まほやく


私は考えた。
陽だまりの中、硬い膝の上で。
耳を澄ませば、川のせせらぎの音。
鼻を掠めるのは緑いっぱいの自然の匂いと、ほんのり香るカインの香水の香り。

私は考える。
次第に重たくなっていく瞼に抗うように。
けれども考えれば考えるほど、思考は解け、薄まっていく。

小鳥は囀り、遠くの方からは賑やかな子どもの声が聞こえてきた。
カインは意図してか、そうではないのか、時折こちらを見つめている気がする。

(優しい目⋯⋯)

大きな手のひらは未だに私の髪の毛を優しく梳いていてとても心地よい。
こうして考えることをやめた私は、あっという間に眠りに落ちていった。

◇ ◇ ◇
突風が吹き抜けると、木の葉が数枚舞い落ちてきた。
彼女の頬に落ちたそれをゆっくりとつまみ上げると、辺りを見回したのちそっとポケットに突っ込んだ。
先ほどまで穏やかに脈打っていた心臓はほんの少しだけ早まった気がする。
何だか悪いことをしているような気がして伏し目がちに彼女へ視線を落とすと、俺は胸を撫で下ろした。
(良かった。起こしてないな)
絶えず寝息が耳に届いてくると、またゆっくりと彼女の頭を撫でるのを再開した。

時刻は日曜日の14時半。
中央の国の中心部から少し離れた、自然に覆われた小さな公園。
俺と賢者様は城へ報告書を届けたあと、少し寄り道をすることにした。
そこで偶然見つけた公園のベンチで何故だか俺は彼女に膝枕をしている。
どうしてこうなったのかというと理由があるのだが、今思えばただ単に俺がしたかったのだろう。


「カイン様としたいことランキング?なんだそれ?」
「今、中央の国で流行っている雑誌があって⋯⋯」
「どれどれ⋯⋯ってあれ?賢者様、字が読めるようになったのか?」
「えっと、まだ読めないんですが、ルチルやクロエ、カナリアさんからも聞いて⋯⋯。みんな大騒ぎだったので」
「それは大袈裟じゃないか?えっと、なになに。壁ドン、頭ぽんぽん、デート、腕枕に膝枕⋯⋯だって!」

紙面を指差しながら思わず笑ってしまうと、賢者様は不思議そうにこちらを見つめていた。
あることないこと書かれている色恋記事や、好き勝手にアンケートを取られて娯楽にされていることに「どうして笑っていられるのだろう」という顔をして。

「大丈夫だよ、こんなの慣れっこだからさ。ネガティブなことならまだしも、これって好意だろ?逆にわざわざ話題にしてもらえて有り難いよ」
「そ、そういうものなんですか⋯⋯?」
「うん!本当にとくに何も思わないな」

誹謗中傷みたいな内容だったら文句くらい言うだろうけど、この手の娯楽記事は今までにどれだけ発刊されたか分からない。
悪意や敵意ならまだしも、少なからず好意が滲んでいるのであれば、その気持ちに応えるかはどうかは別として、放っておいてもいいんじゃないかと、いつかの俺は結論づけたのだ。

「それじゃあ余計なことをしちゃいましたね、すみません⋯⋯。この雑誌のこと、忘れてください」
「いや、謝らないでくれ。俺のことを心配してくれたってことだろ?ありがとう、賢者様!」

暗い気持ちを吹き飛ばすかのように笑顔で告げても、彼女の表情は曇ったまま。
きっと彼女は、俺の心を俺以上に大切に思ってくれているのだ。
「賢者とその魔法使いだから」ではなく、「大切な友人」として。
そのとき、自身の口の端が上がった気がした。
身体がじんわり熱くなると、その熱が溢れ出してくる。

「どうしてニヤニヤしているんですか?」
「⋯⋯すまない、嬉しくて。隠しきれなかった⋯⋯」

うなだれるように白状するも、彼女は何のことか全く分からないようで首を傾げている。
きっと意図しないところで勝手に嬉しくなっている俺の方がよろしくないのだ。
俺は彼女を恨めしそうに見つめた。
腹の奥底がフワフワする感覚は存外悪くないのだが、一方で胸はモヤモヤしていて何か引っかかるような違和感は正直に言えば不快だった。
その何かはとても脆いうえに少しだけ尖っていて、全てを丸く包み込むにはまだ勇気がいる__

「⋯⋯賢者様ってモテるだろ」

ため息と一緒に思わず心の中の声が漏れてしまえば、甲高い叫び声が上がった。
「なんですか突然!?も、モテませんし、どちらかというと今はカインがモテるという話でしたよね!?」
「⋯⋯はあ」
「だ、黙らないでください!?」

