まほやく
温かな日差しに、たまに吹き抜ける心地よい風。特別な依頼もなく、各々が自由に過ごしていた昼下がり。剣の手入れを終えたカインは、このまま昼寝をするのもいいなと目を擦っていた。
けれども、頭にかかっていたぼんやりとした靄は、突如響いた子どもの泣き声で掻き消されてしまった。
「な、なんだ!?子ども?」
カインは開けていた窓から思い切り顔を出し、声の出どころを探すと、その瞬間確信する。
本能が勝手に除外していた一つの可能性。
もしかしなくても厄介であろう真実。
でも決して認めたくはない絶対的な事実。
そうだ、確かに泣き声は隣の部屋から聞こえる。
嫌な気配を感じ取ったカインは急いで賢者の部屋に向かうと、扉は固く閉まっていた。
「賢者様!どうしたんだ?」
呼びかけても返事がない。泣き声もぴたりと止んだようにも思える。ただ、扉の向こうに誰かが居るのは明白で、息を潜めているのか微かな物音がする。
(怪しいな、本当にただの子どもか?)
彼女だったらすぐに声が返ってくるはずだ。
ともすれば、少なくとも今この部屋にいるのは賢者ではないのだろう。
「すまない、開けるぞ」
焦る気持ちを抑えながら、慎重に扉を開けると部屋の中は空っぽだった。特に荒らされた様子もなく、いつもどおりの彼女の部屋。ゆっくり部屋の中心へ歩いて行くと、少しだけ椅子が乱れている。
何となくだった。
なんとなく机の下を覗くと、そこに隠れるようにいた何者かと目が合った。少女は小さな悲鳴を零して涙目で震えていた。
(え___)
思わずカインは息を飲んだ。恐怖でもなく、驚きでもなく、ただ本能が反応したのだ。
(⋯⋯俺はこの子を知っている?)
カインに見つかってしまった女の子はせきを切ったかのようにしゃくり上げながら謝罪の言葉を漏らし始める。「ごめんなさい、ごめんなさい」とひたすらに泣き続ける子どもに、カインは膝を折り、手を差し伸べた。
「顔を上げて」
少女は柔らかな声色に僅かに顔を上げると、目の前の何者かをじっと見つめることができた。
優しげに細められた蜂蜜色の瞳がとても綺麗だ。
それでも少女は不安げに彼を見つめる。
「大丈夫、何もしない」
何者かも分からない謎の子どもにカインはひたすら優しく言葉を掛け続ける。誰であろうと幼い子どもが怯えて震え、泣いているのを放っておくことは出来ない。続けてカインは彼女の名前を尋ねようとして、言葉に詰まった。
涙で潤んだ茶色の瞳は透き通り、黒茶の髪は陽が当たってキラキラしている。
知らない少女なのに、やはりすでに知っている気がした。
頭に浮かんだのはただの一人。
「⋯⋯晶?」
意識せず零れ落ちた名前に、少女は大きく目を見開き、小さく口を開いた。
「⋯⋯名前、どうして知ってるの?」
不安と期待を織り交ぜた問いかけがカインに落ちる。カインは心の内を隠さず、彼女に告げてみることにした。子どもだからこそ、きっと誤魔化しは通用しないと判断したからだ。いいや、それ以前に疑心を抱いている相手に初手で不信感を与えてしまうことは得策ではない。
(⋯⋯それも違うな。俺はきっと、この子に嘘を付きたくないんだ)
どことなく晶と似ている少女。
賢者の姿はなく、謎の子どもが残されている現状。
彼女はもしかして、と完全に思考が巡るよりも先に彼は告げなければならない。カインはしっかりと彼女の瞳を捉えて、とびきりの優しい笑顔とほんの少しの照れを滲ませて応える。
「俺の好きな人と似ているなって思ったんだ」
「好きな人?⋯⋯その人もあきらって言うの?」
「そう!」と明るく笑うと、少女も一緒に笑顔を零した。
