まほやく
「そんなに落ち込むなんてらしくありませんね」
珍しくうなだれる俺を見て、面白く思ったのか彼女は小さく笑った。
けれどそのあと、急いで口を覆って「しまった!」という顔をすれば、俺もつられて笑ってしまうのだ。
(⋯⋯あぁ、やっぱり好きだな)
些細なことも優しく汲み取れる彼女を俺は好ましく思う。
気にしない人、気付かない人なんて、この世に沢山いるだろう。
むしろ気づく人の方が少ないのかもしれない。
ましてやそれを思ったところで口に出す人なんてきっと一握りだ。
「すみません!らしくないってあんまり良くないですね。カインだって気にするときもあります!」
「いやいや、謝らなくていいよ。俺もらしくないって思うし!」
取り繕って明るく笑ってみせると、彼女はそれさえも汲み取れてしまうのか口を噤んでしまった。
俺は深呼吸をして、乱れた思考を必死に整えようとする。
そうだ、こんなことを気にして落ち込むなんて《俺らしくない》。
「たかが占いで賢者様との相性が最悪って言われたくらい⋯⋯!!」
俯いていた顔を無理やり上げると、彼女と視線がぶつかる。
俺のことを案じているのだろう心配そうな眼差しに胸が締め付けられると、再び気持ちが揺らいでしまうなんてことは容易かった。
「いやだからって、5回連続違う店で相性最悪ってさすがに酷くないか!?
もう一度、占ってもらいに行こう!」
何度目かのやり取りに彼女は困ったように眉根を下げて笑っている。
そんな彼女を見て、腹の底が重くなった。
(賢者様は占いの結果をどう思っているんだろう。⋯⋯俺だけがこんなに気にしてる)
時計を見ると、まだ陽が沈むには時間がある。
こうなったら片っ端から占い師に会いに行こうじゃないか。
そうして俺が望む答えを口にしてもらうのだ。
「本当に悪い!あと少しだけ俺に付き合ってくれないか」
両手を力いっぱいに重ね合わせ勢いよく頼み込むと、今度こそ彼女は大きく口を開けて笑った。
「そんなに必死になるなんてカインにも子どもっぽいところがあるんですね、可愛い!って、あれ、⋯⋯カイン?」
心臓が大きく跳ね上がった気がした。彼女のある単語が脳に強く響くと、全身の血がドクドク流れていくのが分かるくらい熱い。
『可愛い』と言われてしまった子どもっぽい己を情けなく思ったり、慈しむように細められた眼差しに艶っぽさを感じて勝手に心音が早くなる。
「えっと、まあ、こういうときもあるさ」
身体の中はとてつもない熱と揺らぎと振動でめちゃくちゃになっているのに、言葉はすんなりと落とすことができる自分の器用さが嫌になる。
彼女はあの一瞬、俺の僅かに見開かれた瞳に気付いたのだろうか。
「それに賢者様だって相性最悪のままじゃ終われないだろ?」
「え?ま、まあそう、ですね?でも占いって遊びみたいな⋯⋯」
「時間が惜しい!行こっ、賢者様!」
若干遮るように強引に手を引くと、彼女は観念したかのように最後まで付き合ってくれたのだが、俺は思い知らされたのだ。
彼女は俺のことをなんとも思っていない。
だけど俺がこだわるのは、もちろん彼女が好きだからだ。
それならたとえ片思いだとしても《相性最悪》のままでは終われないのが道理だろう。
そして同時にこの恋は俺にとっての初恋だった。
初恋という単語に胸が高鳴るも、腹の底では得体の知れない何かがうごめている。
『初恋は叶わない』__
誰がそんなこと言ったのだろう。
それなのにいつの間にか世の中にはその言葉が浸透している。
現実でも本の中の物語でも初恋というものは障害が多くて、前途多難だ。
そこに現実もフィクションも人間も魔法使いも関係ない。
だけど、一つだけ言えることがある。
魔法使いは普通を生きられない。
当然、魔法使いである俺も普通の人間と同じような人生は歩めない。
肩を並べて遊んだ友人も、切磋琢磨して支え合った仲間とも、全く異なる未来が遠くないうちに待っている。
だからこそ、何でも慎重になった。
他愛のない会話、人から向けられる好意、信頼と信用。
人と話すことは好きだし、分かり合いたいとも思っているのに、どこかでブレーキを踏んでしまう。
きっとこれは魔法使いとして産まれたものの本能なのだろう。
そう、まるで綱渡りの人生だ。
底が見えない綱の上を笑顔で渡ってきた。
ある日突然故意に綱から落とされたときも、また顔を上げて立ち上がって、身体を引きずって歩いた。
これもまた魔法使いである定めなのだろう。
こんな人生の中で恋なんて数百年はしてる余裕はないと思っていたのに、恋は突然落ちるものだと初めて知った。
あれほど人を好きになるのが怖かったというのに、気付いたら異世界から来た彼女を好きになっていたなんて可笑しな話だ。
