「このコートが折原臨也の物だって分かる人間もいるでしょうね」
「……でも、普通のコートですよ?」
「あなたにとってはね」
「?」
「服なんて、着ている人間より、
それが誰のものかで意味が変わることもあるのよ」
「……よく分かりません」
「でしょうね」
波江は呆れたように言った。
「あなたはもう少し、自分の周りを見た方がいいわ」
「周り……?」
椿が考え込む。
その横で、臨也がまた息を吐いた。
「ほら。だから言ったでしょ」
「何をですか?」
「君には分からないって」
「……」
馬鹿にされていると感じたらしい椿は、少しむっとした顔になる。
「じゃあ、分からなくてもいいので貸してください」
「ダメ」
「どうしてですか」
「嫌だから」
「理由になってないです」
「俺が嫌だって言ってるんだから十分でしょ」
「……意地悪です」
「何とでも言えば?」
臨也は笑った。
椿はしばらく彼を睨む。
けれど、寒さには勝てない。コートを脱ぐ気にはなれず、両手を袖の中に隠した。
「……暖かいです」
「知ってるよ」
「これがないと風邪をひくかもしれません」
「だから自分のコート買いなよ」
「これなら外に出ても寒くないです」
「いいから、脱いで」
「嫌です」
「……」
とうとう臨也が黙った。
椿も負けじと彼を見返す。
数秒。
十秒。
先に動いたのは臨也だった。
「……もういいよ」
「本当ですか?」
「うん」
「じゃあ――」
「俺が脱がせるから」
「え?」
言葉の意味を理解するより早く、臨也の手がフードの縁を掴んだ。やれやれと肩を竦めて波江は仕事に戻る。
「ちょ、臨也さん」
「はいはい」
「自分で脱げます」
「さっきから脱がないじゃない」
「それは……」
「だから俺が脱がしてあげるね」
フードを後ろへ引かれ、椿の頭からすぽりと外れた。
「待ってください」
「待たない」
「寒いです」
「我慢して」
「ひどい……」
椿がコートの裾を掴む。
臨也はそれを見て、少しだけ笑った。
「ほら」
「……」
「袖抜いて」
「嫌です」
「まだ言う?」
「寒いんです」
「分かった分かった」
今度は臨也が彼女の腕を軽く取る。
片方の袖を抜かせ、もう片方も引き抜く。
大きなコートが、椿の肩からするりと落ちた。
「……寒い」
気温にあってない薄手の服だけになった椿が、両腕を抱えてさする。
臨也は脱がせたコートを手に取ると、そのまま自分の肩へ掛けた。
「寒いです」
「じゃあ自分のコート買いなよ」
「……臨也さんのコートがいいです」
その一言に、臨也の動きがほんの一瞬だけ止まる。
けれど、それを指摘される前に、いつもの笑みを浮かべた。
「駄目」
「……ケチ」
「はいはい」
臨也はコートを抱え直す。
そのままソファーへ戻ろうとしたところで、椿が小さく呟いた。
「……本当に、なんで駄目なのか分からないです」
「分からなくていいよ」
振り返らずに、臨也が答える。
「君のその愚直な程に鈍いところが気に入ってるから」
「……?」
意味を考えるように椿が首を傾げる。
けれど臨也は、もう何も言わなかった。
ただ、彼女が寒そうにしているのを見ると、少しだけ眉を寄せる。
「……そんなに寒いなら、毛布でも被ってれば?」
「コートがよかったです」
「まだ言ってるの?」
「暖かかったので」
「はいはい」
呆れたような声。
とある冬の日のこと
けれど、その口元にはわずかに笑みが残っていた。
名前を呼ばれた女はびくりと大きく肩を揺らし、振り返る。
呆れたような顔で男は女を見つめた。
「前にも言わなかったっけ。勝手に俺のコート羽織って出かけようとしないで、って」
体をすっぽりと包んでくれて、暖かなコートは、今日のような寒い日にはちょうど良い。
前にも注意はされた。けれど椿は、いまいち納得ができず、ソファーに置いてあったそれを借りようとしていた。
「だめですか? 外、寒いんです」
「コートくらい買いなよ」
「……持ってないんです」
「だから買えばいいでしょ」
「でも、これが一番暖かそうなので」
「そういう問題じゃないんだけどなぁ」
臨也は小さく息を吐いた。
椿は自分のものではないコートに袖を通したまま、じっと彼を見る。
「……ちょっとだけなので、貸してください」
「ダメ」
「どうしてですか?」
「俺のだから」
「それはわかってますけど、臨也さん出かけないですよね?」
「うん」
それなら自分が借りてもいいじゃないかと、椿は少しだけ眉を下げた。
「……意地悪です」
「君ねぇ」
呆れたように笑いながら、臨也は彼女の前まで歩いてくる。
そして、椿の肩に掛かっていたコートの襟をつまんだ。
「脱いで」
「嫌です。寒いんです」
「だから買いなって言ってるでしょ」
