まほやく
キッチンに1人分の食器が置いてある。
食事を盛る必要がなかったその食器は綺麗なままだ。
それを片付けると、俺は小さくため息を吐いた。
(今朝も食わなかったな)
昨日も、一昨日も、飛んでその前の日も彼女は朝食を取らなかった。
いいや、取れなかった。
ええっと、今朝はなんだったかな。
確か早朝に急ぎの依頼を持ったクックロビンが飛び込んできたんだ。
賢者さんは寝ぼけ眼で服を着替え、ボサボサの髪もろくに整えずに何名かの魔法使いを連れて出て行った。
昨日は、いつもの時間より遅く食堂に入ってきた。席に座り、スプーンを手に持った瞬間、屋根が落ちた。
北の奴らが派手に暴れ回って食堂を破壊したのだ。それからは事態の収集で食事どころではなかった。
一昨日は朝寝坊してそのまま食べずに中央の城に向かって行った。
飛んで前の日は⋯⋯ん?なんだっけ?
とにかくまあ、最近彼女は朝食を取れていないのだ。
俺としては食わせてやりたいんだけどなあ。
そんなに仕事やら何やらを優先しなきゃ駄目なんだろうか。
一食分余った朝食をぼんやりと見つめていると、キッチンの入口に気配を感じる。視線はそのまま鍋を見つめながら、右手に持っていたお玉を回した。
「ブラッド、飯食うか?少し余ってんだよ」
すぐに返答がない。てっきり飛び付いてくると思ったのに。
後ろを振り返ると、意地悪そうに口の端を上げて奴は笑っていた。
「機嫌、悪そうじゃねえか」
俺は言葉を返す代わりにいつもより強い力でコンロのツマミを回した。
◇ ◇ ◇
ひんやりとした空気が身体にまとわりつくような早朝。
キッチンの小窓からは暗闇が優しく溶け出したような色でも、希望に陽が滲んだ色でもない、夜と朝の狭間の白い空が覗いている。
それからいつものように小鳥の囀りが耳に届くと、とくに名前も思い浮かばないそれに耳を澄ませながら、大鍋にたっぷりの水を注ぐ。
つづいて転がっている麻袋の中身を覗いて「う〜ん」と唸れば、やかんや鍋が音を立てながら水が吹きこぼれるのを大して慌てもせずに火を緩める。
遠くから響くのは元気な足音と賑やかな声。
いつの間にか小窓からは眩しい光が溢れている。
(あったかいな)
刺すような鋭い冷たさが支配していたキッチンはもう存在していない。
温かな湯気と、食欲をそそる良い匂い。
きっと今、この場所は誰かにとっての幸せな場所に違いないと思う。
そうでなくては俺は俺の人生を恨むだろう。
クソみたいな生き方だったけど、思い描く幸せはおとぎ話のように王道であってほしいのだ。
出来上がった食事をテーブルへ持っていくと、何名かがすでに着席して待っていた。
「おはようさん。出来立てだよ」
そうやって順々に並べて各々が朝食を取っていく。
一人ひとり自分のペースで口に運んでいくの横目で見て、なんというかまあ、俺は⋯⋯満たされるのだ。
(っと、来たか?)