肩で息をしながら真っ赤な顔をして抗議する彼女を見てまた笑うと、今度は彼女も眉根を下げて観念したかのように柔らかい笑みを零した。

「ん〜、そうだな。じゃあはい!どうぞ賢者様」
「はい?」
「だからほら」
「嫌な予感がするのですが」
「ひ・ざ・ま・く・ら!」
「どうしてそうなるんですか!」
「カイン様としたいことランキングにあったからさ。賢者様は膝枕、嫌か?」
「い、嫌とかではなくて⋯⋯、どうして私にって、ちょっ⋯⋯ふふ、そんな必死になって膝を叩かなくてもっ。しかもなんでそんなに嬉しそうなんですか。それに普通、膝枕って女性側がするものなんじゃないんですか?」
「え?そうなのか?あ、確かに俺の膝じゃ固くて寝心地悪いか?」
「寝心地って⋯⋯寝かせるつもりなんだ」

目と目が重なり合えるほどに近い距離が心地良い。高鳴る鼓動も愛おしく感じる。
「⋯⋯仕方ないですね」
彼女は唐突にボソっと呟くと、少し恥ずかしそうに俺の膝にゆっくりと横たわった。
思わず全身が強張ると、下から茶化すような言葉を投げかけられる。
「自分から来いって言ったくせに、緊張しているんですか?」
「バレたか?」
自分で小さく笑うと、彼女も一緒に笑った。
膝枕なんてされたのもしたのも子どものとき以来かもしれない。それに彼女の言う通り、こういうのはもしかしたら女性がするのかもしれないし、雑誌の内容もまさか俺が膝枕をする側だとは想定していないのかもしれない。
でも俺は《したい側》なんだと思う。
何となく彼女へ視線を落とすと、強張った身体から緊張している様子が伺える。

(折角ならリラックスしてもらいたいんだけどな)

そう思って何気なしに彼女の髪をひと掬いした。
耳には戸惑いと驚きを感じさせる吐息が聞こえてくるも、絶えず手を動かしていく。
指通りの良い髪は梳くたびにシャンプーのいい香りが鼻を掠め、ずっと触っていたくなるほど滑らかで気持ちの良いものだった。

彼女は何も喋らない。
俺も口を開かない。
沈黙は苦ではなく、沈黙だからこそ心が安らいでいくようだ。

また視線を落とすと、思わず口元が緩んだ。
いつの間にか睡魔と戦っていた彼女に手を貸すように、ゆっくりと頭を無で続ければ案外決着はすぐにつく。
規則正しい寝息と遠くから聞こえてくる子どもたちの声。
胸いっぱいに息を吸い込むと、新緑と彼女の匂い。
そうすると、想いなんてものは簡単に口からこぼれ落ちるのものだ。

「⋯⋯すき、だな」

何の意識もなく落ちてしまったそれは、風で揺れる木々の葉音で簡単に掻き消されてしまう。
もちろん眠っている彼女には届くはずもない。
けど、今はそれでいい。
魔法使いの自分にも大切な人ができるのだと分かっただけで嬉しいのだ。
それだけで満たされる。
彼女とどうなりたいとか、何がしたいとかは浮かんではこない。
ただ限りある時間を一緒に過ごしたい、彼女が幸せであってほしいと本気で思える。
それなのにどうしたって違和感が残る。

「⋯⋯こんな感情、俺のなかにもあるんだなあ」

目を背けたくなるような感情が確かに内に秘めている。
恐ろしくて醜くて、けれどほんの少しだけ愛おしく感じてしまう得体の知れないなにか__。
自覚した思いをため息と共に大きく吐き出すと、彼女の頬に葉っぱがくっついているのに気が付いた。
(黄色だ)
まだ成熟しきっていないのだろうか。
緑色の葉が辺りに散らばっているなかで、ただの一枚が黄色だった。
それが綺麗に彼女の頬に落ちたのだ。

「なんだか、特別みたいだ」

一枚だけ異質なそれ。
でもそれは地べたに落ちて踏まれるわけでもなく、ただ一人の特別な存在のもとに舞い落ちた。
眠っている彼女の頬からそっと離すと、それに自身の唇を押し当てた。
何を馬鹿なことをしているのだろう、そう思う。
我に返って辺りを見回すと、相変わらず周りには誰も居なくて彼女もまだ眠ったまま。
そっと葉をポケットに突っ込むと、ようやく腑に落ちたのだ。

たかが葉っぱごときに嫉妬をするなんて。
格好悪すぎる。恥ずかしすぎる。子どもがすぎる。


俺は《偶然の特別》に嫉妬をしたのだ。


いつかの雑誌の大見出しに《選び慣れている騎士団長》と書かれたことがある。
何が慣れているのだろう。俺はこんなにも小さいことで地団駄を踏んでいるのに。
だって、至極当然のように「自分は偶然でも特別になれないのだろう」と心のどこかで思ってる。
選ぶ側だと思われているのに、意中の相手には選ばれないと本気で思える。
こんなタイミングで気付くなんて、俺は今まで知らない内にどれだけの感情に蓋をしてきたのだろう。