「買いに行くにもコートがないと寒いです」
「……」
一瞬、臨也が黙る。
椿はその隙に、コートの前をきゅっと閉じた。
「本当にすぐそこに行って帰ってくるだけなので」
「そういう話じゃないんだよ」
「じゃあ、どういう話ですか?」
問い返されて、臨也はほんの少しだけ眉間に皺を寄せた。
「……それ着て出歩かれると、面倒なんだよ」
「面倒?」
椿が首を傾げる。
「うん」
「何がですか?」
「それは君が知らなくていいこと」
「……?」
やっぱり分からない。
その様子を見ていた波江が、耐えきれなくなったのかとうとう口を挟んだ。
「その子には遠回しな言い方じゃ伝わらないって、いい加減学習したら?」
「波江さん」
「何よ」
臨也は咎めるように名前を呼んだが
波江はそんなことはお構い無しにすました顔をしている。
「余計なこと言わないでくれる?」
「別に余計なことじゃないでしょう」
波江は椿の方を見る。
そして、そのままコートのフードに手を掛けた。
「わ」
すぽりと頭に被せられる。
「何するんですか?」
「別に」
波江はフードの縁を整えながら、椿の顔を見る。
「このコートが折原臨也の物だって分かる人間もいるでしょうね」
「……でも、普通のコートですよ?」
「あなたにとってはね」
「?」
「服なんて、着ている人間より、
それが誰のものかで意味が変わることもあるのよ」
「……よく分かりません」
「でしょうね」
波江は呆れたように言った。
「あなたはもう少し、自分の周りを見た方がいいわ」
「周り……?」
椿が考え込む。
その横で、臨也がまた息を吐いた。
「ほら。だから言ったでしょ」
「何をですか?」
「君には分からないって」
「……」
馬鹿にされていると感じたらしい椿は、少しむっとした顔になる。
「じゃあ、分からなくてもいいので貸してください」
「ダメ」
「どうしてですか」
「嫌だから」
「理由になってないです」
「俺が嫌だって言ってるんだから十分でしょ」
「……意地悪です」
「何とでも言えば?」
臨也は笑った。
椿はしばらく彼を睨む。
けれど、寒さには勝てない。コートを脱ぐ気にはなれず、両手を袖の中に隠した。
「……暖かいです」
「知ってるよ」
「これがないと風邪をひくかもしれません」
「だから自分のコート買いなよ」
「これなら外に出ても寒くないです」
「いいから、脱いで」
「嫌です」
「……」
とうとう臨也が黙った。
椿も負けじと彼を見返す。
数秒。
十秒。
先に動いたのは臨也だった。
「……もういいよ」
「本当ですか?」
「うん」
「じゃあ――」
「俺が脱がせるから」
「え?」
言葉の意味を理解するより早く、臨也の手がフードの縁を掴んだ。やれやれと肩を竦めて波江は仕事に戻る。
「ちょ、臨也さん」
「はいはい」
「自分で脱げます」
「さっきから脱がないじゃない」
「それは……」
「だから俺が脱がしてあげるね」
フードを後ろへ引かれ、椿の頭からすぽりと外れた。
「待ってください」
「待たない」
「寒いです」
「我慢して」
「ひどい……」
椿がコートの裾を掴む。
臨也はそれを見て、少しだけ笑った。
「ほら」
「……」
「袖抜いて」
「嫌です」
「まだ言う?」
「寒いんです」
「分かった分かった」
今度は臨也が彼女の腕を軽く取る。
片方の袖を抜かせ、もう片方も引き抜く。
大きなコートが、椿の肩からするりと落ちた。
「……寒い」
気温にあってない薄手の服だけになった椿が、両腕を抱えてさする。
臨也は脱がせたコートを手に取ると、そのまま自分の肩へ掛けた。
「寒いです」
「じゃあ自分のコート買いなよ」
「……臨也さんのコートがいいです」
その一言に、臨也の動きがほんの一瞬だけ止まる。
けれど、それを指摘される前に、いつもの笑みを浮かべた。
「駄目」
「……ケチ」
「はいはい」
臨也はコートを抱え直す。
そのままソファーへ戻ろうとしたところで、椿が小さく呟いた。
「……本当に、なんで駄目なのか分からないです」
「分からなくていいよ」
振り返らずに、臨也が答える。
「君のその愚直な程に鈍いところが気に入ってるから」
「……?」
意味を考えるように椿が首を傾げる。
けれど臨也は、もう何も言わなかった。
ただ、彼女が寒そうにしているのを見ると、少しだけ眉を寄せる。
「……そんなに寒いなら、毛布でも被ってれば?」
「コートがよかったです」
「まだ言ってるの?」
「暖かかったので」
「はいはい」
呆れたような声。
とある冬の日のこと
けれど、その口元にはわずかに笑みが残っていた。
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