その笑顔もまるで彼女のようで___
カインは今すぐに目の前の子に大きな安心を与えたいと思うのだ。
「さあ、そんな所にいないでこちらに出てきて頂けますか?晶様」
先ほどよりも少しだけ彼女の目の前に手を差し伸べると、少女は期待を込めるように大きな眼差しで返した。
「⋯⋯王子様なの?」
「ははっ、王子様じゃないよ。俺はカイン、騎士団長をやってたんだ」
「騎士?」
「騎士っていうのは大切な人たちを守る人のこと」
「⋯⋯じゃあ、あきらのことも守ってくれる?」
尋ねるのも怖かったのだろう。懇願するようにお願いする少女は今にもまた泣き出しそうだ。
「ああ、もちろん。だって騎士だからな。
だから、どうぞこの手を取って頂けませんか」
少女はカインの瞳と手を交互に見つめ、ゆっくりと手を取った。カインにはその確かな温もりと小さな信頼に覚えがあった。決して忘れることはない、賢者である晶と初めて出会ったあの日の軌跡。
(ああ、きっとこの少女は__)
机の下から這い出てきた少女は力いっぱいにカインの手を握った。不安げにカインを見上げると、大きな手のひらが晶の頭に優しく落ちた。何度も何度も丁寧に頭を撫でられると、晶は心の底から安心できる。
「よし、じゃあ部屋を出て双子先生のところに行こうか。きっと、元に戻る方法を一緒に考えてくれる」
「ふたごせんせー?」
「魔法に詳しい先生みたいな人さ!ちょうど晶と同じくらいの背丈かな?いや、もしかすると晶のほうが少し大きいかも」
カインが優しく手を引くと部屋から一歩、外の世界に晶は目を背けたくなった。
でも、晶はもう怖くない。だって、カインと一緒なのだから。理由は分からないけれど、彼と一緒なら晶はどこにだって行けるし、何でも出来る気がした。もう一度しっかりと握り直した手を、カインはまるでその気持ちを受け止めるかのように握り返してくれる。
「晶」
「なあに」
「大丈夫、俺もみんなもちゃんと晶だって分かるから」
小さい晶はその言葉の意味を理解こそ出来なかったが、ただ無性に嬉しくて力の限り大きく頷いた。
(終)
けれども、頭にかかっていたぼんやりとした靄は、突如響いた子どもの泣き声で掻き消されてしまった。
「な、なんだ!?子ども?」
カインは開けていた窓から思い切り顔を出し、声の出どころを探すと、その瞬間確信する。
本能が勝手に除外していた一つの可能性。
もしかしなくても厄介であろう真実。
でも決して認めたくはない絶対的な事実。
そうだ、確かに泣き声は隣の部屋から聞こえる。
嫌な気配を感じ取ったカインは急いで賢者の部屋に向かうと、扉は固く閉まっていた。
「賢者様!どうしたんだ?」
呼びかけても返事がない。泣き声もぴたりと止んだようにも思える。ただ、扉の向こうに誰かが居るのは明白で、息を潜めているのか微かな物音がする。
(怪しいな、本当にただの子どもか?)
彼女だったらすぐに声が返ってくるはずだ。
ともすれば、少なくとも今この部屋にいるのは賢者ではないのだろう。
「すまない、開けるぞ」
焦る気持ちを抑えながら、慎重に扉を開けると部屋の中は空っぽだった。特に荒らされた様子もなく、いつもどおりの彼女の部屋。ゆっくり部屋の中心へ歩いて行くと、少しだけ椅子が乱れている。
何となくだった。
なんとなく机の下を覗くと、そこに隠れるようにいた何者かと目が合った。少女は小さな悲鳴を零して涙目で震えていた。
(え___)
思わずカインは息を飲んだ。恐怖でもなく、驚きでもなく、ただ本能が反応したのだ。
(⋯⋯俺はこの子を知っている?)
