まほやく
《みんなの賢者様》はいつだって平等だ。
穏やかに細められた目に、誠実な態度と惜しみなく心を砕く優しい気遣い。
それは誰かひとりに向けられるものではなく、魔法使いや人間すべてに降り注いでいた。
彼女から与えられる優しさをもっと望んだのはいつからだったろう。
なんでそんなことを思ってしまったのか。気付いたときにはすでに遅くて、酷く己を悔いた。
そうして同時に《みんなの騎士様》もこんな感情を向けられていたのだと、正しく理解できた瞬間でもあった。
「カイン!おはようございます、ハイタッチ!」
「おはよ!今日は早いんだな。これからどこか行くのか?」
「シノたちと森へ遊びに行くんです!じゃあ、行ってきます!」
両手をそれぞれミチルとリケに引っ張られながら走っていく彼女の後ろ姿を見送ると、ふと考えてしまう。
外へ出る前に、わざわざ俺のことを探してくれたのかなって。
彼女にとっては何でも無いことでも、その小さな気遣いが堪らなく嬉しかった。
何気なく窓を見ると、賢者と何名かの魔法使いたちが森へ向かって歩いているのが見えた。
「あ⋯⋯」
胸が大きく軋んで音を立てる。
優しい陽だまりのような温かい気持ちは少しずつ冷めて暗くなっていき、情景は泥へと変わった。
「⋯⋯良いな。
俺も行くって言えば良かったかな」
呟いた欲望は誰に届かなくたっていい。
またひとつ、腹の底の泥に重たい何かが沈んだ気がした。
数日後、野暮用で栄光の街に寄ったときだった。
俺は女性二人組に声を掛けられた。もちろん姿は見えていないが声や足音は二人分だったし、それぞれからほのかに香水の香りも漂っていた。そして少し会話をして勘づいた。声色、会話のテンポと流れで大体分かってしまうのだ。
(これはあれだ__)
幾度となく体験してきたあれに俺は彼女たちを傷付けないように慎重に言葉を選んで距離を取る。
そうすると9割くらいは察してくれて、それ以上は踏み込んでこない。
(酷い男だな、俺)
姿も分からない彼女たちを真正面から受け止めもせずに線引をする。
こんなのきっと誠実じゃない。
彼女たちが今どんな顔をして俺の前から立ち去るのかさえも見届けることもしないのだから。
(最近ダメだな、なんか疲れる)
目線を下に向けると、太陽が雲で隠れているのか地面は真っ暗だった。
そのとき遠くから声が聞こえた。
誰だろう__
響く声は頭にある霧が飲み込んでいくかのようにさらに遠くの方へと意識が追いやられていく。
⋯⋯昔からそうだった。
少し親切にすると、すぐに好意を寄せられる。
俺が何も考えずに振りまくそれら全てをみんなが勘違いした。
けど、誰だって思うだろ。
困っている人がいたら助けたいし、差別なく人に接して、優しく誠実に向き合いたい。
そんな当たり前を過ごして夢が叶うと、それがより強固なものへとなる。
これが今日まで積み上げてきて生まれた《みんなの騎士様》の末路だ。
「カイン!どうしたんですか?どこか具合が悪いんですか?」
意識が浮上すると、いつの間にか賢者様が隣りにいて、こちらを心配そうに見つめていた。
(俺を呼んでいた声は賢者様だったのか。⋯⋯さっきの見られたかな)
見られて何も困ることはないはずなのに、なぜだか酷く胸が痛んだ。
「あの、あっちのベンチで少し休みましょう?」
「えっと、それより賢者様はどうしてここに?」
何気なく聞いた質問に彼女の声は大きくひっくり返った。
まさかそんな反応をされるとは思っていなかった俺は思わず固まってしまう。
彼女は気まずそうに視線を泳がせたあと、小さな声で恥ずかしそうに言った。
「最近、カインの元気が無さそうに見えたので、その、何かプレゼントをと思いまして⋯⋯」
「それでなんで栄光の街なんだ?」
「だって地元のものだったら故郷を思い出して、懐かしくて嬉しい気持ちになりませんか?