でも彼女と日々を過ごすうちに、奇跡というものが確かにあるということも分かってしまった。
ならば、その曖昧なものに縋りたいときだってあるはずで、それが今この占いの結果なのだ。
初めて心から好きになった人との相性が《最悪》だなんてお遊びだろうと受け入れたくない。
1件くらいは「相性は普通」と言ってくれるところがあるだろうと信じてる。
不安な気持ちを必死に振り払って歩を進めていけば、彼女はずっと黙ったままで俯いて歩いている。
髪から時折チラチラ覗いて見える耳はほんのり赤かった。
それがどういう意味を持っているのかはまだ分からないけれど、俺は嬉しくなってさらに力を込めて手を握り締め直したのだった。
◇ ◇ ◇
時計の針がもうすぐで天辺を迎えようとする時刻、魔法舎内にあるシャイロックが営んでいるバーには笑い声が響いていた。
「それでそのあと結局何件行ったんです?」
シャイロックが笑いを堪えながら、上品に口元を手で抑えながら尋ねてくる。
側で飲んでいるオズやファウストは話には加わらないが、気になっているのか口にグラスは運ばず、ナッツの殻を弄ったり、ゆっくりとグラスを回して氷が溶けていくのを見つめていた。
俺はもう何度目かの酒を一気にグラスを傾けて飲み干すと、その勢いのまま言い放った。
「6件!!」
「ろっ⋯⋯!?」
シャイロックが相槌を打つ前に声を上げたのはファウストだった。
2人で後ろの席を見ると、ファウストが気まずそうに咳払いをして、観念したかのように俺の隣の席へ移動する。
「勝手に話に入ってすまなかった」
「いや、いいよ!ここで話してる時点で誰かに聞かれるのは承知の上だし。
シャイロック、ファウストにも俺が飲んでいたものと同じものを頼む。あと、俺もお代わり!」
「ふふ、はい。ではオズ様もこちらへ」
「⋯⋯なぜ」
「オズ、君だって思い切り聞き耳を立てていただろう。それなら僕と同じようにここで聞くべきだ」
ファウストが道連れと言わんばかりに自分の隣の椅子を軽く引いて促すと、オズもまた気まずそうに席に着いた。
そしてオズは眉間に皺を寄せ、息を吐き出すように呟いた。
「だから、賢者はあんなに疲れた様子で帰ってきたのか」
「確かに、カインも賢者もぐったりして夕飯を食べていたな」
「合計で11回も占いのために歩き回ったのですから、心身ともにお疲れでしょう」
にこやかに笑うシャイロックは机の上に新しいグラスを3つ置いた。
「あれ?俺のだけ、レモンが刺さってる」
「ええ。同じものをとのことでしたが、お話を伺えばカインはとてもお疲れの様子でしたから。
なので疲労回復に効くレモンを軽く絞って添えてみました。このカクテルにはレモンも合いますから」
店主の心遣いを感じる一杯にファウストもオズも興味深そうにこちらのグラスを覗いてくる。
グラスを手に取って鼻を近づけると、酸っぱい柑橘系の匂いが胸いっぱいに広がる。一口飲んでみると、さっきの味わいとはまるで異なっていて、レモンの酸味がいい仕事をしている。何となくだけど、モヤモヤしていた気持ちもほんの少しだけ晴れた気がした。
「うまい!」
「それは良かった」
シャイロックは穏やかに目を細めると、単なる疲労回復だけではない別の気遣いも滲ませていているようで、俺は有り難いなと思った。
「それで、その6件ではなんと言われたのだ」
余程気になっていたのかオズ自らが尋ねると、ファウストが顔を引き攣らせてこちらを見ることもなく呟いた。
「良い結果をもらえたのなら、ここでこんなに荒れていないだろうに」
「はは、確かにそうだ。えっと、どこも良い結果じゃなかったよ。相変わらず相性最悪とか、辛い未来が待ってるから一緒に居ない方がいいとか」
「⋯⋯それは、その、なかなかキツいことを言われてきたな」
「さすがに堪えるというか、自信を無くすというか⋯⋯」
静かにグラスを置くと、俺は肩を落として俯いてしまう。
本当に今日の俺はとことんらしくないようだ。
そのときオズが口を開いた。
「なぜ占いごときでそんなに気にする」
空気が一瞬にして凍りつくように音を無くした。
ゆっくりとした問いかけに、俺は息を呑む。
さきほどまでの酔いが一気に覚めていくようだ。
「それは、どういう意味だ?」
慎重に言葉を選んで聞き返すと、オズは分からないといった顔でこちらを見つめ返してくる。
「お前は”たかが占いの結果”に左右されるのか」
はっきり言い切ったオズに思わず面を食らうと、静かに様子を伺っていたシャイロックとファウストも息を吐き出した。
「え⋯⋯っと」
咄嗟に言葉が出ない。⋯⋯まさかオズが、俺を励ましているのだろうか?