カインに見つかってしまった女の子はせきを切ったかのようにしゃくり上げながら謝罪の言葉を漏らし始める。「ごめんなさい、ごめんなさい」とひたすらに泣き続ける子どもに、カインは膝を折り、手を差し伸べた。
「顔を上げて」
少女は柔らかな声色に僅かに顔を上げると、目の前の何者かをじっと見つめることができた。
優しげに細められた蜂蜜色の瞳がとても綺麗だ。
それでも少女は不安げに彼を見つめる。
「大丈夫、何もしない」
何者かも分からない謎の子どもにカインはひたすら優しく言葉を掛け続ける。誰であろうと幼い子どもが怯えて震え、泣いているのを放っておくことは出来ない。続けてカインは彼女の名前を尋ねようとして、言葉に詰まった。
涙で潤んだ茶色の瞳は透き通り、黒茶の髪は陽が当たってキラキラしている。
知らない少女なのに、やはりすでに知っている気がした。
頭に浮かんだのはただの一人。
「⋯⋯晶?」
意識せず零れ落ちた名前に、少女は大きく目を見開き、小さく口を開いた。
「⋯⋯名前、どうして知ってるの?」
不安と期待を織り交ぜた問いかけがカインに落ちる。カインは心の内を隠さず、彼女に告げてみることにした。子どもだからこそ、きっと誤魔化しは通用しないと判断したからだ。いいや、それ以前に疑心を抱いている相手に初手で不信感を与えてしまうことは得策ではない。
(⋯⋯それも違うな。俺はきっと、この子に嘘を付きたくないんだ)
どことなく晶と似ている少女。
賢者の姿はなく、謎の子どもが残されている現状。
彼女はもしかして、と完全に思考が巡るよりも先に彼は告げなければならない。カインはしっかりと彼女の瞳を捉えて、とびきりの優しい笑顔とほんの少しの照れを滲ませて応える。
「俺の好きな人と似ているなって思ったんだ」
「好きな人?⋯⋯その人もあきらって言うの?」
「そう!」と明るく笑うと、少女も一緒に笑顔を零した。
その笑顔もまるで彼女のようで___
カインは今すぐに目の前の子に大きな安心を与えたいと思うのだ。
「さあ、そんな所にいないでこちらに出てきて頂けますか?晶様」
先ほどよりも少しだけ彼女の目の前に手を差し伸べると、少女は期待を込めるように大きな眼差しで返した。
「⋯⋯王子様なの?」
「ははっ、王子様じゃないよ。俺はカイン、騎士団長をやってたんだ」
「騎士?」
「騎士っていうのは大切な人たちを守る人のこと」
「⋯⋯じゃあ、あきらのことも守ってくれる?」
尋ねるのも怖かったのだろう。懇願するようにお願いする少女は今にもまた泣き出しそうだ。
「ああ、もちろん。だって騎士だからな。
だから、どうぞこの手を取って頂けませんか」
少女はカインの瞳と手を交互に見つめ、ゆっくりと手を取った。カインにはその確かな温もりと小さな信頼に覚えがあった。決して忘れることはない、賢者である晶と初めて出会ったあの日の軌跡。
(ああ、きっとこの少女は__)
机の下から這い出てきた少女は力いっぱいにカインの手を握った。不安げにカインを見上げると、大きな手のひらが晶の頭に優しく落ちた。何度も何度も丁寧に頭を撫でられると、晶は心の底から安心できる。
「よし、じゃあ部屋を出て双子先生のところに行こうか。きっと、元に戻る方法を一緒に考えてくれる」
「ふたごせんせー?」
「魔法に詳しい先生みたいな人さ!ちょうど晶と同じくらいの背丈かな?いや、もしかすると晶のほうが少し大きいかも」
カインが優しく手を引くと部屋から一歩、外の世界に晶は目を背けたくなった。
でも、晶はもう怖くない。だって、カインと一緒なのだから。理由は分からないけれど、彼と一緒なら晶はどこにだって行けるし、何でも出来る気がした。もう一度しっかりと握り直した手を、カインはまるでその気持ちを受け止めるかのように握り返してくれる。
「晶」
「なあに」
「大丈夫、俺もみんなもちゃんと晶だって分かるから」
小さい晶はその言葉の意味を理解こそ出来なかったが、ただ無性に嬉しくて力の限り大きく頷いた。
(終)
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