あっ!すみません!私はそう思うけど、カインもそう思うとは限りませんよね!?」
「独りよがりですみません」という彼女の声が頭に響くと、心臓の音が先ほどよりも強く鳴り響いた。
咄嗟に言葉は出ず、喉が詰まる。顔も熱い。
嬉しさでどうにかなってしまいそうだ。
それでも意識的に息を大きく吸って、ゆっくり吐き出すと、少しだけ理性を取り戻せたような気がした。
熱を帯びた眼差しを彼女に向けるも、彼女は気付かない。
気付いてほしい__
気付いたらどうなるのだろう。
「⋯⋯ありがとう。せっかくだからついて行ってもいいか?」
「え、それだと嬉しさが半減しません?」
「んー、俺は悩んでくれている時間も嬉しいから、それを間近で見せて貰えたらもっと嬉しくなると思う!」
「え〜?⋯⋯まあカインが良いなら」
「本当か!⋯⋯ってなんだ?こっちをジロジロ見て」
「え!?あ、えっと、少し元気になったみたいで良かったなと思って」
そうやって口元に手を添えて彼女は小さく笑った。
そんな風にされたらもっと勘違いしてしまいそうになる。
この優しさは俺だけの特別なものだと思ってしまいたい。
そんなことはないのに。
俺が一番よく分かっている。
自分の当たり前が人を狂わす申し訳なさとほんの少しの鬱陶しさ。
賢者様もそう思うだろう。
そんなつもりはなかったのに、惑わせてしまう《特別な立場》。
俺や誰かが踏み越えれば、きっと賢者様も俺と同じような行動を取る。
けれど優しい彼女はきっと線を引くのを躊躇うし、罪悪感もなかなか消えないだろう。
それでも9割は察して去っていく。俺のときもそうだったから。なら俺もそうするべき?
でも残りの1割は違った。
みんな自分のために一生懸命にアプローチしてきた。
あのとき生まれたほんの少しの欲のために、素直に従う姿は俺にとっては眩しくて、決して責めるべきものではない感情。
そしてまさか俺もそっち側だとは思ってもみなかった。
《みんなの誰か》は決して《特別な人》なんかじゃない。
無責任に誰かを拒んで、当たり前に受け入れたっていい。
今は俺が《みんなの賢者様》を《俺だけの賢者様》にするために動くだけ。
誰かの特別を拒んできた自分が、誰かの特別を望むなんてどうなんだと思っていた。
だからその時が来ても何も望まないし、厄災を倒すまではそんな暇はないと信じて疑わなかった。
でも現実は違った。
なんて脆いのだろう。
固く誓った意思なんて知らないうちに砕けて溶けて、もう二度と同じ形には戻らない。
蓄積された泥のような感情はもうすぐで決壊してしまう。
ならば飲み込んでしまおうか。
「なあ、賢者様は好きな人っているのか?」
唐突な問いかけに反応も出来ず、揺れる彼女の瞳をまっすぐに捉える。
「俺はいるよ」
彼女の瞳は何かを察したように見開かれ、声を失う。
すぐに視線は俺を外そうとするも、その視線の先に人差し指を突き立てれば、もう彼女の視線は逃げられない。
「晶だ」
線を引く僅かな時間さえも与えない。
知らないうちに向けられていた曖昧な熱さえも一瞬で分からせよう。
ああ、そうだ。《みんなの騎士様》は存外にずる賢い。
こんな俺を嫌う人や幻滅する人も出てくるだろう。
誰かを傷付ける覚悟も、特別な人から傷付けられる覚悟も出来た何者はとても強い。
これも身を持って知っている。
さあ、みんなの特別をその座から引きずり下ろそう。
誰も特別なんかじゃないし、誰もが特別でもある。
泥に塗れて、一緒に沈もう。
(終)
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