まほやく
晶は大きなため息を一つ吐いた。
最近はどうも駄目だ。頑張れば頑張るほど空回る気がする。最近は特に依頼の数が増え、毎日どこかしらの町に出掛ける日々。その内容は数時間で済むものから、1日掛かるもの、何日間か滞在しないといけない内容など様々だ。そしてその後に待ち構えているのは山のように積み上がった紙の束で、晶の机から報告書は今にも崩れ落ちそうだった。しかしながら報告書に向き合えば、魔法舎の何処からか爆発音が響き渡り、賢者の魔法使いが仲裁を頼みに誰かしら走ってやって来る。その度に晶は頭を抱えながら、普通に生きていたら聞かないような騒音とピリピリする不思議な気配と黒い煙が立ち込める異質な空間に飛び込んで行くのだった。近頃はずっとそんな状態が続き、少しでも溜まってしまった報告書を片付けようと睡眠時間を削って取り組めば、如実にミスが増えた。おまけに疲れが溜まり過ぎたせいで睡眠も浅く、結果的に報告書のミスが相次いだため注意を受けてしまった。それだけならまだしも、その注意を受けている姿をたまたまカインに見られてしまい、晶はさらに落ち込んでいた。
最悪だ……よりによってどうしてカインに。正直に言って一番見られたくない相手に見られた。自分の不甲斐ない姿を好意ある相手に見られるのはどうしたって恥ずかしい。カインはあれから何も言ってこないし、気を遣っているのか、もしくはこちらに気付いていなかったのだろうか。晶が「う~~~ん」と唸り出したとき、部屋の外からノックの音と共に声を掛けられた。
「賢者様、いるか?」
この声はカインだ。晶は暗い気持ちを振り払うように、わざと元気に明るく出迎える。「何かあったんですか?」と伺う晶にカインは勢いよく頭を下げた。
「すまない賢者様!あんたが怒られているところを偶然見ちまって……」
「え……、え?どうしてカインが謝るんですか……」
戸惑う晶にカインが眉を下げながら言う。
「俺なら多分……あんたに見られたら恥ずかしいからさ」
その言葉に目を少しだけ見開いた晶と、ほんの少しの照れを滲ませたカインは「それに情けなくもなると思う」という言葉も付け加えた。
それってどういう意味なのだろう。晶の鼓動は分かりやすく跳び跳ねた。浮き足立つ愚かな自分に心の中で「いや、きっと違う」と何度も言い聞かせる。いつもよく言う『賢者様には格好を付けたい』と言うアレに違いない。速まってしまった鼓動を何とか抑えると、カインが晶の顔色を伺いながら慎重に、けれど優しげな眼差しでゆっくりと言葉を紡いだ。
「賢者様は頑張り過ぎだ」
思いがけない言葉に晶は「え……」と乾いた声を一つ溢し、ゆっくりとまばたきをする。
「私、頑張りすぎてますか……?」
晶が恐る恐る尋ねれば、カインは「自覚していないのか……」と小さな低い声で呟いた。険しい顔をしたのは一瞬で、すぐにまた明るい雰囲気を纏ったカインはポンッと手を叩いた。
「賢者様、知っているか?疲れやストレスには、ハグが良いらしい!」
「……………………へ?」
「前の賢者様が言ってたんだよ。何でも科学的にもちゃんと証明されているらしいぞ!確かに抱き合うと、こう……楽しかったり、嬉しい気持ちになるよな」
…………………………?
彼は突然何を言っているんだろう?
どこか遠い所に行ってしまいそうな感覚を味わいながら固まっていると、目の前のカインが腕を広げた。え、何なに?え?来いってことなの?凄まじい速度で頭が回転している晶をよそにカインは「ん?」と首を傾げて、次には何か閃いたように段々と距離を詰めてやって来る。察した晶はつい叫んでしまった。
「ま、待ってください!!ハグはその恥ずかしいです!!」
早口で裏返った声は、今どれだけ晶がパニックになっているか物語っている。肩で息をする彼女に対してカインは盛大に吹いた。
「~~~っ!カイン、ヒドイですよ!」
「っ……、ごめん……真っ赤な顔して拒否する賢者様がツボに……入った……」
震えながら弁明するカインに晶はさらに頬を赤らめるも、その照れを隠すように上擦った声で提案する。
「そ、そう言えば人肌にもストレスや疲れを癒す作用があると聞いたことがあります!て、手を繋ぐのとかどうでしょうか」
カインがせっかく気遣ってくれたのだ。妥協案として『手を繋ぐ』くらいなら私にも耐えられる、晶はそう思った。カインが快く承諾してくれると、「それなら……」と急にマントを大きくはためかせた。その仕草はまるで騎士。次の瞬間には膝を床に付いて、凛々しくも優しい眼差しでこちらを見上げた。晶は思わず見惚れてしまう。
「賢者様、お手をどうぞ」
「……なんですか、それ」
晶はその手を取ると、我慢が出来なくなった二人は笑いだす。二人で頭を付き合わせて笑っている時間はとても楽しくて、永遠のように思えた。しかし次の瞬間、カインは「あ」と声を上げて、パッと手を放した。一瞬のことだったが、同時に晶はとても悲しくなって、もう終わりか……と恨めしそうに彼の手を見つめた時だった。「これじゃ意味ないよな」と、太陽のような温かい笑顔でグローブを脱いだ。
「これでよりあんたを癒すことが出来る」
そう言ったカインはグローブを外した素手の状態でもう一度手を握りしめる。晶は突然のことで上手く口が動かないでいると、カインは握る手にさらに力を込めて自身の顔の前に持ってくる。まるで願うような仕草に彼から目が離せない。
「晶の疲れが取れますように」
切な願いに晶の胸はきゅうっとなる。こんなにも自分を想ってくれる人がいる……。晶はその事実だけで、胸がいっぱいになるのを感じた。
「ありがとうございます、カイン。本当に嬉しいです……。それに何だかホッとして、元気も貰えた気がします!」
カインのお陰ですね、と笑い掛けると彼はバツが悪そうに顔を少し歪めた。珍しい姿に思わず尋ねれば、しばらく唸った後に彼にしては小さい声で呟いた。
「あんたを元気付けるつもりが、俺も力を貰っちまった……」
赤らめる頬を隠すわけでもなく、カインはまた繋いだ手を自身の顔の前に持っていく。今度は両手を添えて、その距離は今にも鼻先に付きそうだった。
「晶の手、すごく安心する」
蕩けるように優しい眼差しが晶の手と晶自身に降り注がれると、晶はもう動けなかった。その様子を満足げに見つめるカインが賢者の手を放したのはそれからまだ先のこと――
(終)
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