「ん゙ん」

絶えず寝息が届いていた彼女から唸り声が上がると、風が寒いのか、はたまた膝が固くて不満なのか身をよじっている。
(っと、そろそろ起こすか)
大きく息を吸い込んで時間を掛けて吐き出したあと、頭を撫でるのを再開させる。
密かに想いを寄せる彼女の名前を呼べば、ただ一人の《特別》は応えてくれた。

「おはよう、賢者様。寝心地はどうだった?」
「おは、よう⋯⋯ござい、ます。いつの間にか寝ちゃいました⋯⋯。寝心地は良かったです」

ぼんやりゆっくり喋る様子は、母親に起こされた子どものように、まるで安心感に包まれているように見える。
異世界から来た彼女に安心というものを与えられるほどの存在になれていることの嬉しさよりも、胸を締め付けられる痛みに支配されてしまうのは俺が弱いからだろうか。

でもこれで分かってしまった。
きっと彼女はこちらのことを何も意識していないのだろう。

簡単に結末が知れると、らしくもなく膝枕したことを後悔する。
そのとき、彼女が小さく声を上げて俺の太ももに向かって指を差した。
そこには黄色の葉が落ちていて、反射的にポケットに手を入れると心音がドクンと鈍く響く。
「あの、それ⋯⋯」
彼女は葉に釘付けになっていてやっぱりほんの少しの敗北感を味わいながらそれを手渡すと、彼女はすぐに青空へと透かした。
(何をしてるんだ?ただの葉なのに)
一緒に覗くと、言葉を失ってしまった。
ふと彼女に視線を送ると、こちらに満面の笑みを向けている。

「色素が薄いから、空が透き通って見えますよ。綺麗ですね!」

目を輝かせて告げる彼女は、木漏れ日のなかでなによりも尊く清らかに映って見えた。
俺の偶然の特別になれない嫉妬など、どこかに吹き飛んでいくように。

「この葉っぱ、持ち帰って栞にしようかな。ねえ、カインはどう思います?」
「え、俺⋯⋯?」

唐突に投げかけられるそれに、もう一度ポケットに手を入れた。
確かに突っ込んだ黄色い葉はいつの間にか無くなっている。
きっと仕舞い損ねたのだろう。

「素敵だと思うよ、栞!俺も一緒に作ろうかな」

ベンチから勢いよく立ち上がって周囲を見渡すと、息を飲んだ。

(黄色の葉って、こんなに落ちてたんだ)

緑色の葉が大半を占めるなか、それ以外の色も確かに落ちている。
さっきまでは気付かなかった。まるで視野が大きく広がったみたいだ。

「じゃあ、賢者様が選んでくれたやつにするよ」

返事の代わりに彼女は元気よくその場にしゃがみ込むと、一緒に葉をかき回していく。
「あ!これなんかどうですか?」
目の前に差し出されたのは、綺麗な赤色の葉。
「どこにそんなの落ちてたんだ?」
彼女は自慢げに小さく笑い、続けてこう言う。

「カインみたいな色!私は好きです」
「⋯⋯。ほんとだ、俺みたい」

堪忍したかのように力なく彼女に笑いかけると、足元が崩れていくような感覚だった。
そんな風に告げられてしまえば、もう完全に向き合う覚悟を持つしかなさそうだ。

(どうしてこんなに沢山の落ち葉から見つけてしまえるんだ。ただ1枚の赤色を__)

有象無象の中に1枚だけ落ちていたのかもしれない赤い葉。
特別だと思っていた黄色はあっさり特別ではなくなり、赤さえもいとも容易く掬い上げた彼女。
彼女にとっての《特別》は目の前にたまたま落ちてくるような《偶然》じゃない。
意思を持って、自分の手を汚しながら一生懸命に拾い上げるような《それ》。

「手が土まみれになってる」
「良いんです、こんなの。だってほら、素敵なものを見つけられたでしょう?」

何でもないように言い放つ彼女の視線の先には、赤い色の葉。
たかが1枚の葉に嫉妬した挙げ句、さらには気付かされてしまった。
案外《偶然の特別》なんてものは気付かないだけでこの世界に溢れていて、俺の好きな人はその埋もれているものにもちゃんと目を向けて気が付ける人だということ。そして、俺でも《偶然の特別》になれるのかもしれないと顔を上げるきっかけになってしまったこと。

我ながらなんて単純なのだろう。
真っ直ぐに彼女を見据えると、再び心臓が大きく動き出す。
胸にあった違和感はもうなかった。

赤い葉を持っている彼女の手首を軽く引き寄せると、彼女は僅かばかり目を見開いた。
「見つけてくれてありがとう。大事にする」
熱を滲ませて視線を絡めれば、ほんの少しの期待も膨らむというもの。


(なるほど。全くの脈ナシでもなさそうだ)


彼女の手からゆっくりと葉を受け取ると、髪から同じような色をした耳が覗いて見えた。
思わず笑みが溢れたのは言うまでもない。

(終)
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