ゆったりと歩く穏やかな靴音。珍しくそれに続く騒がしい足音は今日は無いようだ。
どうか彼女が落ち着いた朝を迎え、腹いっぱいに温かい朝食が取れますように。
らしくもない願い事を胸の内で唱えると、食堂の扉が躊躇いがちに開いた。
「⋯⋯おはようございます」
「賢者さん、おはよ。眠そうだな」
「あはは⋯⋯、最近疲れが取れなくて」
「⋯⋯ふーん、そっか。今、用意するから待ってて」
彼女はフラフラと隅っこの席に座る。
陽がいっぱいに差し込むその席は賢者さんのお気に入りの場所だ。⋯⋯いや、本人に聞いたわけではないけど、店を開いていた身からすると何となく分かるのだ。
常連だったじーさんが座っていたのはうちで一番陽当たりが良い席。多分、日向ぼっこも兼ねて過ごしてくれてた。
いつも決まった昼の時間に来てた若いにーちゃんは出入り口から一番近い席。頼むメニューは調理が早いものばかりで、かき込んではすぐに出て行ったから仕事の昼休憩中に来てくれてて少しの時間も惜しかったのかなと思う。
魔法使いということを隠して来ていた女性はカウンターから離れた窓側のひとり席。あそこの席は窓から覗くと隣の家の花壇が見える。隣の人は季節によって花を植え替えるほど、熱心に育てているようだったから立派なものだったに違いない。それからあの魔女は泥が入って汚れた爪先に、少しの土の匂いを纏わせていた。植物とかを育てていたんだろう。だからあの席を好んでいた。
全部、俺の想像でしかないけど、そうだったんじゃねえかなあと昔の記憶がぼんやり浮かんでは消えていく。
「⋯⋯出来た」
トレーに出来上がった食事を乗せ、彼女の元へ向かうと大きく船を漕いでいた。
最近忙しそうだし、上手く気分転換も出来てねえのかな。
突然生まれた少しの綻びを修復出来ないまま、気付いたら崩れ落ちていった奴らを山ほど見てきた。
まだ、そこまでじゃねえと思うけどさ。
無理するタイプだよな、賢者さんは。
朝食を彼女の前に出すと、先程までの眠たそうな細い目があっという間に見開かれる。
瞳は降り注ぐ陽のせいもあって、より一層輝いて見えた。
それを見て、俺は少しだけ笑ってしまった。
「わ〜!美味しそう!」
「今日こそはちゃんと食べな」
「はいっ!いっただき⋯⋯」
「賢者様」
「うぇ!?」
いきなり頭を鷲掴みにされて舌を噛んだらしい彼女が声を上げると、そこにはミスラが立っていた。さっきまで居なかった彼は魔法で一瞬にして空間転移したらしい。
「なななんでしょう?」
「ちょっと来てくださいよ。あいつら俺に喧嘩を売ってきたんです」
「は、はあ⋯⋯?」
「それで決着を付けようってなって」
「はい⋯⋯?」
「あなたが立会人で見届けてください」
もうすでに一線交えたのか服が汚れていた。それに精霊たちがざわついている。ミスラは言葉こそ丁寧だが、有無を言わせない迫力があった。
(これはかなり不機嫌そうだな)
賢者さんは目を伏せ、黙っていた。
長いまつ毛が先ほどまでキラキラ輝いていた瞳に影を落としている。
(あ___)
それを見た瞬間、声に出していた。
「それ、後にしてくんねえかな」
ミスラの気だるげで殺気立っている目玉がギョロリとこちらに向く。
俺はそれを真正面から受けて睨み返した。
「悪いけど、賢者さんこれから朝飯なんだよ」
「はあ、それで?」
「あったかいうちに食わせてやりたい」
「だから?」
「それに立会人で賢者さんを側に置いたら、気にして本気で戦えなくないか?」
「⋯⋯あー、それもそうですね。やっぱりいいです。じゃあ」
納得したのかミスラはあっという間に消えてしまった。
賢者さんは冷や汗を掻いてこちらを見ると、俺は思い切り息を吐き出した。
「死ぬかと思った」
「ネロ!あの、す、すみません⋯⋯」
謝る彼女の頭に手を置いて、謝罪を否定する。
「謝んなくていいよ。俺が勝手にしたことだからさ」
心臓がかつてないほどに音を立てる。
今にも震えだしそうな身体を必死に抑えて、何でもないような素振りで改めて彼女に向き合った。
「さあ、朝飯の時間だ。ゆっくり食いな」
そう言って俺は向かいの席に腰を掛ける。
彼女は不思議そうにこちらを伺うも、すぐに視線は下に向けられた。
それから明るい「いただきます」の声。
久しぶりに食べる朝食を彼女は嬉しそうに頬いっぱいに頬張っていく。
時間がゆったりと流れていくような静かなひと時。
スプーンが皿に当たって響く音。野菜を噛む瑞々しい葉音に、パンをちぎる柔らかな音。
湯気に潤む瞳に、満たされていくようにじんわり赤く色付いていく頬。
「うまい?」
思わず聞いてしまった。
聞かなくても分かるのに、彼女の声で聞きたいのだ。
望んだものを得られれば、俺はそっと席を立つ。
冷蔵庫の中からカップを一つ取り出してきて彼女の前にそれを置いた。
「これ、デザート。
本当は今日のおやつに用意してたんだけど、一つ余ったからさ。良かったら食べてよ」
そうして俺はまた、望んだ姿を得ることが出来た。
(終)
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