「占いがどうであれ、私から見たお前達は十分に仲が良いように思えるが」
真っ直ぐにこちらを見据えていた眼差しは次第に手元のグラスに視線を移すと、手持ち無沙汰にグラスを回し始めた。
氷同士がぶつかる音、呼吸音、グラスに酒を注ぐ音、全ての音がゆっくりと返ってくる。
凍りついていた空気はいつの間にか少しずつ温度のあるものに変わっていた。
熱が巡り、強張っていた全身の力が脱力する。
気付けば手には汗が滲み、指先は震えていた。これは一体なんの震えだろうか。
「その、⋯⋯気にするなって言ってくれてるのか?」
「そうだ」
オズは再び力強く頷くと、ファウストへ視線を移す。
その視線を真正面から浴びたファウストは面倒くさそうに手を払った。
「どうしてこちらに話を振るんだ!?」
「おや、オズ様が助け舟を求められるなんて」
その様子を茶化すようにシャイロックが優雅に笑えば、ファウストはこちらに向き直した。
「占いなんて当てにならないよ。予言じゃあるまいし」
「私も同意見ですね。占いなんてものは心の持ちようで如何様にも変化しますから」
「⋯⋯仮に」
一際低い声が腹の底に強く響くと、オズは目を伏せて呟いた。
同時に静かにひっそりと揺れている彼の瞳を誰も気付くことはない。
「もし仮に、辛い未来が事実だとしたら、お前は賢者から離れるのか。
⋯⋯そうではないのだろう。お前は認めたくないから歩き回った。違うのか」
俺に問いかけているようで、まるで己自身に問い正すようなそれ。
宙ぶらりんなのに何かに必死に縋っているようなそれ。
なのに突き動かされる衝動に駆られるようなそれ。
応えねばならないと、そう思った。
「俺は⋯⋯離れたくない」
静かにオズが顔を上げると、力なく開いていた口が固く結ばれて両の端が上がっていく。
その場にいる全員がオズに釘付けになるほどの覇気だった。
「ならばカインよ、運命を変えてみせろ」
ただ一言。ただその一言にとてつもないエネルギーを感じた。
あの世界最強の魔法使いオズが「気に入らないのなら変えてみせろ」と言う。
たかが占いに真剣に抗おうとする俺を、オズがこんなにも背中を押すことに否応なしに高揚してしまう。
もしかしたらオズは酒に酔っているのかもしれない。
もしくは俺を通して誰か違うやつのことを思い浮かべているのかもしれない。
決して、俺のためだけではないのかもしれない__
でもあのオズにここまで言われて、俺はまだ下を向くのか?
「ありがとう!オズ!」
片思いがなんだ。
初恋だからなんだ。
人間だからなんだというのだ。
俺は彼女が好き、ただそれだけで良かったんだ。
曖昧なものに縋るよりも前に、奇跡というものを目の当たりにして信じているのならば、それを僅かでも掴み取れるように努力を尽くすのが先なんじゃないのか。相変わらず言葉が足らないオズだけど、きっとこういうことを伝えようとしたのだろう。
それに占い師が言う《相性最悪》よりも、世界最強の魔法使いオズが言う「お前たちは十分仲が良い。そんなもの気にするな」の方が信憑性もご利益もありそうだ。
「よし、ここは俺の奢りだ!2人ともどんどん飲んでくれ!」
さっきまでの沈んだ気持ちはどこに行ったのか、今は身体が軽かった。
オズの背中をバシバシ叩くと、ファウストとシャイロックの顔が青いような気がしたがそんなことは些細なことだ。
「オズ!耳を貸してくれないか?」
「なんだ、⋯⋯酔っているのか」
眉間に刻まれているオズの皺がさらに深くなってもお構い無しに俺はそっと耳打ちをする。
「俺、晶が好きなんだ」
一瞬見開いた瞳はゆっくりと閉じていき、彼は一言「そうか」と漏らすだけだった。
どうしてオズに告げたのか、彼はどう解釈したのかどうでも良かった。
頭と心がフワフワしていて周りの音が反響し、全てがぼんやりとしか聞こえくなってゆく。
だからオズがどんな表情をしていて、どんな風に呟いていたのかもこのあとの俺にはよく分からない。
ただ一つだけ言えるのは、微睡む世界の中でぼんやりと映るオズの眼差しが、ひどく優しく細められていたことだけは何となく覚えている。
「⋯⋯お前が手繰り寄せる未来が、どんな結末になるのか今から楽しみだな」
(終)
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